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ヤングケアラー [医療・介護]

2021.5.24

こんにちは。

とはいえ、もう夕方。一日の過ぎるのは速い。特に年を重ねていくとより速くなる。どこかのテレビで言っていたが、年を重ねていくとだんだんその過程がわかり、予測がたやすくつくことが多くなる。したがって、時の経つのが速いということらしい。分かったような分からないような、凡人な私としては、分かったようなフリしかできない。

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「ヤングケアラー」つい最近も新聞で載っていたワードだ。関係のない人たちは全くと言っていいほど関心がないが、それはそれで仕方がない。それが世の中だ。

しかし、当事者である方々は、これはかなり深刻な問題。これも静かに密かに進行していく。マスコミはいいにつけ、悪いにつけ格好いい言葉を付ける。これはマスコミではないかもしれない。何とか審議会というお偉い学者さんがたくさん出席する会議資料で登場することも多いから、霞が関のお役人あたりが作り出した言葉かもしれない。

まあ、それはいいとして、先日、新聞記事でヤングケアラーの当事者が言っていた言葉が今も心に深く残っている。

そうそうその前に一応言葉の説明をしておくと、ヤングケアラー--若くして介護の経験をしていた人、している人のことだ。

その記事には訪問医療とヘルパー介護のことが書いてあり、ヘルパーさんの動向に不信を抱いていると書いてある記事があった。その方は現役の学生さんで祖母を介護していた。家の鍵はキーボックスなどに保管し、家族の不在時、ヘルパーさんは決められた時間に自由に出入りし、介護や診察をするというシステムだ。

決してヘルパーさんがみんなそうだと言っているわけではないが、一応、在宅介護・訪問診療・自宅での看取りを経験した私としては、痛いほど、その気持ちが分かってしまったことは確かだ。

私の場合、親の家で介護をした。親の動きは止まっても、親の生活していた家はそこにあるわけで、親の生活の残骸というか、残存物はあり続けていたわけで、流石に貴重品は残しては置かなかったが、自分たちにとって「大切なもの」「見てほしくないもの」は完全に払拭できるはずもなく、家の中に残り続けていく。あるとき「あれっ」と思うことが起こったので、そのことを確かめるべく部屋に細工をしておいたことがあった。

親は介護度5の寝たきり。寝返りをうてるわけもなく、人が手を加えない以上、朝寝かせた姿勢は夜までずっとそのまま。それが介護度5の現実だ。

私の親は物を大事にとっておく人だったので、家中昔のものが転がっている状態で、他人が多く出入りするようになり、押し入れに整理してしまっておくしか方策はなかった。もちろん、押し入れはドアは付いていて、そのドアを開けない限り、中は見ることができない。前日、その押し入れの中を確認し、ドアを閉めて退出した。翌日、再び親の安否を確認すべく部屋に入ってみると、確かに占めたはずのドアがほんの少し開いていた。ドアは固く押し込まないと閉まらないドアで、他人が多く出入りする現在、意識をして押し込んでドアを閉めた、はず・・・・・・・。しかし、私の記憶違いかもという思いもあり、今一度確認することにした。正面切って相手に聞いてみるのも少々エネルギーで要るわけで、今回はそれは不適当だと感じ、やめた。少し後ろめたい気持ちもあったが、そのドアに細い紙切れを挟んでおいた。誰かが開けなければ、その紙切れはそのドアに挟まったままのはず。しかし、その翌日案の定、紙切れは挟まったままではなく、畳みの上に落ちていた。

つまり、誰かがこのドアを開けたことになる。そのドアの中身は金目のものはないが、何がどれだけあったとか記録するつもりもないし、する必要もなかったわけだが、親の介護に関係ない、このドアの中を覗くこと自体に腹が立った。

その翌日からは、ヘルパーさんが来る時間には必ず帯同し、その行動を牽制することにした。当然、事はそれ以上大きくなることはなかった。

当時、私は自営業ということもあり、自宅で仕事をすることも多く、その自由度は学生やサラリーマンより格段に大きかった。しかし、問題は若い介護者だ。学生であったらば、そんなことを薄々勘づいたとしても、時間もないし、それをどうすることもできないのが現実だろう。もちろん、ヘルパーさんには立派に真面目に家族が見ていようが、いまいが業務を忠実にやっている方もいらっしゃることは確かだ。しかし、そうでない方がいることも確かだ。介護以外にヘルパーさんへの気配りもしなければならないことは本当に大変なことだと思う。高校生が介護するだなんて私は考えられない。

