人口減と移民政策 [新聞記事]
2022.1.31
こんにちは。
今日で1月も終了。家人も言っていたことだけど、この一か月はえらく長いものに感じた。「やっと」終わったという感じ。この年になると「光陰矢の如し」としか感じなくなってくるから、すごくその感覚は心地よいというか、若いころに帰ったような、「まだまだ行けるぞ!」と思ったりして、でも、そう感じること自体が老人の、老人による、老人のための感覚でしかないと怒鳴られそうだ。
竹セイロ 本体 30cm 業務用 中華せいろ蒸し器 身(本体)のみ_FH85031
- 出版社/メーカー: ハイスト
- メディア: ホーム&キッチン
家人がこの蒸し器で酒蒸し饅頭をつくってくれた。そりゃそうだろう。毎日忙しく動いていれば、時はゆっくつと流れるばかりだ????
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ここからは人口減、少子化の話を少し。
「移民が人口減を止めるという人がいるが、そう主張する人たちは文化の(違いの)問題を考慮していない」と言った首相がいる。この発言は「あっぱれ」そのものと私は思ってしまった。
私は国粋主義者ではないが、アメリカ人、ドイツ人、エジプト人、インド人、中国人・・・・いわゆる外国の人たちに日本の伝統、日本人の国民性、日本のよき仕来り、そして所作、美に対する探究心、礼を尊ぶ心を理解してもらうのは大変ではないか、いや不可能ではないかと思うのだ。もちろん「Youは何しに?」ではないが、外国人であっても日本人と同等の心を内包されている方々もいることは承知をしている。しかし、残念ながらそれは少数であり、その方たちがいるから外国人はすべてオッケイ(日本人と同じ文化)という判断はいただけない。特に日本は島国であり、外国の影響は陸続きの国々と比べると、その許容度は頗る小さい。現に日本全国に散らばっている外国人との摩擦を多く聞く。その単位は既に自治会単位となっており、ちっぽけな問題(当事者にとっては少しもちっぽけではない)と一蹴されてしまいがちだが、日々苦悩を強いられている方々もいるのではと想像できる。
人のDNAというか、持って生まれた感性なり思考は簡単に変えられるものではない。英語で言うとアイディンティティだろうか?それはそれぞれに持った個性であり、その国々で大事にされるべきものであっても、日本で受け入れられるとは限らない。
日本はどうするのだろう。このまま座して待つという愚策は政治としてやることではない。今はコロナで振り回されてしまいがちだが、限界集落という言葉もあるとおり、ジリジリと日本人の生活圏は縮まりつつある。島嶼の守りも固めなければならない。隣国の脅威も戯言ではなくなりつつある。日本国民に移民政策が馴染まない以上、人口減を止める手立てを考えなければいけないことは自明の理であろう。
家づくりは一回では成功しない(第184回)-ペースをつくる [我が家]
2022.1.30
こんにちは。
今年は冬物がよく売れそうだ。私は上から下までユニクロ御用達だが、大方ワゴンものしか手を出さない。季節の終わりごろに、その季節のものを買う。当然、ディスカウントものばかりを買う。こういう世知辛い世の中になってしまっては高価な服など、ましてやブランド品なんかは買う意欲は削がれるばかり。それにもともとブランド志向ではないし、全く物欲がないものだから、車にしても、衣類にしても「どうでもいい」的な感覚というか、車に関しては「走ればいい」、衣類は「着るものがあればいい」という感覚かもしれない。そんなディスカウント・ジジイの特記というか、自慢したいもの、当然、これも御用達メーカーのユニクロなのだが、あそこにしては珍しくスーツがディスカウントされていた。それもあの陳列棚の端っこにある籠の中に無造作に1点だけ入ってものだ。ちょうどいいことに、ズボンの丈詰めも袖丈もすべて完了していたもの。何が駄目だったのか?試着してみたら私にはピッタリ。値段はたしか千円台(1300円ぐらいだったと・・・)だったから即購入。レジに行き・・・
私「これって何か問題でも?」
店員「いえ、お客様のサイズが合えばいいと思います。たしか、裁断が合わなかったのではないかと思います。」
確かに、どこも悪いところはなさそう。それにそのお客さん(服を最初に買おうと思った人)はアイビー指向だったようで、ズボンのすそ幅は20㎝、かぎ型センターベント、3ボタン。そして、値段は1300円。これはもう即決しかないでしょう、ということで買った。しっかり、今でも仕事着で来ている。着心地も非常にいい。
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・・・ということで家の話。
土地が決まり、融資も決まり、家の設計図も大方決まり、細部を詰めていくわけだけど、ここからが私たちには門外漢のことが多い。どうしても施工会社側のペースとなる。建材の種類、ロットとその単価などなど、私たちは目の触れることはないものばかり。
しかし、ここからがお金を無駄にするかしないかの瀬戸際、ここで諦めてはいけない。今はネット社会だから多くの資料はかき集められる。担当より詳しくなれる可能性も大。
担当者には、そのことを丁寧に説明する。次の1週間でやる工事の種類を事細かに洗い出してもらう。排水口の塩ビ管のメーカーを気にする方はいないわけで、それはスルーし、自分たちが決めたい場所のメーカー、サイズ、グレード、そして長・短所だ。
前に書いたことだが、工程表をもらっているはずだから、その工程表に沿い、施工会社の担当者と、いついつまでに決めなければいけないという項目を埋め込んでいく。多分、その用紙では足りないだろう。
例えば、5月1日、屋根上げ、6月1日、外壁打ち込み、7月1日、断熱材埋め込み、8月1日、下地材打ち込み等々。もっと細かい項目があるはずだけど・・・。
マイホームであるからして、その家にこだわりがない人などはいないはず。しかし、時間がとれないなどの理由で断念せざるを得ない人が大半を占めることは心しておかないといけない。
6月1日、外壁打ち込みとあれば、その発注決定まで間、こちらは外壁の知識(メーカー、材質、種類、サイズ、長所・短所)を詰め込み、大方の品定めをし担当者と打ち合わせればいい。そうすることによって、担当者も真剣に部材を探し、無駄のない、こちらの意向にも沿った適切な材料を揃えられる可能性は高くなる。
つまり、担当者には、このルーティンでやるということを伝え、この日までにこれを探し、話し合いをしようと前もって決めておいたほうがいいということ。
もう一つ。その施工会社が扱っているか否かのメーカー問題。例えば、あなたがあそこのメーカーのあの製品がどうしても使いたいと思えば、その施工会社が今まで取り引きしたことがないメーカーであるからと断られそうになったとしても、それはメーカーサイドの問題であって、私たちのエゴを通し、使いたい製品を発注していただくことが最善だ。
我が家の場合、担当者と半年近く毎週末にミーティングを重ねたが、その日の決め事も分からぬままに、私たち側からすれば、まさに行き当たりばったりで決める項目が出てくるものだから、差し出され問いかけに対し、その場の感覚で行き当たりばったりの回答しかできなかったという経緯があったことも事実としてここに記しておこう。もちろん、その場で決められず、次回までにこれを決めておいてという問いかけはあったにはあったが、そこは交渉事、受け身に立っていい結果を得ようと思う私たちが間違っているわけで、あくまでもこちら側のペースで決め事を進めるほうが無難だという話。
ささやかな幸せ [新聞記事]
2022.1.29
こんにちは。
16時30分
私の机の前はもう西日が落ちてしまった。春から秋にかけてはブラインドを下ろさないとパソコンの画面も見えなくなるんだけど、冬は流石にその時間は少ない。
でも、大分日の陰りも遅くなってきた。まさに「春よ恋!」だ。
今日、昼食を食べながら中居君がMCを務めるテレビを見ていた。つまみ食い程度に見ていたので、詳しい話はさておき、時節柄コロナの話題をやっていた。最後に再度登場するであろうと予想されている変異株(ステルスオミクロン)の話になったときのこと。出演者みんなが下を向きつつ、嫌な顔をし、二の句が出ない瞬間、ほんの1秒もなかったけど、沈黙があった。それが世情すべてを、国民全体の気持ちを表しているように思われた。ちょうどボクサーがダウンを奪われ「もういいっか、立たなくて、もういっか」とつぶやいているようで、何となく愕然とした。こんな暗い気持ちになっている人たちが、これから日本国じゅう増え続けるんじゃないかと予想されるようで、何となく精気を失いそうになる。
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続けてテレビの話。
昨日やっていたNHKの「72時間」のドキュメンタリー番組。私もよく通過点であった新橋駅前のヒロタのシュークリーム屋さんの話をやっていた。ここにヒロタがあったことは知らなかったが、その隣の量販店には何度か行っていたし、知り合いの弁護士さんの事務所も目の前にある。インタビューを受けた人たちは皆いろいろな事情を背負い、シュークリームを買っていく。へぇーそうなんだと思う人たちの話ばかりで心に残った。
人は皆、小さな安らぎを求める。少しも高価できらびやかなものでないところに、その小さな安らぎはあるけれど、ふとした拍子にその安らぎを見逃してしまうときがある。自分の位置を人と比べ、自分の不幸せを悔やんだり、恨んだりしてしまう。使いようによっては、それは決して悪いことではないけれど、その心で功を奏する人は、そうめったやたらといるわけではない。そんな小さな安らぎを、人々は日々求め生活をする。恥ずかしいくらいのその「小さな」想いは、決してはずべきものではない。平々凡々は最上位の幸せだ。
人間万事塞翁が馬・・・幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではない・・・・・今の不幸はいつ幸運に転ずるか分からないわけで、じっと頃合いを見て、チャンスをつかんでいかないといけない。やはり、希望は捨ててはいけない。
ステルスオミクロン???? [コロナ]
2022.1.28
こんにちは。
知りたくもないニュースが目に入ってきた。
この闘いは延々と続くんだろうか?
