学生村(31)--山田君のその後(7) [学生村]
学生村(30)--山田君のその後(6) [学生村]
学生村(29)--山田君のその後(5) [学生村]
学生村(28)--山田君のその後(4) [学生村]
学生村(27)--山田君のその後(3) [学生村]
学生村(26)--山田君のその後 [学生村]
学生村(25)---山田君のその後 [学生村]
学生村(24)--山田君-その後 [学生村]
学生村(24)--恋の花咲くときもある [学生村]
学生村(23)-そして誰もいなくなった [学生村]
学生村(22)-秋の気配 [学生村]
学生村(21)-秋の気配 [学生村]
学生村(20)-野うさぎの刺身 [学生村]
学生村(19)-大学の別荘 [学生村]
学生村(18)-ないものねだり [学生村]
学生村(17)-食料調達 [学生村]
学生村(16)-夜のコーヒーブレイク [学生村]
学生村(15)-コーヒーブレイク [学生村]
学生村(14)-野糞の妙味 [学生村]
学生村(13)-ほっと一息 [学生村]
学生村(12)-牧場 [学生村]
学生村(11)-牧場 [学生村]
学生村(10)--番所 [学生村]
学生村(9)-大滝 [学生村]
学生村(8)--四季 [学生村]
学生村(7)-箱庭のごとく [学生村]
学生村(6)-方言 [学生村]
学生村(5)-オーナー家族 [学生村]
学生村(4)-不思議な部屋 [学生村]
2017.4.20
山村荘には母屋のほかに別棟が2つあり、その一つに泊まったことがあった。
どういうわけか間取りは一部屋のみ、立ち机に電気スタンドは定番だが、ほかにトイレと風呂場があった。
その一部屋は24畳あり、ほかには何もない。あるのは押し入れと窓一つだけ。他には床の間もなければ、何もない。ただバーンと24畳があるだけだった。入った瞬間、どこに机を置けばいいのか、ちょっと迷った。窓は部屋の右角に1間幅の両開き窓が1つ。普通だったら窓際に置いて一件落着なのだが、この部屋はいかんせん24畳あるわけで、窓際に机を置き、椅子に座ると、自分の後ろには23畳もの空間があり、妙に落ち着かない。後ろに誰かがいそうで、机に向かっていても、ふと後ろを振り返りたくなるような、そんな恐怖的な衝動にかられてしまう部屋であった。
24畳ということは、横4畳、縦3畳の中に畳が24枚入っているわけで、どういう理由があって、この部屋をつくったのか、皆目検討がつかない部屋であった。
自分の落ち着くべきところを探し求めて、机を部屋の中央に置いてみた。
いかん、全然落ち着かん。
それでは、玄関の上り框のところに客人と向き合う形で机を置いてみた。これなら、誰かが来てもすぐにわかるし、恐怖的衝動にもかられないだろうと思ったが、これも変だ。どう考えても変だ。部屋が狭いわけではなく、後ろに23畳あるわけだし、第一、誰かが来ても机が邪魔をすることになり、机をすり抜けて部屋に上がることになる。何ともこれも奇妙で滑稽だ。それに裸電球1つ、それも40ワットの乳白色。電気スタンドのコンセントは窓枠の下にしかない。仕方なく、やはり窓の真ん前に机を置くことにした。
窓からの景色は絶景であった。「女体が仰向けに寝ているような山形をしていてそそられるぞ」とご紹介をいただいたのは、あの慶応ボーイだった。ちょっど舟木一夫を思い出させる風貌をしていて、あっという間に「舟木さん」というあだ名がついてしまった。
真夏によくある怪談話は、学生村では全く馴染まず、怖がりな私にとってはもっけの幸いであった。明かりは24畳の真ん中からつり下がっている裸電球1つと電気スタンドだけ、テレビもなければ、ラジオもなく、長い夜をひたすら読書か、勉強かをするだけの生活であった。
夜も更けてきて寝ることになった。さて、どこに布団を敷いたものか。部屋の隅? 部屋の真ん中? 机の傍? 玄関の近く?
困った。ほんとに困った。こんなにも布団を敷くのに悩んだことはなかった。ここも仕方なく、妥当であろう部屋の片隅から残りの23畳を見つつ寝ることにした。
そういえば、ここは玄関の鍵もない。都会のような物騒なこともないのだろうが、都会から来たばかりの人間でさえも、それが何の違和感もなく受け入れられてしまう、そんな不思議な場所が学生村であった。
学生村(3)-山村荘の間取り [学生村]
2017.4.19
民宿の名前は山村荘。何でヤマムラソウなんだろう。オーナーはヤマムラではない。地番にヤマムラと付くものは何もない。当時からヒュッテとか、ロッジとか横文字の名前も多く。もう少し洒落た名前を付ければ、もう少し客も来るだろうに。
山村荘は3つの棟で成り立っていて、母屋と別棟が2つ。母屋は二階建て、別棟はすべて平屋だ。いつごろ建てたのだろうか。決して新しさはなかったが、風雪にも堪えて建っているわけで古くは見えるが、それなりに頑丈な建物なんだと思う。母屋の二階はすべて和室で3畳、4.5畳、6畳、6畳、6畳と一階の食堂いう間取りだった。
各部屋には布団と立ち机と電気スタンドがセットで置いてあり、学生はいつでも勉強だけはできる環境にあった。朝食は8時、昼食は12時、夕食は6時と決められていた。もちろん、三々五々に集まって食事をするわけで、夜遅くまで勉強をしていたりとか、飲み耽っていたりとかして、9時ごろ起きてくる奴もいて、それは適宜対応してくれていて助かった者もたくさんいた。
食事の内容は朝と夕は和食。昼は麺類かパン食だった。皆お代わりは自由で、何かひもじい思いをした記憶は全くない。いつもうまい、今日は焼き肉だ、ハンバーグだと言ってみんなでわいわい食べていた。
しかし、そこは遊びで滞在しているわけではないので、無言での不文律というか、決まりではないのだけれど、食後、ぼんやりとテレビを見続けている者はおらず、食べ終わった食器を台所のカウンターに出し、「ごちそうさん」と一言主人の奥さんに言葉をかけ、各々の部屋に戻っていった。