ほかにも2回ほど「あれっ」と思うことがあった。人間は素直をもので、後ろめたいことをしているときに出くわすと、家族の方にそれを悟られまいと妙な対応をすることが多い。その方たちはまだいいほうかもしれない。全く顔にも出さないもっとすごい強者はきっといるに違いない。

ケアラーはヤングだけではなく、アダルト、ミドル、シニアとどんな世代でも起こり得ること。あなたが一人っ子なら100%あるわけで、二人兄弟にしろ、三人兄弟にしろ、誰がどう見守るんだなど、ケアに関わらなければならないことは必ずある。伴侶がいれば相談をしながら解決できることも、独身であれば、おのれ一人でそれを抱え込まなければならなくわけで、自分の人生をかけて介護をすると言っても、決して言い過ぎではない。

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今こそ点から面に [医療・介護]

2020.12.30

こんばんは。

今日は墓参りをした。年末の最後ぐらいはちゃんと締めなければ親に申し訳ないので、愚息と一緒に行ってきた。夕方ということもあり、人はまばらだ。とは言っても水汲み場は人がかち合うこともあり、やはり、年末の墓参りの雰囲気はあった。14年前に父、2年前に母がこの墓石の下に入った。いずれ、私も愚息もこの墓石の下に入ることになるのだろうが、私はより親密に、切実に、切迫に感じるが、若者はそんなことはつゆとして感じることもないのだろう。四十代そこそこの若者がそんなことを感じている暇があるはずもない。それでいいのだ。それが若さというものだ。

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先日、母親のときにお世話になったケアマネにメールをし、近況をお聞きした。ケアマネは直接被介護者と接しはするものの、施術をすることはないが、やはり、人のコントロールとコロナ禍における風評的な噂話とかで職場は落ちつくことはないようなメール内容であった。

介護事業所は雨後の筍のごとく数多くある。それは皆独立独歩。ある意味商売敵でライバルだ。人員を多く抱える事業所は多くの被介護者を擁し、財政的にも人員的にも安定する。しかし、小規模な事業所は少ない人数でやりくりすることで、経営的にも人員的にも安定しているとは言えず、被介護者の多くを抱えられないこととなってしまう。

訪問介護という制度は、自宅に介護者が訪問することで成立する。

被介護者は不連続で発生する。事業者はエリア制ではなく、その不連続で発生することに対応している。つまり、Aヘルパーさんはa町に介護に行き、次に訪問するのはc町で、その後x町に行き、またa町に戻る。つまり、その間、移動時間が発生する。別な言い方をすると、スーパーでパートとして働いていたとすると、1時間働いて20分休んで、また1時間働いて40分休む。そして1時間働いて60分休む。こんな働き方をヘルパーさんはしていることと同じになる。つまり、休み時間は移動時間だ。もちろん、移動時間は休み時間ではなく、移動時間として少しだけ給与は支払われるようだが時給よりは少ない。出るところはまだいいほうで支給しない事業所もあるやに聞く。

人手不足が言われて久しい。しかし、厚労省が事業所のエリア制を考える様子はない。そして、このコロナ禍となり、人手不足はますます拍車がかかり、時間どおり、曜日どおりに訪問することができなくなっている。

ならば、人手不足を解消するためにも、点と線の介護システムを事業所ごとに面で行う方策を考えてもいいのではないか。a町はD事業者、b町はF事業者、c町はE事業者が担当することとすれば、ヘルパーの移動はa町だけとなり、時間は極端に少なくなるだろうし、D事業者のやりくりがつかないとき、隣町のF事業者がD事業者に対してヘルプするということも可能になるわけで、最終的には被介護者の皆さんが助かり、事業者も助かるということになるわけなのだが、そういう発想はどうなんだろうか。

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すべては時の運不運(2) [医療・介護]

2019.12.14

こんばんは。

もうこんな時間になってしまった。今日は温かさもあり、腰痛も直ったので、以前住んでいた家の掃除に行ってきた。馬鹿のように掃除が好きな夫婦は、彼女は家の中の掃除、外回りは私と分担をしてやってきた。しかし、我々しつこい掃除人のお目に叶うわけもなく、まだまだ終わらない。