「闘い」とはお互いが刃をむき出し命をかけてやることだと思うけど、コロナの闘いに関して言うと、決してそうではないような気配だ。既に全世界では567万人もの死亡者数が出た。https://www.google.com/search?q=%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%EF%BC%8D%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E8%80%85%E6%95%B0&oq=%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%EF%BC%8D%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E8%80%85%E6%95%B0&aqs=chrome..69i57.9855j0j15&sourceid=chrome&ie=UTF-8
全世界の人口は70億から80億人らしい。
正確な数字はなかなか分からないらしいけど、仮に世界人口が80億人とすると、その1%は8000万人。現在のコロナ死亡者数567万人。割合で言うと0.1%に近づく。これだけ多くの方々死んでいるということは、互角に闘っているとは到底思えない。地球規模で考えれば、やはりこれは自然淘汰、自然界の流れに沿ったことで、これはもはや人間の努力ではどうすることもできないことなのかと思ってしまう。それは恐竜が我が物顔で闊歩していた時代があっと言う間に終わったように、次はその出番が人間なんだろうかとも思う。別に運命論者でもありゃしないけど、ジジイはジジイなりにちょっとだけ弱気になったりして、大きな声で叫んでみたくもなったりして、う~~~ん、心平らかに頑張っていくしかないんだろうね。本当に経済が、特に世界経済が心配になってきた。でも、言葉だけは恰好がいい「ステルスオミクロン」。一体誰が命名するんだろうか?
家人に接種券が来たが、頼みの「糸」にもなりそうにない気がしてきた。
死んでしまえ! [バラ]
2022.1.27
こんにちは。
寒さは本格的に続いている。東北に比べれば千葉なんてなまっちょろい寒さなんだと言われそうだけど、ガッツがない老人は寒さにからっきし弱い。
マシン油。昨秋から徐々に目立ってきたカイガラムシを退治するであろう薬だ。
ネットでもいろいろ書いてあるが、大方の駆除は私もやっていたので一安心。テレビで食べられるバラを栽培している女社長がいたけど、結構な美貌でこの方ならバラの栽培も似合っていそう。食べられるバラなんぞ、私には無理難題だと思っていたら、彼女はビニールハウスで栽培しているとか。なるほどと納得。ならば無農薬も大変だろうけど、十分に可能だろうと想像された。そんなニュースに刺激され、私も昨夏から薬は使わずに過ごしてきた。それが幸いするかどうかは全く分からないが、昨日までは薬は未使用であったが、どうもこのカイガラムシは厄介者らしい。今まで罹ったことがなかったので、あなどっていたが、かなりの強者の様子。それに越冬する害虫なんかは想像だにしなかったものだから、ちょっとびっくり。でも、落葉樹であるバラの枝にすがって越冬してくれることは、こちらにとっては非常に対策がとりやすいわけで、ここぞとばかりマシン油なるものを購入し散布となった。このコロナ禍、すれ違い様でも感染してしまいそうな怖い感染力のコロナ。根性なしの老人にとってはフラフラと街中を徘徊はできそうもない。そんなわけで、今はドップリとAmazonに頼っている。GAFAをますます強大にしてしまうことに与することは決して良しとはしないが、背に腹は換えられぬというところ。
この薬のおもしろいところは、「マシン油」と書いてあるとおり、油が主成分。その油をカイガラムシを取り囲み窒息死させるというシステムらしい。アブラムシのようにグニョグニョと動いているわけではなく、貝殻のような白い膜の保護の元、生息しているので、このマシン油は空気を遮断する役目をするらしい。これが成果が出るかどうかは後日のお楽しみだが、あと2回ほど散布すれば完璧に膜で覆われるはずと踏んでいる。
家づくりは一回では成功しない(第183回)-トイレはノンタンク [我が家]
2022.1.26
こんばんは。
絶望的な数字が毎日発表される。これって誰であっても解決できることはないんだろうなと思うようになった自分に少々驚いている。一種のあきらめなのか。
今までは表現力のない菅さんだったから、彼の発信力のなさに怒りを向けられたけど、今はそこそこ前向きに仕事をしているようには表向き見えるというか、大きな失点はないので、その怒りをどこにぶつけていいのやら。しかし、それは解決の方向に向かう有効な手立てでないことは誰が見ても明白で、その結果が今日も1万4000人台だと家人が隣で言ってきた。
私は気が長いほうだけど、早いところ何とか解決に向けていかないとまずいなという感じは薄々してきた。ネクスト・コロナがないことだけを祈りたい。
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家の話です。
昨日卑近な話を申し上げたが、大昔流行っていたボーリングなんぞが頭に浮かんできたもんだから、ついつい話が脱線気味。その脱線気味の話のついでにトイレの話をしておきたい。
トイレは皆さん一日に何回も使うもの。そのトイレは「タンク式」か「タンク式ではない」ほうがいいのか。 そんなのあんまり気にしないという方もおられれば、出水するときにタンクの受け皿が汚れるのが嫌だ(水は外を流れないのもあるけど)という理由でタンク式を嫌がる方もおられる。それにタンクは場所をとる。いつもはそんなに気にならないことでも、いざ、ご自分の家を建てる段になると結構悩む事柄になる。
理由は先ほども書いたように受け皿の掃除に手間隙がかかるという家人の意見があった。私はどちらでもいいと思っていたので一件落着したんだけど、実際に使ってみると、我が家では「ノンタンク」じゃないと絶対ダメだということが分かった。理由はこの一点。モノが大きいということ。あのモノが大き過ぎて一回では流れない。後の人のことも考えて、慌てて直ぐに流すんだけど、タンク式だと溜まるまでは勢いよく流れない。流れてもチョロチョロだからモノは残ったまま。焦りは益々増長し、憤懣やる方ない異臭とそのモノだけが居座る始末。少しは遠慮しろと言いたいが、そんなご主人の気持ちは全く無視される。
ところがノンタンク式は全くその心配がない。流れる。幾らでも流れる。スイスイス~イと何の焦りも苛立ちもなくスムーズにことが運ぶ。
・・・・・ということで、トイレのタンクの有り無し問題は、絶対にノンタンク式にしたほうがいいという、今日も卑近な話になってしまった。
卑近な話を少し [生活]
2022.1.25
こんにちは。
こう毎日が寒いと身体は少しずつ慣れていくはずなんだけど、ここ何日かはその慣れがない。身を切るような寒さを感じる。これは外回りをしている人間からすると「何と贅沢極まりない」と言われそうだが、老人の戯言としてお許しあれ。
・・・・ということは日々寒さは更新されているのかと思う。室温計はその周りの空気の温度であって、決して室内全部の温度ではない。それは大体の目安のはず。今日も洗面所の温度は8℃ではあったが、部屋全体の空気感は何度だったのか。明日はまた天気が悪く、南岸低気圧が通るらしい。運悪く雪が降ると、また現役の皆さんにとっては大変な出勤・通学となる。
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タイトルにもあるとおり、少し卑近な詰まらない話を少し。
私は夜、トイレに起きるのが定石。「それりゃ、あんた年だからじゃねぇか?あったり前だろう、そんなこと。」と言われそうだが、私は若いころからトイレが近い。高校のころ、季節は冬。当時流行っていたボウリング。整列券をもらうために早朝から並んでレーンをとったころの話。たしか早朝割引で1ゲーム100円だったような記憶がある。バイトなんかする人間もいなかった時代だから、一月1000円ぐらいだったか、親からお小遣いをもらったうちの100円だから、そう何ゲームもできない。たしか3ゲームでみんなと点数を競った。ボーリングで300円を使い、残りは700円。純喫茶白鳥でモーニングを食べた。この値段は全く覚えてはいないけど、180円だったか、200円だったか。その後、お好み焼き屋に行って200円ぐらいを使って、それでもまだまだお小遣いは残る昭和のよき時代の話。
喫茶店に行けば、当然水物を摂るわけで、トイレが近くなるのは当然のこと。しかし、その近さは私は異常に速い。その時、私が1時間に3回近く行くが、友は1回も行かない。別に我慢大会をしているわけではないのに、圧倒的に私の負けが続く。それを別に悩むわけではなかったが、トイレに立つ回数が目立ってしまうのが多少嫌な気持ちになったことを覚えている。しかし、夏は人並み。そんなに回数は多くはない。当然、周りの人間もその回数は多くはないが、私もほぼ同じ回数をこなしていた。
トイレの話は、ここからが本番。
私は座って排尿をするタイプ。最近は男性も座ってする方が増えた。奥さんの叱責による立ちションからのくら替えだと思うが、私も同様だ。最近、よく思うことだが、立ちションより、座りションのほうが断然と排便の回数が増えることに気がついた。排尿だと思って便所に行くが、ついでにダイが出てしまうことがよくある。私は便秘気味なので、朝、水分かなり摂るためだろうか?排尿回数も依然多い。しかし、そのついでに排便の回数もかなり多い。そのせいか、日々、腸の風通しがよく、身体の循環はかなり快調で、心持ちが非常によいという卑近な話でありんす。
家づくりは一回では成功しない(第182回)-材質を選別する [我が家]
2022.1.24
こんにちは。
今日も寒く。雪は降らなかったものの、日中の外仕事は向いていない。
しかしながら、カイガラムシにはマシン油乳化剤がいいとのネット情報もあり、越冬カイガラムシの殺傷には、正しくこの冬ということなので、近日中に購入・散布をしなければいけない。
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家づくりの話。今回は材質について。
外壁、屋根材、壁紙、システムキッチン、床材、玄関ドア、玄関床材、サッシガラス等々、それをすべて選ばなければならないのは、苦痛にも似た拷問に近い選択をしなければいけない。材質もあるが、当然、色合いもあって、優柔不断の方は困ってしまい、最後は適当に選ぶということになる方もいるだろうと推察される。また、粘りに粘って2日間かけたという方もいるらしいから、まさに人様々というところ。
家のこまごましたことを決める場合、今は仮にこれにしておいて、後で(2~3年経ってから)修正しようなんて考えるとまず後悔する(できない)ので、絶対にその選択はしないほうがいい。
ここから、その項目を少しずつ紹介し、私たちの失敗談(が中心だけど)・成功談を記しておきたい。しかしながら、余りの多さに今でも見ただけでうんざりするが、少しずつ書いておこう。
今も書いたように「とりあえず」というワードはここにはない。自分たちの希望を施工会社にまず伝え、予算組みをしてもらい、そこから取捨選択をしていくほうが無難だろう。
人にはそれぞれの価値観があるし、経験値もある。施工会社は建築のプロであっても、生活習慣は営業マンもあなたも全くの同位置であり、その善し悪しは個人の価値基準による判断が絶対だということを忘れてはいけない。建築専門家=価値基準専門家ではないということ。これは往々にして間違えることが多い。
これは我が家であったことだが、その営業マンの一言で自分の主張を退けてしまったことが今でも後悔していることだ。
それは郵便ポストだ。以前住んでいた家は建て売りであったものの、今でも使いやすく、よくできた家だと思っている。それは玄関の脇の壁に付いているタイプの郵便受。つまり、外からダイレクトに家の中に郵便物を入れるタイプだ。そのときは下駄箱の上に落ちるタイプ。今回、その営業マンが「防犯上よろしくないのでは」と言われた。確かに郵便物(チラシ)を入れるときにカバーを上げる(または押し入れる)ので、家の中が見られるのではないかという心配のようだったが、ダイレクトに入れる場所が直ぐにくつろいでいる部屋があれば別問題だろうが、そういう間取りはワンルームでもない限り考えにくい。今回、我が家は雨の日も風の日も、外の街灯門扉のところまで取りにいくタイプにしてしまった。以前はダイレクトタイプだったものだから、今回の家に引っ越してからはえらく面倒に感じてしまった。今は大分慣れたものの、やはり、雨の日などはちょっと面倒という気持ちになることは確かだ。
ことほど左様に、自分の経験値、価値観もそう易々と捨ててしまってはいけないということになる。
挨拶 [生活]
2022.1.23
こんばんは。
今日も寒い。今夜から明日にかけてはまた雪かもしれないとヤフーニュースに載っていた。
確かに寒い。「The Day After Tomorrow」をアマゾンで見たいのだが、残念ながらレンタル料金がかかる。月々500円払っている身としては、それは許さぬと思ってしまうんで、じっと我慢。確かに人気のある映画は有料だからAmazonもしたたかだ。これを抜く日本の企業が速くできないものかと考えるけど、それは無理な注文か?
