一人 [生活]
2023.5.21
こんにちは。
千葉はどんよりとした一日。少し木漏れ日的な太陽が地上に差すものの、それは一瞬で切れる。
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先週末(金曜日)より家人は実家に帰省中。義母上様も90歳を超し、大分弱ってきたと言っていた。母上様の様子も見つつ、依頼された留守番も兼ねてのこと。本人も体調は良いわけではなかったが、約束だからとパブロンなどを飲みつつ出かけていった。
「お互い一人になったときの訓練よ」ということで、一人でも節操ない生活はしないようにと思っている。とはいってもタカダカ2~3日の話で何のことはないんだけれど、「千里の道も一歩から」と言えないこともないので、いつもと同じルーティンを心がける。
ここ2日間はもっぱらwordpressでのホームページの制作に時間を費やす。毎日、1~2時間は費やすんだけど一行にはかどらない。もともと鈍な人間なんだけど、全くの門外漢の世界なためか、鈍はより先鋭化していく。「鈍なもんだい!」と孫が小躍りするような洒落でも言いたくなる。
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先日、家人の高校時代からの親友が遊びに来た。家人は39度の発熱を押して計画は強行。私は根性なしだから、そんな状況ならさっさと電話をして断るほうだけど、家人は予定はきっちりと守るのを「是」としているので、今回も断ることはなかった。人生後半になっても親友がいることはすばらしき財産で、私などはいることは一人いるのだけれど、ワクチン接種をこの期に及んでも一回もしないし、未婚独身であることでも、その生活の様子は「家について言ってもいいですか?」からも容易に想像がつくというもの。そんなこともあり、ここ5~6年は電話での交流でしかなくなった。学生時代の友人は何年経っても直ぐに溶け込める不思議な力がある。私の親友もそれに値している。だから少し・・・かなり、うらやましい。
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ここぞとばかり、電話魔になる私。遠慮がちに孫にメールをしたら、返信でビデオ通信が来た。彼らはちゃっかり富士の麓(名前は忘れた・・・なかなか予約が取れないらしい)にキャップに行っていた。みんな代わる代わる笑顔と声が見・聞くことができた。
姉の嫁ぎ先にも電話をしてみた。義兄が出た。彼も大病を患っている。姉も先日、櫻を見上げついでに坂道でつまずき、骨折した。時は相も変わらず容赦なしだ。
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今月中に3000日を切るであろう私の健康寿命。一人を見つめるいい時をいただいた。
ざわつく金曜日 [マネー]
2023.5.19
こんにちは。
世の中は混沌たるニュースが後から後から絶えまなく続いていく。市川猿之助・・大谷・・・ヒグマ・・・梅村国会議員・・・。コロナも集団免疫を獲得した方が最終的には罹患率も重症化率も少ないだろうと予想はつく。
その中でも今日は株価の高騰が大きな話題。
日経平均がバブル期を超したとか、超すとか・・・。実態経済的には全く良くはなく、テレビに出ているタレントさんたち、大方の方は高額所得者。株を1万株買って損得を計算できるが、庶民の我々はそうはいかず、夕刻の半値シールに群がるのみ。
在宅勤務の方々もまだまだいて、自宅勤務の自由さから少しだけ、ネットで売買なんかを考える御仁も多いことだろう。話題になってからは下がるだけが株価のセオリー。もちろん、急激に今日から下がるわけもないが「上がるものは下がるし、下がったものは上がる」のは投資の唯一絶対のセオリーだ。
「高騰しているの? じゃ、買おう」と思った人は大体ババを引くことになる。下がって得を取れるのはFXだけど、株よりFXのほうがよりリスキーだ。
自動売買も今は盛んらしく、確かに堅実に増やす方向にポジションをとっているように見える。いずれにしても、余裕ある資金でお小遣い、家計に影響の出ない範囲でやることに尽きる。我々が得る情報はいつも川の下流でゴミをすくっているようなもんだと思わなくてはいけない。
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ヒグマの話に戻るけど、「OSO18」(オソ)とかいうとんでもない熊が厚岸のほうにいるらしい。北海道の方は北も南も熊の被害に戦々恐々だ。今回、お一人の釣り人が被害に遭ったが、これはまた別の地域の別の熊。人間の肉も食べられると彼らが学習してしまったようで、これからずっとずっと警戒が続く。