我が家の玄関ドアはリモコンドアというか、ドアの一部を押すと「ピッピッ」と反応して開く方式なのだが、今日はどういうわけか「ピッピッピッ」と3回続けて鳴っている。電池は交換したばかりなので、電池残量の合図ではなさそう。その合図を無視して、ドアを閉めると「ピッピッピッ・・・・・・」とずっとなって閉まらない。ウン~~~困った。すると、ドアのへそというか、開け閉めするときにドアの横にある出たり引っ込んだりするヘソにごみが詰まりぎみでスムーズに動かないことがわかった。ドアの回りのごみを水で掃きだし、クレ5-5-6を付けて何とか動いた。そんなことに手間取ったものだから、私のほうのはあまり進まずに終わった。やはり、家は住み続けないと不具合が次から次に現れてくる。来春、早く愚息が来ることを期待するのみ。

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昨日の続きです。どういう介護をするか。

1)自宅で自分が介護する。
これはあなたが現役なら介護離職をしない限り不可能なこと。それに精神的に続かない。お金は自分が労力を提供するから、いつもの生活費ぐらいで済むが、自分が持たない。せいぜい親に暴力や暴言を吐いて悲しい思いをお互いにし、最悪の場合は殺して刑務所に入ってしまうことになる。世の中のニュースは、この手の事件が多い。他人事のときは多くをスルーしてしまうが、よくよく内容をひもとくと大体1)の状況下に置かれた家族が起こしてしまう事件だ。
その解決方法は、ヘルパーさんに頼ること。お金は少しかかるけど、朝・昼・夜と来て、食、下の世話をやっていただく。入浴は週1ペースで別の業者にお願いする。入浴は四畳半の部屋にベッドが入っていても、残りのスペースで十分に入浴してもらうことができる。それからお医者さんにも来てもらう。万が一のとき、司法解剖なんてことになっては困るし、親の体調管理も大切なのでこちらも週1ペースで訪問医にお願いする。鍵はキーボックスをケアマネが用意してくれるので、玄関先の目立たないところにキーボックスを付け、自分が不在のときもヘルパーさんは出入りが可能となる。したがって、離職しなければならないこともなくなるので、経済的にも不安はなくなる。料金は1割負担で5万ぐらい。
2)施設に入れて介護してもらう。
完全看護となるので、極端なことを言えば、全く心配をしなくてもいいことになるがお金がたくさんかかる。ざっくり20万/月は覚悟したほうがいい。親の年金がそのぐらい出ているのだったら、それがベストかもしれない。特に自分しかいない場合などは、施設におんぶに抱っこが一番いいかもしれない。残る問題は、それを自分が納得できるかだ。
3)介護放棄をする。
これはあってはならないこと。しかし、お金がない、親が首を縦に振らないなど、思うように事が進まないことは往々にしてある。その場合は「好きにすれば」状態になってしまうことも事実だ。特に親が遠方に住んでいるとなおのこと、その可能性は高くなる。しかし、親が心身ともに自立できなくなったときは、介護のお世話にならざるを得ない。その場合も、特養施設を利用できればいいに越したことはない。金額的にも若干お安い。とはいっても10万は下らない。その方の年収によって決まってくるが、これとて15万は覚悟しなければならない。親の年金だけでは無理の場合は、自分がその残りを埋め合わせ、支払をすることになる。5万なのか、10万なのか。その支出を考えておかなければならない。
「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだが、現代も全くその事情は変わらない。セーフティネットがどれほどあるのか。特養に入ったとして、払うお金がない場合は、どのくらいのセーフティネットがあるのか。ここは私もよくわからない領域で、本当に困った方に対しては、何がしかのものがあると思うが、それをそのまま鵜呑みにはできず、善良は国民は、自分が頑張ってしまうのが現状とも言えるのです。

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面を抑える [医療・介護]

2019.11.15

こんばんは。

母の介護をお願いしているときに思ったことがある。それは誰もが考えることで、取り立てて言うのもおこがましいが、果たして役人さんは考えているのかと思う節があるので書き留めておく。

これは前にも書いたと思うのだが、やはり介護は面で考えなければいけないということだ。

昨今、病院は長期入院ができない。これは病院側の都合で、病院の収益を上げるためという一国民としては全く許せない理由で事が行われている。まあ、それは今回の話の中心ではないのでここで納めておく。しかし、その結果、在宅介護となる。介護度によって自立できる方から100%介護が必要な方まで5段階に分かれていることは皆さんご承知のとおり。当然、医者、看護師、ヘルパーの皆さんのご協力を仰ぐこととなる。昨今、人口減少の弊害から働き手がいなくて介護業界は四苦八苦していることもご承知のとおり。それにより、外国人の働き手を大量に増やそうと政府はやっきになっていることもご承知のとおり。しかし、語学という壁が外国人にはかなり厚い壁となっていることもご承知のとおり。その厚い壁は右から左へと働き手を増やす打ち出の小槌にはならず、依然大きな壁だ。