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昨日、突然愚息ファミリーが来ると電話がかかってきた。「代車」が「本車」になったからということで神社に交通安全の御祓いをした帰りだという。いつもどおり昼食、夕食、入浴を済ませ帰宅。しかしながら、孫は帰りたくない泊まりたいと言い出した。それはそれでうれしくもあるのだが、どうしても今夜中にやらなければならないことがあるので、それは泣く泣く断念させ、来月の連休に迎えに行くことで了解させた。
孫に対してはいつも「全力少年」に成りきってしまうので、結果、腰痛が絶えず発生する。家人もぐったりとするばかり。確実に身体の減退は静かに静かに押し寄せてくるのを感じる。
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挨拶・・・・社会人はいつもこれにつまずく。つまずかないとしても意識の中に植えつけて行動する。毎朝、最初にすることは、社長であれ、部長であれ、警備員さんであれ、掃除婦の叔母さんであろうとも、この「挨拶」から一日が始まる。うまく挨拶ができる人もいれば、うまくできず、それが原因で人間関係がおかしくなる人もいる。
「挨拶」をする。こんな単純な動作が結構難しい。特に自分に好意を持っている人、コミュニケーションがとれている人に対しては、それはえらくた易い行為だ。しかし、これが反対に位置する人間に対しては、かなり難しいことになる。好意を持ってくれている人に対しては自然な笑みがこぼれ「挨拶」ができる。しかし、明らかに自分に敵意を持っているであろう人間に対しては、自然な微笑みが浮かぶわけもなく、強張った笑顔、怒ったような顔での挨拶になってしまう。特に先輩と言われる、自分より社歴が長い人間に対しては、必ず、その先輩が気がつくような挨拶をしないと社会では通らない。特に仕事上での利害関係で結ばれている上司と部下においては、自然と上意下達の形式でことは動いていくわけで、大体部下は慣れないことばかりなので、ミスや失態をやらかすのは当然であり、それを鷹揚に構えてくれるような人間性豊かな上司なら問題ないだろうが、そんな悠長な上司はこの日本社会では余りいないから怒られる。怒鳴られる。社会に出てからの初めての失態。苦虫をかみつぶさないにしても、心中穏やかではないのが上司の通り相場だろう。
新人さんの心得としては、同期はもちろんとしても、先輩、上司に対しては、トイレに行くのも後追いするがごとく「挨拶」を強行するのがよい。そのほうが自分の中では排尿するがごとく、すっきりとするはず。特に多くの上司を抱える新人にとっては、相手はじっとこちらが挨拶に行くのを待っているはずもなく、動き回っているわけで、課長には挨拶をしたけど、1年先輩は今日は出張でいないし、3年先輩の苦手の彼は10時出社だから、来てから挨拶をしなきゃいけないとかと気遣いをし過ぎてもし過ぎ損ということはないだろう。
でも、考えたら今はリモート。そんな難しい「挨拶」という仕事はしないで済むのが、今の新人さんなのかもしれない。しかし、いずれリモートは減るかもしれない。「挨拶」の機会はますます減り続け、ますますそのハードルは上がっていく。
私の周りにも、その「挨拶」が妙に妙?な人間が多い。もっと平らに考えて、気楽に挨拶をし合いたいと思った昨日、今日であった。
デフレーションの真実(18)-もぐらたたき [デフレ]
2022.1.21
こんにちは。
時間が経つにつれ風が強くなってきた。今日も外仕事をやめ、家での仕事となった。
新聞にこんな記事が載っていた。
「2020年の国勢調査を受け、人口減少率や財政力の法的基準に応じて「過疎地域」に指定される自治体が、22年度に全国1718市町村(東京23区を除く)の51・5%にあたる885市町村に上ることが分かった。」
つまり、人が減って「地力」が減り続けているということらしい。地力・・・地方の力とでも言えばいいのか。その村の平均年齢が70歳ともなれば、頭数はそろっていたとしても、そのパワーは若い人の比ではないのは愚鈍な私ですら想像がつく。
官僚が使う言葉で言えば「人口の著しい減少等に伴って地域社会における活力が低下し、生産機能及び生活環境の整備等が他の地域に比較して低位にある地域」ということらしい。こんな言葉で言い放ってみたい気持ちもするが、彼らの言葉には相変わらず何かが足りない。https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/2001/kaso/kasomain0.htm
これは総務省のホームページからとった言葉で、偽物でも何でもない。立派な国家の指針の一つであろう。統計上、これは二重計上、三重計上はしていないと思うが・・・。
よくよく新聞記事とこのホームページを読んでいくと、これに対してどんな施策をするのかと言えば、ただ単に資金的な援助、お金出しますよということらしい。人口が減って大変だと分かっているはずなのにお金しか出さない無能さ。お金も出します。支援もします。人口が減少した、少子化になった原因を探り、それを阻む方策を打ちますとは全く書いていない。この期に及んで、まだお金で解決しようと思っているところは、愚策の上にも愚策を重ね塗りをしているようで悲しいばかりだ。
日本は大分前に「エコノミックアニマル」と世界から言われたことがあったが、その性癖はまだ直っていないらしい。今回、トンガの災害に財政支援だけかと思ったら、「行く、行く」と新聞記事には何回も出、いつ出発するのかと思ったら、やっと昨夜?今日の朝方?物的支援を持って出発したらしい。
前に書いたことだが「国家は人なり、人は国家なり」には誇張はない。いくらうまいラーメンをつくっても食べる人が少なくなれば、値上げはできず、細り行くばかりで商売にはならない。口(子供)を増やせば、自ずと消費は伸び、同時に国内需要は伸び、企業の業績が伸びる。見る見る世の中の空気感は変わり、景気は上向く。今のように政治家が企業に賃上げ要望を出すという陳腐なことはしなくてもいいはず。
海浜幕張-熱き想い [生活]
2022.1.20
こんにちは。
今日も寒い。午前中小一時間カイガラムシ退治をしていたが、だんだんと風が出てきたので結構厳しい外仕事となった。前々回ぐらいにカイガラムシの話をしたが、薬を使わずにブラシでこすることにしたと書いたばかりだが、あっという間に作戦変更。正しく朝令暮改。別に組織ではなく個人プレーだから何も問題はないが、家人曰く「あれって気持ち悪いよね。薬で速く退治して」という切なるご要望の声にお応えしなければならなくなった。午前と午後、2回に分けて薬を散布。今は葉っぱもほとんどないので、枝に絡みついているカイガラムシを退治するのには絶好の季節かもしれない。しかし、ネットで検索をして見ると、ブラシ(高圧洗浄)などで除いた後、薬を塗ると効果があると書いてあったので、今回の手順は間違ってはいなかったということになった。後は様子見で残ったカイガラムシに対してはマシン油を塗布すればもっと効果が出る可能性はありそう。思いの外、皆さんカイガラムシには苦労している様子。
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先日、海浜幕張まで行ってきた。私の住んでいる街には成城石井がなく、添加物の入っていないマカロン購入のための出かけてきた。高速を使って15分。かなり近いところにそれはある。マカロンは辺鄙なわが街で見かけたことはあったようななかったような・・・・ぐらいのレベルなので、まず添加物なしのマカロンなどあろうはずがないと最初から踏んでいた。以前、成城石井にはそれがあるということで買ったことがあったものだから、今回、孫にプレゼントするためにわざわざ出かけることとなった。ちょうど我々がよく行く謝朋殿もあるものだから「ついで」の二乗ということで久々の外出となった。
そこは人間ドックでよく出かけるところでもあり、馴染みの街ではあるものの、街行く人は皆現役で若い人たちばかり、ハツラツとしているし、歩くスピードも速い。あんな時代もあったんだなとふと思ってしまった。そんな中に自分を置いていると、フツフツと新しい意欲が湧いてくる。まだ負けられないという気持ち。「勝てる目算はあるの?」と言われると、そんなものは何もないが、まだ彼らに負けてはいられないぞという単純な想い。それはまだ世に何も残せていないという想いが私の中にあるからに違いない。現役の方なら尚のことだと思う。社会人として成功していても、成功していなくても「自分は何を世に残せるんだろうか」という想い。これは男であろうと女であろうときっと誰しもが持っている想いなんだと思う。そんな熱き想いを持っているであろう若者を見られただけでも、自分にとっては収穫の一日であった。
家づくりは一回では成功しない(第181回)ー時系列 [我が家]
2022.1.19
こんにちは。
我が家では今日最低温度を観察?したようだ。朝6時の洗面所で9℃。まだオイルヒーターがオンになる前だったからかもしれないが一桁台になったのは初めてかもしれない。
そんな寒い中、珍しく早く目が覚めてしまった。年寄りだからしょうがないと言えばしょうがないのかもしれないが、流石に夏場とは違って5時には目が覚めなくなった。
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施工会社は大体手順書なるものをつくっている。これをつくっていない会社はまずない。多くの業者さんがひっきりなしに出入りするわけで、柱が上り、枠が決まれば、屋根屋が来て屋根を張る。なるべく雨が降らない頃合いを見て素早く張る。そして建前が終わったらサッシ屋が来る。大工が壁や床を張る前に電気屋が配線をする。そのときにはコンセントの位置など追加があったらこの時しかチャンスはない等々、手順書はかなり重要なものだ。