とにかく、今日はざわつく金曜日になってしまった。
ワクチン [コロナ]
2023.5.14
こんにちは。
朝方は雨。現在は曇り。恥ずかしながら寒いのでストーブをつけた。
5月にストーブ?流石、ジジイだと言われそう。
実は、昨日ワクチン接種をしてきた。ファイザー社製。しかし、ダルイ。結構ダルイ。モデルナのときは、かなり辛いものがあったが、ファイザー社製のときは、今までそうでもなかったんだけど、今回は結構来ている。寒気を感じるような、感じないような・・・・。
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今はバラの咲き柄摘みで毎日が追われている。今日は本当は摘みたかったんだけど、こんな体調では無理かもしれない。
こんな感じで今年も勢いよく咲いてくれた。
これ(淡雪)は花持ちも、香りもいいし、花びらが小さいので散っても目立たないので、道路側に植えた。
これは1週間ぐらい前に撮ったもの。今はもっと咲いている。これを一花、一花摘んでいく。
バラは確かにきれいだけど、その後始末はちゃんとやらないと周りの住民にとっては迷惑千万だということをいつも肝に銘じている。
だから今日咲き柄摘みができないことは、ちょっと後ろめたい。
そこに、このバラも絡まって咲いている。これはボンボラネッラ。これも花持ちはいい。でも、終わるときはバサリと落ちてしまうので、早々に切らなければならないバラ。
これは新雪。
ツルで大きく伸びる。花びらはワラワラと落ちていき、決して花持ちがいいとは言えないので、自宅敷地内に留めている。
散ると足元はご覧のとおり。毎日拾ってもこんな感じで残り続ける。
これが道路に落ちてしまっては、ひんしゅくをかうだろう。
農薬の無散布でも、よく咲いてくれた。
6回目 [コロナ]
2023.5.8
こんにちは。千葉は雨。しっかりと降っているので、庭には潤いの雨。連休中はカラカラ天気で干上がっていたから助かる。
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我が家に6回目のワクチン接種の知らせがきた。6回目。愚息たちは3回ぐらいしか打っていないので「流石、高齢者!」との声が聞こえそうだ。今回のゴールデンウィーク中も罹患者は減っているわけではなく、動いた分だけ確実に増えている。このコロナ禍の日常が常態化してほしくはないと願っているが、果たしてどう出るか、これも「神のみぞ知る」では本当に心細い。「座して死を待つ」ようなみっともないことだけにはなりたくない。
あともう少し [生活]
2023.5.6
こんにちは。
今日は強風が吹きすさぶ千葉。能登半島では地震があったようで、孫たちの来襲でアタフタしている我々は、テレビも新聞も目を通す時間がなく、ただただ横目でそのニュースを知った。能登半島でいつも思い出すことは、学生時代、一人で旅行をしたときのこと。旅館もとらずに1カ月間、九州の友達のところまで旅をする計画を立てた。七尾の駅で電車もなくなり、駅のベンチで寝ることにした。ふと目が覚めると、周りは通勤、通学の地元の人たちばかりとなり、焦って起きたが、どうも調子が悪い。駅の便所で嘔吐をした記憶が残っているが、その後の記憶が余りない。やっとの思いで駅前の民宿の扉を叩いたんだろうと思う。その民宿の名前は「翁」、これは間違いなく今もはっきり覚えている。その後のことは何も覚えていないのだが、熱が高く、一日中寝ていた。すると、そこに旅館の方が来て、おかゆを出してくれた。こちらは熱もあるし、ぼ~~としていたので、はっきりした記憶はないけれど、水枕もしてくれ、結構看病をしてくれたのを閉じた瞼の向こうに写る女将の顔とともに、今、ブログを書きながら思い出した。もう50年以上前の話だ。
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ゴールデンウィークも終盤。孫5人、その親たち4人、いつものごとく急激な人口密度増が我が家では起こった。だいたい3食をともにし、孫たちはここぞとばかり、遊び放題遊んで過ごす。家人は「オモテナシ」を第一主義としているので、どんな要望でも、それを叶えるよう準備をする。だから嫁はソコソコ気をつかって生活をするんだろうけど、我々は必要以上の嫌な思いはしないように奉仕し続ける。でも、そこはそれなりに彼女たちは気を使っているんだろうから、お互いにいい距離を保つことがベストだと分かり切っていることだ。