じゃ、どうするの?・・・・・その知恵がない。そりゃそうだ。国のお役人が3Kとも5K---テレビではないよ----そんな職場に足を踏み入れ、現場研修をしようと思うような殊勝な人間がいるわけもなく、机上作業ばかりのものだから、なかなかよい知恵(案)が出てこない。それは当然のこと。何でも現場だ。現場を見ることで事実がわかり、解決策が出てくる。この言葉は皮肉にもあの森田千葉県知事が「現場で」と言っていたことを思い出す。彼と同列には見てほしくはないけど・・・・。

今の介護の現状を見ると、A業者がa宅に介護訪問する。B業者がb宅に介護訪問をする。A業者はa宅に来るのに車で30分かかる。B業者はb宅に車で30分かかる。しかし、A業者はb宅へ徒歩1分。B業者はa宅へ徒歩1分。しかし、A・B業者ともa・b宅のバーター協定はしない。

言い換えれば、A業者はa宅の介護をするために(介護時間を1時間として)1時間30分かかることになり、B業者はb宅の介護をするために(介護時間を1時間として)1時間30分かかることになる。それをバーターするとどうなるかというと、A・B事業者とも、それぞれ1時間で済むということだ。もちろん、介護度がイコールばかりではないので、そうは簡単にいかないという声もあるであろうが、それはお上の仕事で、お上がお金を出している以上、お上の裁量が最上位になることは当然であり、それにより、介護事業者の負担(人数手配、要員確保等)は相当数減り、ヘルパーさんの時給単価も当然上がり、最終的には国民により質のよい、いいサービスが提供できることになることは明白。

今は群雄割拠で、いろんな業者が入り乱れ、入れ代わり立ち代わり交錯しているのは誰もが目にしていること。そういう状態は、そろそろ終わりにするべき時期に来ていると思う。

ここにあるヘルパーの声を載せておきたい。

私「どうですか?最近は忙しいんですか。」

H「忙しいには忙しいんですが・・・」

私「そうだね。忙しいのはほどほどがいいね」

H「違うんです。忙しいのは移動で忙しいんです。移動です」

私「移動?いいじゃない。拘束時間でしょう。満額もらえないとしても、50%か出るでしょう、当然」

H「そんなわけないですよ。移動時間は出ないんです。0です」

私「えっ、ガソリン代は出る?」

H「ガソリン代は出ます。3キロとか、5キロで幾らって出る」

私「じゃ、5つの家を回ると5つの移動時間(無給時間)ができるっていうこと?」

H「そうです」

私「それぞれの移動時間が30分で、それぞれの介護時間が1時間だったらどうなるんだろう」

H「介護時間が5時間で、移動時間が2時間半です」

私「もらえるお金は?」

H「5時間だけです」

私「時給に直すと、時給1000円なら666円にしかならないことになるね」

とこんな会話を交わした。つまり、ヘルパーさんの移動時間は時給に組み込まれないらしい。これはすべてではないだろうが、そういう事業所は幾つもあるということか。これじゃ、心意気と崇高な思想だけではやっていられないよね。

加えて言うと、このヘルパーさんはまだ自宅なり、事務所には帰っていない状態(5件目が終わった状態)で、そこから帰る時間を加えて、初めて仕事が終了することになる。

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・・・・・ということで発熱です。 [医療・介護]

2019.11.10

こんばんは。

金曜日から具合がおかしい。喉の違和感。私の気質として喉が弱い。風邪は大体喉からくる。それも結構頻繁だったのが現役時代。年に2~3回は引いている。

それは誰だってひくわい!と言われそうだが、私はそれに加えて熱を出す。しっかりと出す。グダグダしているとあっという間に40度近い熱を出し、無理をして仕事をしようものなら吐き気、めまいを催す。弱い子ちゃんと言えば、弱い子だ。それに加えて1週間は熱が下がらないから最悪。仕事がらそう易々と休めるような環境にはなかった。どんな仕事でも自分が行かないと周りが迷惑をする。それは当たり前なのだが、自分が行かないと店が開かない、商品が出なくなる、売上がなくなる。ほかの人がいるにはいるが、社員は3人しかいないものだから、年に何回も代わりに出勤してくれとお願いしていては社会的な信用にも関わるし、そんな気持ちで床に伏せっていたら治るものも治らない。だから、無理をして出社する。熱を無理に下げようとバファリンを飲む。もちろん、病院に行って薬はもらっても1週間は熱が下がらない。一日パソコンと向き合っている仕事なら、鼻穴にダンボをしてでも仕事はできるが、一日50人以上の他人と面と向かい合っての仕事で鼻ダンボは無理となる。