しかしながら、結構この手順書は大雑把に書いてある場合が多い。それは施工会社は何回も何回もお客と相対しているわけで、大枠のひな型をそのまま提示しているに過ぎない。家を建てることになって、初回の打ち合わせがある(大体、施工会社の事務所で行う)わけだが、そのときに、この手順書を見せてもらう手はずの「はず」。施工会社は何回もやっていることだが、我々にとっては初めてであり、唯一の道しるべになるわけで、いろいろな資料(紙)をもらううちの1枚なのだが、こちらサイドにとっては、かなり重要なものになる。「はず」と書いたのも、結構それを忘れている担当者もいて、当然、その道しるべを業者は分かっていて、こちらサイドが分からないまま事が進んでいくこともままあり、これは極力避けるべきであろう。
私のことで恐縮だが、自営業であったこともあり、ある程度の時間の自由裁量ができる立場だったので、余り問題は感じなかったが、家を建てる方のほとんどは現役バリバリの方が多いはず。週末しか打ち合わせに当てる時間がないことも予想できるので、ここはその手順書を頼りに「アトヨロ」にならないよう配慮したスケジュール感を持ちたいもの。
ということを考えると、「家を建てる」と考えてからから打ち合わせを繰り返し「建前」までたどり着くのに、そういう時間的な余裕を持って進めなければいけないことになる。その期間はどのぐらいか?それは人によってそれぞれだとは思うが、おおよそ1年はかけるべきだと思う(最多40回)。つまり、新居入居を子供が中学生になる春休みに思うなら、小学5年生の夏ごろからスタートしなければならないことになる。建て始めてからは長くて半年、早くて3~4か月というところだからだ。
最多40回と書いたが毎月・日曜日を打合せ日として、月4回、年末、ゴールデンウィークを外す(マイナス8回)とすれば、それぐらいだろうし、土曜日は奥さんや家族と意見交換をし、考えあぐねればいい。これも楽しい時間・思い出になる。
手順書に従い決めなければならないものを項目別に決めていけばいい。当然ながら、そんな細かいものは手順書には書いていないだろうから、細かな項目は自分でも決め、施工業者にも漏れがないか確認しつつ、項目設定をしていけばいい。建築法上分からない言葉がたくさん出てくる。思慮深くない設計士、担当者は、その解説はしないだろうから、都度「それは何のことですか?」とくどいくらい説明を求めることも必要だ。
私の打合せのときに出くわしたのは・・・・。
業者)「これはジンダイにすればいいと思います」
私)「あっ、そう?」
業者)「フィックスにすれば問題はありません」
私)「なるほど・・・?」
建築など、私は全くお門違いで過ごしてきたもんだから、瞬間的には全くその言葉は理解不能であった。私はしばらく考えて、ジンダイ?人台?人工大理石?「人大」と分かったが、分かって時は既に打合せの話はもっと先に行ってしまっていたし、「フィックス」に関しては、家人が「何ですか?フィックスって」と質問してくれたので、理解不能のまま聞き漏らすことはなかった。
家づくりは一回では成功しない(第180回)-知識 [我が家]
2022.1.18
こんにちは。
いつも足元に電気ストーブだけで寒さは感じないことが多いのだが、今日は日がまだ落ちていないこの時間でも寒さを感じる。思わず手揉みをしてしまうほど。
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家づくりの話です。
前回、予算のことについてお話をしたが、今回は予算に関連して、自分たちの知識を豊富にしておくべきだというお話。
この辺がアヤフヤのまま、施工会社の建築士、営業マンとお話をしていても先方の言う言葉を鵜呑みにせざるを得なくなるわけで、先方の仕切り、言い値で事が進んでいくことになり兼ねないことになる。もちろん、施工会社に相対し決戦を挑むわけではないのだが、八百屋で大根を買おうとするあなたは、家の真ん前にある八百屋の350円大根と500m先にある八百屋の100円大根、どちらを買いますか?という話です。ケチな私のもっとリアルな話をすると、近くのスーパーの100円納豆より、1キロ先の別のスーパーで80円の納豆を買ってしまう。しかもガソリン代を使って。しかし、家を建てることになると、相対しての交渉ということもあり、結構大雑把な対応をしてしまうことはないですか?という話です。例えば、ナラ材を使うと平米3万円かかるけど、スギ材なら平米1万円しかかからない。でも、見栄えがするからとナラ材を選ぶ。大根や納豆は年に何百回と買うけど、ナラ材は一生の内、1回か2回買う程度。そんな買い物をするわけですから、より深い知識を詰め込んで施工会社と額をつけ合わせて協議しないと後悔するというお話です。
今は知識を詰め込む手段として「ネット検索」という方法があり、誰でも、いつでも知識を詰め込むことができることは消費者側の強み。
一例を言うと・・・・・
家の中で結構気になるのが、床材をどうするかということ。
普通、事務所でもない限り、家に上がるには靴を脱くわけで、床はタイルか木になる。大方9割方は木を選ぶわけで、営業マンが使う言葉としては「フローリング」。その種類は「無垢」と「複合」という言葉が出てくる。もちろん、言い方はいろいろあると思うけど、突然、「フローリングはどうしますか?」と言われる。言われるほうは、その知識が十分あるのであれば「無垢にしたいので、その種類と値段(単価)と全部の面積を教えてください」と言える。複合とは重ねて貼ってある床材のことで、見た目もそうだけど、系年劣化すると剥がれてきてしまうもの。子供が小さいし、家にそんなにお金はかけないし、生活スタイルが変わったときにリフォームをするつもりと方針が決まっているのなら「複合」という選択肢が当然あり得る。しかし、そんな知識がないと、「無垢はいいですよ。傷が付いても年月とともに、それが味わいになる」と言われるままに平米単価が高いものを選んでしまう。決して施工会社は嘘を言っているわけではないのだけれど、平米単価を上げることは施工会社にとってはメリットであるわけで、そんな知識もないまま、交渉事をスタートをしてしまうと追加融資を受けなければいけないとか、泣く泣く一部屋を削らなければならなくなるとか、こちらの意向に沿った家とはほど遠いものになる可能性も十分にあるということ。
「床材-種類」、「玄関ドア-種類」、「屋根材-種類」、「キッチン-レイアウト」、「風呂-種類」などと検索するといろいろ出てくるので大方の知識は詰め込める。
PCR検査(2) [生活]
2022.1.17
こんばんは。
今日、家人のPCR検査結果が来た。私は、私が200%の濃厚接触者状態だったので、その私が発症していないということはコロナではないと思い込んでいた。特に今流行っているオミクロンであるはずがないという単純明快な愚鈍なる判断をしていたが、結果は・・・・・・大当たりで陰性であった。別にその結果が陰性であったとしても、今は既に罹患しているかもしれないという、何とも刹那的な結果判断となり、私は少しもうれしくはないのだが、家人はしっかりとコロナだと思っていたせいもあり、それはそれなりに安堵した様子。
今はとりあえず、よかったということになる。しかし、一体いつまでこの状態が続くのか。しっかり、どっぷりコロナに漬かってしまった生活(仕事)をしている労働提供の方々もいれば、全くそれとは関係なしに、ご自分の仕事を黙々と着実にこなしているIT関係の方々もいて、ますますはっきりと階層の隔たりができつつあるようだ。誰も好き好んでコロナにどっぷりと漬かっていたいわけではないが、そんな人たちをあざ笑うがごとく見てしまうのは、肉体労働者(ブルーカラー)のひがみだろうか?お互い、そんなことを望んでそれぞれの立場に立っているわけではないが、結果的にそうなってしまう構図は、民主主義の危うさを益々感じてしまうのは何でなんだろうか?
枝詰め [バラ]
2022.1.16
こんばんは。
今日は風もなく、庭仕事にはうってつけの日となった。
昨年からのカイガラムシが発生していて、ちょっと厄介だ。
これらは皆、私の目から隠れた反対側に付いていた。表側は昨年の夏ごろに多分とったんだろうと思いたい。
カイガラムシが意思を持って裏側に隠れていたなんて考えたくもない。
初夏のころ1~2本しか見られなかったが、徐々に広がっていき、9月にはほぼ全部のバラの木にカイガラムシが付いてしまった。7~8月のときは薬を使っていたんだけど、効果がはっきりと現れにくいこともあり、あんまり薬を蒔いてもと思い直し、それ以降は薬をやめ、ブラシでそぎ落とすことにした。カイガラムシの場合、小さな白い点が枝に付く。葉っぱを食べるとか、黒点病のようなことはないが、若干、元気がなくなったり、新芽が出にくいなどの症状があったような気がする。昨秋からブラシ作戦を敢行し、まずまずの成果があった??しかし、季節柄、それ以降カイガラムシは活発に動くこともなかったからこそ目立たなかったのかもしれないが、薬を蒔くよりはと思い現在に至っている。
今日は枝詰め、枯れた枝切り、カイガラムシ除去などをやっていたところ・・・・・確かに、その兆候は昨年の夏ごろからあったが、冬になるから、その害虫の活動はそうは活発にはならないという思いもあったので、強いて何もしないでいた。しかし、今日じっくりと見たら、その病状は進んでいるように見られた。いい機会でもあるし、思い切って枝をカットすることにした。その害虫はあのカミキリムシ。
これは淡雪の全体像。
枝の上のほうを見ると若干黒く見える。
実際に見るともっと真っ黒。
ちょっ寄って見た。
☜この黒い部分は全く枯れている状態。
淡雪の香りは強く。高級感を感じるバラです。
よりズームアップして見ると、手前の枝は茶色に枯れている状態。春になると復活する場合もあるけど、結構な長さで枯れていたから、まずアウトと思う。
枝が左曲がりで2本(右から2本)あるけど、この2本が枯れ始めていた。
あんまり色が出ていないので分かりづらいけど、これもアウトだと思う。
・・・・・・ということで枝をズバッと切りました。結構な長さです。
のこぎりで根本から泣く泣くカット。
☜敵もさるもの。根本の裏側が食われていた。
根本はこんな感じです。やはりここから入ったんでしょうか?丸い穴が開いていたら、そこから成虫となって出ていったはず。しかし、その穴がないところを見ると、きっとこの木の中のどこかにまだサナギがいるはず。
家づくりは一回では成功しない(第179回)-予算 [我が家]
2022.1.15
こんにちは。
今日も寒い一日が続く。家人の故郷は大雪で新幹線も立ち往生とニュースになっていた。
水窪ダムも雪の中に埋もれているんだろうか?