しかし、ここに来て、家人の足の具合が悪化している。魚の目がスタートなんだけど、それを自分で削り取ったりしたもんだから、化膿したのか歩行が困難になりつつある。ビッコを引きつつオサンドンをしているのは何とも痛々しい。それにかなり腫れてもいるようだ。彼女は「いいのよ。どうなっても。これも運命なんだから」と達観したことを言うのは毎度のことで、ゴールデンウィークとはいえ、開院している病院もあるのだが、今日は行かないという。困った。あと2日。壊疽することはないと思うけど、月曜日まで悪化しないことを望むばかり。
年をとったから、少しは気を安らかにと思うけど、なかなかそうはしてくれそうもない。
機械音痴? [生活]
2023.5.1
こんばんは。
速いね。時間の過ぎるのが速すぎ。「ハヤイ」という文字をあえて「速」を使いたくなるぐらいに速い。
年という速度を大量に摂取してしまうと、否応もなく時間との勝負になるんです。「このままじっと安らかに、安穏に、ゆっくりと旅行なんかを」なんていう言葉は、若いころにブンブン言わせてやるべきことをやり遂げた人間が言う言葉だと思うので、その若い時分にやるべきことをやっていなかった私としては、「あんた、往生際が悪いネ」と言われてしまうぐらい、右往左往した生活になってしまっている。確かに安穏に生活することは頗る楽だし、お金も体も使わないから気持ち的に安らかに生活は営める。しかし、この世の中に何も自分は残せていない。そういう焦りがどうしても頭を持ち上げてしまう。若いころは「自分たちの力で、この日本を変えて見せるんだ」みたいな具体的な目的、緻密な計算などあろうはずがないところで息巻いていたことを思い出す。あのころに、もう少し羅針盤の先の自分が探せていれば、こんなにアタフタとすることもなく、生活できたかもしれない。
まあ、そんな自由な思想、時間、環境に住んでいられるだけ幸せだと思わなければいけないんだろうけど、横を見て安心をする性分ではないし、下を見て安堵する自分でもないわけだから、このまま思いどおりアタフタとした生活を続けていくしかないんだろう。
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そんな結論のないことを考えていたもんだからだと責任転嫁をしても仕方がないけれど、先日、またまたとんでもないミスというか、発見というか・・・・、本当に詰まらないことなんだけど聞いてほしい。
あるセブンイレブンで珈琲を買った。これはかなり前にも書いたことななので「この親父またセコイことをしている」と思われても仕方ないけど、前回同様珈琲をレ ジで注文。カップをもらってコーヒーマシンの前に。
私:「あれ、前回と機械が変わっている?」
3台のマシンが目の前にあった。以前はたしか2台だったはず。
1台目は液晶画面のもの。
真ん中のは以前と同様に丸い黒いボタンを押して注文するもの。
3台目は、多分1台目と同じ感じのものだったと思う。
私は何の疑問も持たずに、その液晶画面にコップをセットした。
私:「あっ、いけねぇ」
私は、1台目の機械にコップをセット、そして、どう勘違いをしたのか、2台目の機械のスイッチの黒ボタンを押していた。
当然、2台目の機械が作動。
私は慌てて「危ない、危ない」とコップを1台目から2台目に移した。私には珍しくすばやい動きで細い管から出てくる「黒い」液体をコップですくい取っていた。
・・・・・「黒い」液体・・・・・のはずなんだけど、これがどういうわけか白い泡上の液体がボソボソと出てきた。
コーヒーの液体をすくい取れただけで安堵していたので、そのときは全く気づかなかったんだけど、コップを手にし、そのコップを口に近づけながら店を出たとき、「えっ」と思わず、心の中で叫んでしまった。「珈琲」のつもりが、どうやら「ラテ」を押してしまったようだった。今でも「ラテ」というボタンがあったかどうかは定かではないんだけど、どう考えても珈琲と牛乳を混ぜたものを私は飲んでいたわけで、ちゃっかり、私は100円でラテを飲んだことになった。前回はスモールを注文したにもかかわらずラージを押してしまったし、今回はホットコーヒーでラテをを飲んでしまったし、機械がちょっと変わっただけでオドオドしてしまうわけで、こんなことは若いころにはなかったような、いや、そうじゃない。今は、それ以上に機械の変化が激しくなったんだと言い含めてしまったりして、何とも歯切れの悪い高齢者のお話でした。