・・・・・という手前勝手な理由で現役時代は結構、体を酷使した。今考えてもぞっとするが、バファリンを毎日何回も飲み続け、1箱飲み干してしまったときには、「俺、大丈夫だろうか?」とちょっとだけ危機意識を持ったもんだ。

そんな現役時代に別れを告げつつある今、やはり風邪を引いた。今年2回目。前回、先生がいい薬を出してくれたものだから、今回も同じ薬と相成った。病院は満員御礼で大盛況であったが、2時間待ちの1分診療であった。

最近はお薬手帳を持っていかないと余分にお金をとられる調剤薬局がある。そうでなくても53点ほど薬管理料とか称してお金をとる。総額530円薬局に入り、私たちは3割負担だから158円とられる。一言二言薬剤師と話しただけで530円はボリ過ぎだろう。社会保障費高騰の折、国民の皆さんはどれだけ、その額を意識しているのだろうか。私は全く納得がいかない。

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最期をあきらめるか、あきらめないか [医療・介護]

2019.1.1


こんばんは。2家族・9人が増えると、大変な人口密度となることも然ることながら、まだまだわがままな幼児たちが相手だと、くんずほぐれず状態が続くので、私は少しだけ閉口してしまう。

我が家の大晦日の夕食はすき焼きと決まっているが、人数が多いと、これは食べたい、これは食べられないと交錯状態が続くので大変な状態となる。一般的に言ってしまえば、「静かにさせろ」、「わがままもいい加減にしろ」、「嫁の躾がなっていない」状態ということになる。しかしながら、家人は、そういう状況であっても、来る以上は嫌な思いをしないで帰ってもらおう。彼女らもいつもは大変な思いで日々子育てをしているわけだから・・・・というスタンスなので、嫁姑の問題も全く起こらない。起こるとするなら、そんな姑の遜った気遣いに嫁のほうが嫌気がさす時ぐらいか。昨夜は人生ゲームをやって3時まで起きていたものだから、皆皆午睡をしていた。元気なのは5人の孫ばかりであった。


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叔母が亡くなったと前々回に記載したが、彼女はかなりの偏食であった。食べるのはチーズ、マグロの刺身、ご飯、自分がつくった漬け物、煮物等々。施設に入ってからは、会社の組織にいるときと同様に決められた食事時間と食事内容に従っていたため、気に入らないものは食べない状態が続き、よく施設から食べないのだけれど、というクレームというか、困っているとの電話があったらしい。今回、施設に入ったのは独り身であることと、椅子から転倒したことによる腰痛を患っていたため、仕方なく施設に入所した。誤飲もほとんどない状態であったにもかかわらず、自分の好みのものが食べられなかったための衰弱、機能不全等々があったようだ。

しかし、よくよく考えてみると、うちの母親は彼女より一回り上の96歳。彼女同様飲み込みは問題はないが、食事量は2歳児並。しかし、チーズ(10グラム)とパン(ランチパックなら4分の1)、ポカリ(100㏄)の水分×3食だけで何とか2年を過ごしている。食事量は少ないので、高栄養を目指しているが、食事時間(1回付1時間以上)がかなりかかる。施設では、毎回それに対応することはまずない。つまり、アンパン4分の1を食べるのに1時間以上費やす人には付き合ってはいられないということ。

彼女の通夜に出ていたとき、ふと思ったのだが、もし、叔母が自宅介護だったら、もっと生きられたのではないか。まだまだ生きられたのではないか。嚥下に問題がない方は、易々と施設に入れられたのでは、あっという間に次の世界に逝ってしまうということを思い知った。

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ヤングケアラー [医療・介護]