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家づくりの話です。
今日は予算と図面の問題を書いておきたい。
土地も決まり、家を建てるぞと決めたときから、ご家族は家の間取りが頭の中のほとんどを占めることになる。特に注文建築の場合は当然のこと。
ご主人)玄関は南向きがいい。
奥さん)いやよ。夏は暑いでしょう。絶対北向きがいいに決まっている。
ご主人)お隣のリビングが直ぐ目の前だから、それは嫌だな。
奥さん)じゃ、西側しかないわ。
ご主人)それが妥当だ。道路挟んだ向かいの玄関と向き合わないよう、ちょっとずらしてもらえば、いいんじゃないの。
奥さん)そうね。それがいいわ。
・・・・・という具合に、お二人の意見を折衷しながら図面を決めていく。家づくりは、それぞれの価値観がはっきりと分かってくるからおもしろいというか、夫婦の不仲の原因になることも大いにある作業。これが原因で離婚なんていうことにならないように注意しないと、楽しいはずのマイホームが大惨事にもなり兼ねないから要注意。
玄関を決めたら子供部屋、夫婦の部屋、リビング、ダイニング、家事室、風呂場、洗面所、トイレ等々ジグソーパズルを組み合わせるごとく家を組み立てていく。楽しい時間だ。
ここで大切なことは予算を頭に入れてはいけないということ。しかし、施工会社はそこを最初に頭を入れようとする。
と・・・・・・その前に大概のご家庭はローンで家を建てる。つまり、ローン審査を通るか通らないかが第一番目の関門と言える。例えば、頭金500万、残金4000万の家のローンを組むとする。ご主人単独か、共稼ぎかで変わってくるけど、先の見えない時代だから、無理のない予算取りをすること。ご主人単独の場合だったら、ボーナス月に返済額を増やす返済方法は取らないとか、共稼ぎだったらどちらかが失業してもいいような返済金額を設定するとか予防措置をとったほうが懸命だ。新居に入ったものの、3年目(たしか3年目から固定資産税が上がる?)で退去(引越し)しなければならないほど、挫折感、敗北感を味わうことはないからだ。
そういう我が家は、ローン審査をやってくれた施工会社の社員が普通だったら無理(通らなかった)であろうローンをムリクリをして通してくれたようであった。つまり、こちらの都合ではなく、その社員の都合だった節が若干あったようなことだったらしい。当時はバブル崩壊はあったものの、今のようなパンデミックはなく、直接の影響下に属さないこともあり、せっせセッセと繰上返済をしつつ、早期に完済することができた。
無理のない返済計画を立てることによって、お二人の給与等に異変(減額)がなければ、繰上返済をど~~んとすればいい。金利の高い低いはあろうとも、ローンがあれば無駄な金利を払い続けなければならないことに変わりはないわけで、余裕のある資金は早め早めに繰上返済すべきだというのが私の考えだ。確かに住宅ローン控除なのものがあるので、繰上返済をしないというご意見もあるが、「住宅ローン控除総額」と「繰上返済しない場合の支払金利金額の合計」をしっかり計算し、見比べ、どちらが損得か考える必要は十二分にあることは、ここで言っておきたい。
家計のやり繰りにおいて重要なことは、子供が高校入学までに極力借金は減らすべきだということ。高校生になると教育費は格段に増えていくわけで、学費は毎月定期的に支払わなければならない出費であり、家のローンに加え、学費は第二のローンと言えないこともないわけで、ローンの二重苦は極力軽くすべきだという思うからだ。
さて、図面を考えるときに、予算を考えないで考えるべきだと申し上げた理由を申し上げたい。
大方の傾向として、図面を好き勝手に引けば、大体予算をオーバーする。これは当たり前のこと。そこには夢が大きく入るからであって、寝室に金糸銀糸の屏風画を贅の限りに作らせるわけではなく、常識的に考えた素材を使ってつくって欲しいと図面を考えるわけで、そこから予算がどれだけ足りないか、じゃ、どこを詰めるのか、詰めないのかという話に入るわけであって、外壁はいいものを使う代わりに、床材は中位ぐらいの製品で抑えるとかして、使用する部材のグレードにメリハリを付けることで、より適正な出費を目指すべきだと思う。それには、かなりの信頼度の高い設計士さん、施工会社さんに遭遇することが必要となるわけで、その品定めはじっくり時間をとってすべき最大の作業となるかもしれない。
PCR検査 [生活]
2022.1.14
こんばんは。
今日はかなり冷え込んでいるようだ。こうして夜、机に向かっていてもシンシンと寒さを感じてしまう。昼間は強風でこれまた寒く感じられた。外仕事も全くできない日が続く。
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元旦以来、家人は風邪? コロナ? どっちだかは分からない状態で、発熱、咳が2日、3日と続き、2日間飲まず食わずで過ごし葛根湯とパブロンでしのいでいたが、4日目からは何とか熱も下がり、咳も収まってきた。前にも書いたが正月の残った食材がたんまりあったので、どこにも買い物に行くこともなく、10日ぐらいまで二人で家の中で過ごしていた。幸いなことに家人の風邪?は移ることもなく私は現在まで過ごしている。
しかし、来月早々現場に赴かなければならない仕事があるのでPCR検査をしたいと家人の申し出に、そう言えば、千葉でも無料でPCR検査が受けられることを思い出し、今日薬局に行ってきた。
検査自体は簡単ではあったが、その前の手続きにえらく時間がかかってしまった。彼女のスマホの不慣れも手伝ってなのか、システムの使い勝手が悪いのか、両方相まってほぼ1時間ぐらいかかって手続きが終わった。薬局からスマホと身分証明証を持ってきてくれと言われたが、スマホは持っているが、電話利用だけでほかの使い方、ましてQRコード読み込みなるものを知らない高齢者にとっては、かなりハードルが高い申込手続となった。
薬局は、今もっとも勢いのあるウェルシアだったが、根本が無料だからということなのか、そのお店の人手が足りないということなのか、担当者は余り積極的には関与してくれない感じで、唾液採り、ラベル張り、梱包などはみんな自分でやらなければならなかった。
結果は1週間ほどらしいが、彼女は陽性間違いなしと思っているし、私は今のところ全く移った形跡がないので、ただの風邪だろうと踏んでいるが、果たして、その結果はいかに。
家づくりは一回では成功しない(第178回)-排気口と外壁 [我が家]
2022.1.13
こんにちは。
今日はお墓参りに行ってきた。年末、掃除に行けなかったので、その罪滅ぼし。また、来月父親の17回忌、母親の3回忌をやることになった。少々バタバタ状態の世相ではあるけれど、私たちだけでやることにした。正確には昨年やるべきところだったんだけど、コロナ禍でそれどころではなかったのが、正直なところ。
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家をつくる上で、余り気にしないのが色かもしれない。洋服をコーディネートするごとく、(帽子)屋根はブルー、(ブラウス)壁は白、(スカート)下半分は赤、(靴)土台は黒・・・・・なんていう配色は誰も考えはしない。屋根は黒か赤茶かブルー。壁は白か黒か茶色の煉瓦、最近は黒い壁を好む方もいる。サッシは白か黒かブラウン。雨樋は大体壁の色と同系色と通り相場は決まっている。
最近、よく見る情景だが、外壁が2~3年すると黒く汚れが目立ったり、緑色のかび(コケ)?が生えている家が多い。黒い汚れは台所からの排気口だったり、風呂場からの排気口だ。緑色のかびは北側とか、隣家との間で日当たりの悪い場合に必ず発生している。どんな家でも日当たりの悪いところは緑色のかびが発生するが、余りにも頻回で早過ぎる。この原因はなんだろうか?
