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学生村(6)-方言 [学生村]

2017.4.21


ある日、山村荘のご主人が車にみんな乗れと言う。急なことなので面食らったが、それは日頃の様子から何となく想像のつくことであった。慶応ボーイを初め、宿の夏期住人にとってそれは許されることであった。毎日皆予定を立てて勉強をしているが、それは自分の計画した計画であったので、いつでも修正は可能で、また一日遊んでしまって遅れをとっても、翌日、誰ともしゃべらず、食事も摂らず、猛烈に時間をつくって巻き返しをすることも十分に可能なくらい、時間の使い方は自分主導で変えられる、そんな贅沢な空間であった。


ここ長野の方言は、さほどわからぬものではなかった。自分の母親も父親も嫁も東北出身ということもあり、地方の方言には慣れていた。「おしょうしな」「おばんでやす」「なんでござった?」「あっぺした」「あやまんちょ」などなど、東京人の私にとっては、もはやこんなものしか思い出せないが、もっと趣のあるかわいい言葉もたくさんあったような気がする。長野の方言も、そんなにわからないものがないような気がしたし、松本あたりで使われている言葉も馴染みのあるものが多かった。


しかし、ここ霧縦高原、「山村荘の方言」は全くわからないものが多かった。叔母さんの話す言葉は何となく雰囲気というか、こんなことを言っているんだろうなぐらいの範囲で理解はできたが、叔父さんの言葉は全く理解不能であった。話す機会も叔母さんよりも少ないせいもあったが、とにかくわからない。全くわからない。同じ日本人として、こんなに通じ合えないことが不思議であった。そんな叔父さんと叔母さんの会話は、更に凄まじく、二人がよく夫婦喧嘩をするのだが、それはそれは激しいものに加えて、何でもめているかもわからないまま、ものすごい早口でまくし立てるのだけが理解できるという、そんな状態が延々と続いていて、私たちはただただ笑いを堪え、カウンター越しに体育座りのまま、二人の闘いが終わるのを見ていたものであった


スーパー林道をどんどん登っていった。スーパーとは名ばかりで、無舗装の砂利道、ガードレールもなく、道幅一車線片側はいつ崩れ大岩が落ちてきそうな山肌反対側は見下ろす勇気も出ないくらいの深い谷。運良く枝に引っかかれば助かるかもしれないが、引っかからなかったら谷下まで転がり落ちる。そんな山道を延々と叔父さんの車は登っていった。対向車が来ては、お互い今まで走ってきた道の記憶をたどりながらバックし、すれ違えるところまで行きつ戻りつしながらの走行であった。


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