排気口のほうは、排気口と外壁とがぴったりと密着しているので、どうしても、水分や油分を含んだ排気は外壁をなめるように外に排出されるからだ。お風呂場からの排気口も水分を多く含んでいるため、排気の質としては思いの外、重いこともあり、外壁にくっついてしまうのがその原因だろう。
昨年(建てて2年目)、我が家も風呂場の排気口の周りが黒ずみ出したので、ハシゴに上り、周りを拭いたことがあったが、汚れはほこりっぽいゴミであり、エアコンのフィルターの掃除をしたことがおありだと思うが、その汚れが外壁にこびりついている感じであった。これは固めのブラシで拭き払えば事なきを得るが、そう毎度毎度やっているわけにはいかないし、うっかり放っておくとこびりつき、たちが悪くなりそうな汚れだ。
施工会社の人間にその旨を正すと、言う人ごとに理由は違っていた。しかし、それらを皆総合すると、彼らはそんなことは考えておらず、我々素人が考える範疇と同様か、それ以下で、私の質問に対して、どう反論しようかと無理やり考え出した言い訳にしか過ぎないことがありありであった。つまり、当てにはならないということ。
我が家の近くで最近建てられた建物で、やはり看過できないほどの黒ずみが出始めた家があったが、1軒はまだそのまま、もう1軒は外壁を塗り替えたようだった。塗り替えると簡単に言うが、塗り替えるためには、足場を組んだりするだけで何十万というお金が消えていく。そんなことに無駄なお金は誰も使いたくはないはず。
この汚れを回避する方法は1)外壁は汚れの目立たない色にする。2)排気口の周りを養生する。3)排気口の形状を変えるぐらいだろうか。
1)については、黒系か茶色っぽい外壁にする。
しかしながら、外壁は白色が一番安い。色が付いているのは若干高いようだ。外壁は施工面積が結構な量になるため、どうしても単価の安いものに気持ちが行ってしまう。
2)については、排気口の周りにアクリル板を付けるという方法だ(我が家はDIYを考慮中)。アクリル板は5ミリ程度あれば十分。何枚か打ちつけておけば、外壁に汚れが直接付く量は俄然減る。しかしながら、そのアクリル板を年1度、大掃除のときぐらいは拭き取らなければならないだろう。
3)については、我が家の施工会社に何とかしてほしいと言ったところ、排気口は普通上と下にあるのだが、それを上のほうはカバーがされて閉じられてあり、下側のみ排気が出るタイプを持ってきて付けるということだった。これが十分に効果があがるとは思えないが、一応、付けることにした。(昨年末に来たまま、まだ取り付け終わっていない)排気口の形状に関しては、排気口が上下のものと片側(下側)だけのものしかないようであった。
排気口の話は、写真を掲載しないと分かりにくいので、後日写真を掲載することにして、家の外壁の話をもう少し。
外壁は材料によっては、いとも簡単に100万、200万の違いが出る箇所。
それは1階15坪、2階15坪の小さな一般的な家だとしても、その家の全部をの覆うわけだから、その面積は結構な広さになる。つまり、お金がかかるということだ。大体外壁の話が出るのは、設計士との面談の最終段階に入ってからすることが多いはず。これは建て売りであろうと、オーダーメイドであろうと同じだと思う。
業者)「外壁はどうなさいます?」
施主)「どんなのがありますか?タイルっぽいのがいいなと思うですが・・・」
業者)「1枚、1枚貼り付けるのは高価になりますし、日数もかかりますので、タイル調の外壁になりますね。窯業系サイディングと言います」
ここまで来ると最終的な価格帯も出てきて、おおよその値段も把握できるわけだが、外壁のタイル調を外せないとすると、100万オーバーする、200万オーバーするという話になり、あそこを削ろう、ここの材質を1ランク下げようなどという話になってくる。
ここでやってはいけないのが、外壁質のダウンだ。ご存じのように家は5~10年ぐらいに一遍はペンキ(シーリング)の塗り替え(張替え)をやる必要が出てくる。これは外壁と屋根が対象になる。その点、タイル調(窯業系サイディング)と瓦は、そのことを心配する必要がない。やったとしてもシーリングを代えることぐらいだろう。つまり、タイル調の外壁そのものの交換はまず必要はない。
我が家の話で恐縮だが、以前住んでいた家はお金がない状態の建て売りだったものだから、外壁がどうのこうのと選べる状態ではなかった。20年前ぐらいに全盛だったサイディング材が使われていたため、断熱も悪かったし、系年劣化により、シーリング(板と板のつなぎ目に使うパテ)にヒビが入り、そこから雨が進入したため5ミリほど反ってしまった箇所が出てきた。その結果、反り返った部分のサイディングを交換し、家全体のペンキを塗り替えるか、外にタイル調のサイディングを張るかのどちらかの方法があると提案されたことがあった。私たちは外断熱のほうをとって、タイル調のサイディングを張ってもらったのだけれど、そのほうが定期的にペンキを塗り替える必要もないので、タイル調のほうが値段は張るが、ペンキ塗り替えの経費を考えると、とんとんか、もしくはタイル調のサイディングを張ったほうがは安くなることを体験した。
最終的に外壁をどうするかとなったとき、外壁だけはいいものを使ったほうが、10年、20年先を見たときに、余計なメンテをしなくても済み、結果的に出費は抑えられるということになる。
剪定 [バラ]
2022.1.12
こんばんは。
今日は晴れてはいるけれど、一日中強風で寒い一日だった。
しかし、ピエール・ド・ロンサールの咲き柄摘みをさぼっていたので強風の中、決行した。
12時ごろまでは直射日光もほどほど照らしていてくれたので、結構暖かく感じられた。昼食後、日光は少しだけ傾いただけなのだが、風もより強まってきたためか、かなり寒さを感じてきた。しかし、途中でやめるわけにもいかず、作業続行。ピエール・ド・ロンサールのほか、2本のバラを枝詰めをした。
スマホを用意する余裕もなかったので、手書きを枝詰めの様子を書いた。
これは枝をのこぎり(実際は剪定バサミ)で切るところ。
黒く縫った三角棒は新芽。
ここを切ると残った新芽はどういうふうに出るか?
当然、矢印のように枝は大きく左(真っ直ぐ上)にカーブを描いて伸びていくはず。
枝元は右に伸びているので、新芽にとってはかなりの無理(負荷)がかかることになる。もちろん、伸びないことはないのだが、大きく無駄な弧を描いて左(もしくは真っ直ぐ)伸びていくことになる。
続いて、この画は新芽(のこぎりの下/右側の黒い三角棒)の上を切るところ。
残った右側の新芽は大きく右(真っ直ぐ上)に伸びていくはず。
枝元は右に大きく伸びているわけで、それに沿った形で無理なく枝は伸びいくことになる。
つまり、枝詰めをする場合、その下にある新芽をどちらに伸ばしたいか(元枝に沿って伸ばすためにはどこから切ればいい?)かを常に考えながら剪定しなければいけないということ。
今までは、新芽の向きなど考えずに、適当な感覚で切ってしまっていたが、元の枝に沿った新芽を残しておけば、春を迎え、シュートが出てきたときに「あっ、反対に伸びてしまった」と無理にシュートを誘引⇒断枝という結果を生まずに済むというお話。
こんなことは誰でも分かっていることだとは思うが、愚鈍は私は去年あたりからやっと気づいたというお粗末なお話の一節。
長い歴史のヒトコマに過ぎないんでしょう [新聞記事]
2022.1.11
こんにちは。
朝方より日中のほうが寒さを感じてしまう。今日は一日曇り&雨。じっと家でやるべきことをやるしかなさそう。
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今回のコロナ騒動で、ようやくそのサイクルが分かってきた。第一波から第六波まで丸2年を経過し、それぞれの波の中間地点=感染者が収まったとき、ここが動き目。そこで外出行動をするしかなさそうだと誰もが学んだ。
現役世代に向かってこんなことを言ったら、「馬鹿か、この糞おやじ!」と罵られそうだが、今までのコロナとの闘いを見ていると、どうも分が悪い。英知を絞っていろんな防御、防波堤を築いても、それを易々と突破し続けているのがこのウイルスで、今のオミクロンだって、いずれ別の株に置き替わりそうそうだということは、素人の私にだって予想はつく。
ちなみにギリシャ文字は
これだけあって、この後なんという名前になるのかは全く興味がないが、オミクロンでジ・エンドとはいかない可能性のほうが高い。
10年ほど前だけど、外国でこんな話があったことを思い出した。
外国ではいろいろなところでいろいろな研究がしなされているようで、75年前の死んでいるはずの炭疽菌で男児が死亡したという話もあるし、地球温暖化はまたしても我々に試練を与えようとしている。
今回のコロナ禍で多くの方々が亡くなった。この先も同様のことが起こり得るわけで、人間もだんだんと自然淘汰されていくんだろうか? その時代時代に栄華を究めた種は、いずれその環境に適応できずに衰退、消滅していくのが生物起源の鉄則だということは愚鈍な私でも理解できる。人間は愚かのもので、自分がこの地球上で最強・最高の種であると思っている節が多分にあるわけで、今回のこともいずれ収まるに違いないと誰もが思っている。確かに今回はいずれ収まるかもしれないが、遠からず、その「収まらない時」が来ることは間違いないわけで、それを理解して生活していかなければいけないのかもしれない。その様子を近視眼的に見ることは遠慮するとして、次の世界に逝ったときに、俯瞰して見れればと思うのは不謹慎ながら限りなく真実に近いかもしれない。
家づくりは一回では成功しない(第177回)-土地購入の条件 [我が家]
2022.1.10
こんにちは。
今日の朝は比較的室温は高かった。そのためか庭の雪はほぼ消えた。あんなにいっぱい残ったままで、少々困ったなと思っていたのだが、気温が高かったため、あっと言う間に消えてしまった。
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家づくりの話。
土地を決めるときに注意しなければいけないことは、方位、日当たり、地盤の高さ、隣地との高低差、前面道路の幅。公道か私道か。セットバックの有無。ライフラインと呼ばれる水道、ガス、電気。
【ライフライン】水道はほとんどが公営水道だと思うが、井戸水は生活用水としては余りお勧めはできない。電気に関しては問題はないが、ガスに関しては公営ガスが来ていなければ、当然、プロパンガスとなり日常の生活に大きな影響が出てくる。第一にプロパンはガス代が高いこと。扱う器具(ガス台)が違うので、これまた出費がかさむ。それにガス漏れ等のリスクもある。
【立地条件】自然災害の多いこのご時世に崖地を含む土地をご購入の方は少ないと思うが、値段が安いので、ついつい目が行ってしまう。300㎡のうち100㎡が崖地なんていうところも平気で売りに出されているので注意したほうがいい。
【水回り】水はけの問題。雨水は高いところから低いところに流れる。当然の話ではあるけど、これは天気のいい日では分からないことだ。大体、土地を不動産屋と見に行くときはピクニック気分で天気のいい日を選びがちだが、絶対に雨の日がお勧めだ。雨は嘘をつかない。どんなにセールスマンがいい土地ですと声を張り上げたとしても、雨は足元に落ちて流れていく。その道路は水が溜まりやすいのか、周りの家々の片隅に土嚢が積んである家はないだろうか?庭の片隅に土嚢が積んである家は、間違いなく雨の日、水が押し寄せている証拠だからだ。U字溝はちゃんと道の両側にあるのか。そして泥は溜まっていないか?
【日照】これは日当たりのいい家を好まない方もいるようで一慨に言えないのだが、大方の方は日当たりのよい家を好むはず。南を広くとって、家に日差しを呼び込むのが普通だ。日差しが一番傾く(家に日差しが当たりにくくなる時期)冬至前後を基準に日照を考えたほうがいい。「水はけ」と「日照」相反する条件下で、その土地を見なければいけないということになる。
【環境】隣近所に問題はないか。学校、スーパー、銀行は近いか。防犯上の問題点もリサーチする必要はありそうだ。いずれにしろ、生活基盤をしっかり調べることは重要なこと。自治会、町内会の実態等々十分に調べる尽くすことはやって損はない。自治会、町内会等は不動産屋に聞けば教えてくれる。
土地購入時、大切なことは急いではいけないということだ。急ぎたいのは不動産屋のほうだけであって、建主になるあなたはど~~んと構えて図面なり、土地の状況を調べてから判断を下せばいい。「ほかの方からも声がかかっています」などの誘い文句にグラついてはいけない。
特に南側の隣地との土地の高低差がある場合には注意が必要だ。
恥ずかしながら、我が家と隣地とはブロック4枚の差がある。向こうが4枚高い。これを施工会社は全く考えていなかったわけだが、当然、冬場の日照が悪くなるわけで、図面だけを見て判断する設計士だと、とんでもないことになる。
やはり、彼は本物だ [新聞記事]
2022.1.9
こんにちは。
今日も晴天。しかし、寒い。1本だけ咲き柄摘みをしていないバラの木があるので、少々気がもめるのだけれど、あと2~3日は動きたくない。それに我が家の庭にはまだまだ雪が結構残っているので、その気持ちは益々助長される。年寄りとグウタラには降雪はぴったりと相性がいい。
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話は変わります。
正月ということもあり、各界のスポーツ選手なんかがテレビに引っ張りだこ?最近は好きな番組を録画して見るぐらいで、ゴールデンタイムのテレビを見なくなった(おもしろくなくなったというのもあるかも)ので、よく知らないせいかもしれないが、彼の姿をテレビでは見たことがない。話題にはよく上がっていて、昨年の活躍なんかが一番組として取り上げられていたりしているんだけど、彼、ご本人のご登場を私は見たことがない。
年末、彼は日本に戻ってきていて故郷で過ごしていたはず。シーズンが終わって彼の話題で持ちきりだったとき、日本に帰っても直ぐにトレーニングをするみたいな意味合いのことをポツリと言ったことが妙に印象に残っていて、「そうだよね。来シーズンもあるんだし、マスコミとか、テレビなんかにかまけてはいられないかも。厳しい世界だし、活躍あってナンボの世界だものね」と妙に納得していた。結果的に、その言葉どおりに彼は行動し、外野のわいわいと褒めそやす雰囲気に一切浮かれることなく、地道にランニングとか、ピッチングとか、柔軟体操で身体づくりに専念しているんだろうと思うとホトホト頭が下がる思いだ。
その彼は大谷だ。テレビにしてもマスコミにしても褒め殺すのが得意だ。それを知ってか知らずかイチローにしても、大谷にしても、地に足が着いている感じは見習わなければいけない。自分なんかは少しでも目立とう、認めてもらおうというタイプだから、そんな機会があったらホイホイと喜んで後を付いて行きそうで、結果的に自分を見失ってすべてを失う。
「まあ、そんなことあり得ないんでね。ご心配は及びませんよ」と肩を愚息たちにたたかれそうな話だけど、正月だから、これは自分へのお年玉ということでお許しあれ。
家づくりは一回では成功しない(第176回)-坪単価 [我が家]
2022.1.8
こんにちは。
千葉の空は快晴。
今年はいつもの年より年賀状が少ない。自分が年を重ねるということは、相手も年齢を重ねるわけで、当然といえば当然なことなんだろうけど・・・。賀状の中には、これで賀状納めにしたいと書いてあるものもあったし、確かに面倒くさいといえば面倒な作業だ。私はどちらかというとメール派。メールはたくさん書けるから、クドクド説明好きな私としては、たった2~3行しか書くことができない年賀状は思いの丈が全く伝わらないので好きではない。
学校を卒業以来、校内でのみの友達だった人間が二人いて、卒業以降は全く会ってはいないにもかかわらず、律儀に毎年年賀状をいただいていたが、どういうわけか、二人とも今年は来なくなった。来ないとなると妙に気になるもの。元気でなくなったのか? コロナにでも罹って大変な生活を送っているのか? 病気患いをしているのか?などなど不吉なことばかりを考えてしまう。せめてアドレスを知っていれば、もう少し気楽に連絡できたのにと悔やむばかり。
でも、ぐうたらには「賀状じまい」はちょっと魅力的な響きではある。
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家づくりの話で、今回は坪単価について。
坪単価はあくまでも平均値の話。床の間の「和室」と「玄関」では、自ずと単価に違いは出てくるのは素人でも何となく分かる。畳は8畳なら8畳で完結する。1畳1万円なら、8畳で8万円ですと言われれば、それはすっきり飲み込める。しかし、和室に使われている柱、床板は、そこだけで使われているわけではない。和室が2階なら、柱は当然1階からつながっているわけで、坪単価計算で柱1本3万円÷2=1.5万円と計算はされていない。
それに配送単位というものがある。6本1組とか、10枚1組とか。例えば、床板が15㎡必要だとしても、配送単位(出荷単位)が10枚1組(16㎡)であれば1㎡は無駄になり、廃棄されるわけだが、単価としては計上される。つまり、そうそう諸々のものすべてを含めて坪単価は計算される。もちろん、設計料、大工さんの人件費も含めての話。
しかし、私たちが知りたいのは、往々にしてこんなときだ。
1畳の玄関を3畳に広げたいとか、リビング南側に廊下を加えたいとか、図面が最終的に決まりそうなときに限って、結構いろいろなことが出てくもの。それに対して坪単価で言われてしまうのは、ちょっと腑に落ちないことも多い。坪単価100万になるとして、玄関を1坪増やすだけで100万プラスされるの???という疑問。
ここは一工夫し、施工会社には嫌がられるけど、より具体的に話を分解してご説明をいただいたほうがいい。向こうは専門家だから、そういう細かいグドイ話はできないわけはないはず。
自分のお気に入りの家をつくるためには、ねばりと時間と根性が必要かもしれない。
やっと去っていった [生活]
2022.1.7
こんばんは。
実は今月4日から愚息1名が我が家に舞い戻ってきた。嫁の実家に行った次いでに今週いっぱい嫁の家でリモートでやるつもりだったようだが、嫁の実家も大人数のようでいい顔をされなかったと4日の朝方早々電話が鳴った。「あと30分ぐらいで着く」とのコメントに面食らいながらも、眠い目をこすりながらも、とりあえず受け入れ準備をするはめになった。
家人「いつもお嫁さんにはよくしてあげているのに、 そんなお母さんだとは思わなかったな」とポツリ。
私「人間なんてそんなものだよ。いい人だと思っても裏ではそうじゃないことも多々ある。他人に多くを期待してはいけないね」と返事。他人に多くを期待しないことは人生の鉄則だけど、まま、不意を突かれると動揺が走り、ついつい愚痴が出てしまうのは私も同じだ。
愚息は朝9時始業。一日のうち1時間は上司とのミーティング。あとは営業先、部下、同僚などなど、いろいろなところに電話をかけたり、zoomをしたりしている様子。終業は19時過ぎ。ハードと言えばハード。座ったままずっとだからデブルばかり。
私たちの仕事部屋をあてがい。モニターはセパレーツ(分割)にして、使いやすさ、静かさ、居心地のクウォリティ、それに3食/お風呂付きという厚遇。
その4日間が終わる。やっと終わる。家人は正月からの風邪が直らず。これはコロナなんだろうかと疑いを持ちつつも、雪も降り、スタッドレスなんかは2年前からあきらめている私にとっては、雪の日は一方的な休業日と決めているわけで、病院はもちろん、買い物にも行かないつもりだし、行けるはずもない。幸いなことに正月明けということもあり、食材は山のようにあったので、今日まで、全く食材を調達しないでやり繰りをしてきた。もちろん、やり繰りをしてきたのは家人で、当然、風邪は直らず、今も咳でむせっている。
その愚息も明日朝早々に嫁の実家に帰っていく。やっとお荷物がなくなる。あとは家人がコロナではないことを願うばかりだが、このオミクロンは軽症気味が多く、咳、熱など風邪と同じ症状だとか。私に伝播していないところをみるとオミクロンではないと思うが、私が無症状者ということもあるし、検査をしないと分からない。こんなふうに思って過ごしているご家庭は多いんだろうなと容易に想像される。
今回の件は、老いさらばえて行く自分たちと子供たちとの距離感をどうとるべきかを考えさせることとなった。もちろん、その結論はそう簡単に出るはずもないが、総じて世の子供たちは、親が老いることへの斟酌がないのだと感じる。そういう私も若いころ、その中の一人なので大口はたたけないが、自分の親は、この気持ちをどう処理していたのであろう。我が家は盆暮れのうち、暮れは確実に親元で実施。しかし、私の母(姑)は余り動く方ではなく、家人がいつも一生懸命おせちをつくっていた。
詰まらぬことをダラダラと書いてしまったが、やはりここは嫁さんの奇跡と言えるほどの奮起に期待するしかなさそうだ。
抜け穴 [新聞記事]
2022.1.6
こんばんは。
不謹慎ながら今日はうれしい降雪。ジジイのくせに考え方が幼いから困ったもんですと自虐的に言っても始まらないが、昔から何となく心が踊る。ちょうど祭りが近づくにつれて、神輿担ぎのお兄さんは仕事も手につかず、脱兎のごとく祭り場に走り出すかのように。
家の前の雪かきも大変で寒いけど、ちょっと楽しい。でも、今回は寄る年波で腰痛がぶり返すのも怖いので様子見。しかし、近所では全く雪かきをしている様子がない。前に住んでいた家の周りは、自分の家の前だけはやる感じがあったけど、ここのご近所さんは今のところ誰も出てこない。明日、身体と相談しながら少しずつやってみよう。
車通勤の人もいるはず。でも、明日になるとカチンコチンでスコップも歯が立たないことは分かり切っているんだけど、今夜だけはどうもいかんのです。
もう少し若い身体があったらなぁとつくづく実感。
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話は変わって、コロナの再拡大が続く。
今回は前回とは少し違って「来るよ、来るよ」と言われ、やはりど~~んと来て、準備万端にしようと言われ続けていたけど、やはり、前回と同様人手不足、扱い手不足、施設不足でかなり劣勢、ディフェンスに回らざるを得なくなってきた。前回同様、専用病院病棟、ホテル、自宅の流れは同じようで、病院がいっぱいになったら、ホテル、自宅待機となるんだろうと察しはつく。前回より変わった状況は、ワクチンを打って少しだけ我々の身体内に免疫力が付いていることだろうか。それが理由の多くを占めての結果が重症化の激減?ウィルスの弱毒化もあるのだろうが、それの検証結果はまだまだ先の話だ。
しかし、米軍基地の無責任ぶりは困ったもんだ。誰も基地が発症の根本原因の一つになろうとは思わなかったに違いない。青森県三沢市、東京都福生市、神奈川県横須賀市、山口県岩国市、長崎県佐世保市と沖縄県に米軍基地があるけど、そのうち2つ基地周辺が今ブレイクしてしまった。これは地位協定以前の話で、岸田首相がはっきりとバイデンさんに電話でクレームを言ったほうがいいと思う。周りの住民は大迷惑だ。
もう一つ問題なのは、安倍さんがまたとんでもないことを言っていたことだ。読売新聞の報道だから嘘ではないと思うが、「感染症法上の分類を季節性インフルエンザと同じ『5類』として扱う手はあります」と言ったとか。もし、そうなったら、普通の生活が可能にはなるが、我々がコロナに感染しときの病院での治療費は実費となるし、まだ飲み薬も完全にはできておらず、市販の風邪薬でしのぐしかないないわけで、重症化したら実費で隔離病棟入院、更に重症化すればエクモを装着しなければならず、どれほど医療費を支払わなければならなくなるかわからない。何年後かには5類になってほしいもんだと日本中の誰もが思っているが、今はまだ国の保護のもと、ワクチン対処、飲み薬の完成を目指すべきだと思う。それよりも、ご自身のアベノマスクの総括をすべきで、倉庫管理費6億円、8200万枚のマスク代(1枚100円として)82億円、合計88億円の失政をまず自己総括すべきだろうと思う私の気持ちは、皆さんとイーブン・・・・・・・・・だと思いたい。
新しい提案 [生活]
2022.1.4
こんばんは。
今日もあっという間に過ぎていった。家人が風邪ということもあり、一昨日・昨日とmazonプライムを見たり、ピアノをやったりと自由に過ごした。彼女は2日間、バナナ1本半しか食せずに寝て過ごしていたこともあり、私は一人ではないけれど、一人のような生活ができたということは心なしかうれしいことでもあった。時間を自由に使えるということは、かなり貴重なこと。しかし、これが独身の身だったら、いつも時間を自由に使えるわけで、そんなことに新鮮味を感ずるはずもないことになる。不自由の自由、これが一番の贅沢であるということは、不自由になってみなければ分からないことではあるね。
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・・・と詰まらない話ではあるけれど、もう少し詰まらない話を少し。
前回、書いたことだけれど、年末・年始を故郷で過ごした御仁も多いかと思う。そこではいろんな軋轢が今年もまた生まれたはず。どう考えても所詮は他人が同じ屋根の元に一日、二日、多くて三日過ごすわけで、その「たかだか」を我慢することができない人間の愚かさは聖人君子であっても克服することはできないことかもしれない。
前回書いたことなので、どういう状況であったかは書かないけれど、お互いの不満をぶつけ合って仲直りというケースは99%ないのが、この関係であるからして、喧嘩はできない、してはいけないというもどかしさが永遠に最後まで残ってしまうんだろう。これは世代の違いでもなく、考え方の違いでもなく、DNA的な感覚の違い????なのか・・・難しいとつくづく思うね。
でも、自分の親なら、どんな文句を言っても後にしこりは余り残らないだろうけど、嫁が姑に、姑が嫁に言ったが最後、絶交状態になることは明白だろう。今はどちらかが我慢をする。そういう状況なんだろうと思う。
そこでない頭で一生懸命考えてみた。
実家に帰らなければいい。帰るのは、実の子供だけ帰ればいいと宣言すれば、何のわだかまりも起こらないに違いない。
嫁は嫁の実家に帰省し、婿は婿の実家に帰省する。孫たちは、行きたいほう(一番面倒見のいい爺、婆のほうに)帰ればいい。通常、嫁は子育てにクタクタなんだろうから、旦那さんの実家に孫を連れて行くのが一番ベストかもしれない。そうすれば、嫁は子育てからも解放される。孫を預かる実家は、多分、孫とは相性がいい爺・婆なんだろうから、爺・婆の身体は疲弊するかもしれないが、タップリ遊べ、いい思い出ができるだろう。
我が家の場合だけではないと思うが、嫁に食事を用意するのと、孫に食事を用意するのでは雲泥の差がある。別に豪勢な食卓を囲むわけではないが、孫だったら食べたいものをつくってあげればいいわけで、お体裁をとらなくてもいいことは、作るほうとしては大変気が楽になる。
例えば・・・・
【ある日の朝食】
孫・・・・・・バタータップリのパンケーキとジュース。「これでお腹いっぱい」と言う。
しかし、嫁(婿)に食事を出すとなると・・・・
ご飯・味噌汁・焼き魚・玉子焼き・ほうれん草のおひたし・漬け物、このぐらいは最低限作らなければいけなくなる。
これは一仕事になる。これを最低3食、最悪・最長3食×日数となるわけで、ボロも出るだろうし、ストレスも感じないほうがおかしい。だから、皆嫌な思いをすることになる。生まれた環境、生活習慣が違うから根本的に違和感を感じるのは当然の帰結であり、誰が悪いというものでもない。大根の切り方、食器の洗い方、拭き方等々、どれも取るに足りないものばかり。だから無理は禁物。
我が家は、そういう方向でいずれ言おうかと思っている。新年早々、こんな提案はいかがだろうか?
EUの決断 [新聞記事]
2022.1.3
こんばんは。
家人は元旦より発熱。どうやら愚息の風邪が移ったようだ。彼の症状は私のそれと同じことが多く、こと風邪に関しては発症過程から症状はいつも同じだ。親子だから当然と言えば当然なのだが今回は幸いして、私の持っている薬を分けてあげた。そのせいか多分、治ったようだ。家人は市販薬の葛根湯を初期に飲んだが遅きに失したようで、パブロンを昨日から飲み始めた。1日から3日の間、コロナに罹患したとは思わずいたのはノーテンキと言うほかないが、コロナと思いたくない気持ちも多分にあり、本当にコロナだったらどうするんだろうと思うばかり。新年早々病院もやっているところは少なく、事なきを得そうなので、ひとまずほっとしている。
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今日、原子力の話が飛び込んできた。
「脱炭素社会の実現を目標に掲げるEU=ヨーロッパ連合は、原子力発電についても「持続可能な経済活動」として、投資を促す方針を明らかにした。」
つまり、原発を脱炭素の切り札の一つにしようと決めたということだ。原因はエネルギー価格の高騰にあるわけで、何のことはない、ここでも経済重視の考え方がはびこっていることになる。原子力はご存じのように核のゴミをどうするのかという問題はどこの国でも解決されていない難問だ。ヨーロッパのEUという大きな組織内にあって、もし仮に原子力が持続可能な経済活動だと認められれば、大手を振って皆飛びついてくることになり、核のゴミはますます大きく膨らむことになる。確かヨーロッパのどこかで核のゴミを地底深くに埋める手はずを整えてはいるというが、本当にそんなことをして大丈夫なんだろうかと不安は拭えないのは世界のみんなが思っていることだ。
折しも、今朝BSで福島の帰還困難地区の今をやっていたが、まだまだ本格的に帰還はされていないし、野生動物が堂々と闊歩していたり、草木が大きく繁っており、全く完結していないことがよく分かった。以前、無知な私は帰還困難地域は全部ソーラーパネルにして、発電すればいいと無責任なことを思ってしまったが、あの地域は多くの米作農家がおり、おいしいお米がよく収穫されていたところで、在住の農家の皆さんは、7年かけてやっとのことセシウムの未検出の状態にまでたどり着くことができたと言っていた。それに昔林業が盛んな地域で、今も多くの林業を生業にしている方々がいるということだったが、木の幹・皮には、まだ多くの放射能物質が入り込んでいるようで、放射性濃度がかなり高く、木を売ることは全くできない状態らしい。
持続可能な社会を実現するために脱炭素を目指し、化石燃料をやめ、再生可能エネルギーに舵を切ると思ったが、ガソリンの高騰により経済的に苦しくなると、再び原子力に戻る政策を考えるというのは、人間の愚かさを露呈してくれているようで、正月早々、夢も希望もなくない話になりそうだ。
ついに新しい年が始まった [生活]
2022.1.1
明けましておめでとうございます。
・・・ということで喜悲こもごも新しい年が明けてしまった。
どこのご家庭と同様、我が家も大晦日は年越しのイベントが花盛り。我が家はすき焼きと年越し蕎麦は毎年の恒例行事。と同時進行で元旦のおせちづくりと忙しい。ここで愚息と嫁の失態を攻めるつもりはサラサラないが、どこの家庭で毎年繰り広げられる、それぞれの立場でのそれぞれの憂鬱、恥ずかしながら、我が家でも当然それは存在するわけであって、別に悪気があっての愚行ではないだろうが、お互いの遠慮がお互いを返って苦しめることは往々にしてあるようだ。片や40年なんなんとする家事のセミプロがおり、片や10年の家事の卵がいる。当然、至れり尽くせりすればするほど、10年選手は萎縮してしまうのだろうし、かといって、向こうの出方を見てばかりいては家事は進まず、仕方なく、こちらが主導権をとってしまう結果となることも多々ある。客観的に見て、今回はいいとして、次回はと思い続けること、早10年。一向に変わらぬ所作を見るにつけ、ここまで来てしまうと、流石に気の長い我々も少々迷いが出てくる。こちらも段々と年齢を重ねるばかりで、それ相応に体力が増強するわけもなく、衰えていくとを考えると、若い二人がお互いにいいと思って選んだ人間同士の家庭は尊重すべきであるので、結論として私たちが遠くに離れ生活をすることがお互いのためではないかと思うに至った。
新年早々大変重い話になってしまって恐縮の限りだけど、毎年、毎年こちらが感じることは、彼らも当然感じていることであろうし、いずれ折りを見て、何となく彼らに伝えなければならないことになるのではないかと思う新年となった。
家事というのは会社の仕事と同じで、チームなり、組織なりで動いていくものであり、同じ場所に留まることはないものだ。一人、二人を相手にするものでなるならば、チーム、組織と大上段には構える必要は皆無だが、11人もの人数を相手にすることになれば、正月の下準備、量などは日常のそれとは雲泥の違いとなる。チームなり、組織で動くことができないとなれば、会社組織では、当然、そこから離脱していく。そこが巷間、年末・年始実家往来騒動の実態なんだろう。そんな中、我々が必死で食事の支度をしている最中、ポケモンゲームをしているような若者たちに三顧の礼をもって臨む必要はあるのだろうかと疑問を持ってしまった。