2018.12.17


こんばんは。今日も一日があっという間に過ぎていく。

今年もあと2週間となってしまった。速いね。とにかく早い。


今日、初日から全く動かないホシ姫サマの修理が来た。

「ホシ姫サマ?」という方もおられようが、早い話が洗濯物干し竿のこと。室内に設置する竿だが、少しだけ贅沢をして電動で動くものだ。

設計図の作成段階では、私たちの全く肩が言うことを聞かず、上着を着るにも支障があったものだから思い切って電動にした次第。しかし、今月の7日に引越してきたものの、一向に動かない。ハウジングメーカーの現場監督にメールをし、私とメーカーの両者都合のいい日がやっと整い、本日来もらった。

DSC_1695.JPGこれは中の竿を外し、不具合を確認しているところだ。

電動モーターの近くのリセットにボタンがあり、それをいじることによって開通するらしい。試験をしたときは動いており、私も確認済だったのだが、引き渡し以降、リモコンをいじっても全く動かない状態であった。


ほかに電気の配線の業者の方とそのお仲間がみんな来て、ああだ、こうだと外野のメンバーは総勢5人ほどで意見を言い合っていた。


こちらの家の事情(地盤の高低差による雨水の件)は彼らは全く知らず(多分だけど・・・)、結構和気あいあいで、私ともお茶出しを通しての毎日の顔合わせのこともあり、よい意味での顔なじみでもあった。


ほかの不具合は引き戸のクローザー、洗面台の縁の汚れ、風呂の排水不良と見てもらったが、引き戸のクローザー以外は思い違いもあり、直ぐに解決された。



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昨日、NHKでヤングケアラーの事をやっていた。横文字で書くと悲惨感はないが、これはかなり過酷な人生となることが明々白々であった。簡単に言ってしまえば、若い世代の孫が一世代を飛び越え、祖父や祖母を介護することになってしまった方々のことだ。

自分は50を過ぎてからの介護生活であったが、ヤングケアラーなるものは、中学とか、高校、大学でのおじいちゃん、おばあちゃんを介護する人生のことだ。自分の両親なら、それなりに結びつきも強く、介護するときも少しの恩返し的な気持ちも込めながら介護をすることになるが、祖父・祖母となると、世話になったが少しだけ距離感がある人たちになるわけで、介護の壁を何メートルか上げてしまうことは必至だ。介護するほうは人生経験も少なく、相手の気持ちを尊重し続けることすら至難の業であることは確実であろう。


それを防ぐ手立ては・・・・・・・・・・心を鬼にする以外に、今のところ見つからない。、

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介護の本音(2) [医療・介護]

201.10.8


こんにちは。

秋めいてきましたねと言いたいところだけど、全然そうはならない。温暖化は迫っていると耳に蛸ができるくらい言っているのに、変える術を知らない人間。自分も含め、絶望感とあきれることしかできないのは、ちょっと辛いものがあるね。


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昨日、初めての母の訪問入浴。これは父のときにもやっていただいたサービスで大方はわかっていたが、寸分の違いもなく、当時のままの道具とやり方でやっていた。手際は頗るいい。時間も正味50分ほど。湯船に浸かっているのも30分はあった。詳細はここでは割愛。お値段は1割負担で2300円ほど。実費なら2万3000円ぐらいとなる。

 

介護の現場、特にヘルパーさんと呼ばれる方の入れ代わりは激しい。いわゆる3Kと言われる職場という認識。いろいろな被介護者がいて大変な面もあろうが、それはどの世界も同じこと。総じて物言わぬ消費者であって、仕事は意外なほどスムーズにいく。


ヘルパーには資格を持っている人もいるし、いない人もいる。持っていなくても派遣業務はしている。これが違反か、違反でないかは定かではないが、多分、事業者に有資格者がいれば事足りるということか。


どの業界であっても、今やアルバイト産業が主流だ。一昔前は外食チェーンがアルバイト産業、3K産業、マニュアル産業と言われていたものだが、今は皆等しくアルバイト産業もしくは派遣産業だ。


つまり、当事者は時給単価で自分を推し量る。3時間働いたから3000円。今月120時間働いたから12万円だと計算する。至極当然な話

そんなアルバイト産業も評価制度がある。今月は時給860円。入社して3か月経ったから、遅刻もないし、クレーム処理もちゃんとできるから、来月から30円アップするよと言われ890円となる。


【これは余談】だが、

時間帯によってリーダーがいて、労務管理、金銭管理、物品管理を代行する。それによって、以前は社員が行っていた仕事をアルバイトリーダーが行うことで店のマネージメントは進んでいく。つまり、社員がいなくてはいけなかった時間帯が少しずつ少なくなっていった。それによって社員数は少なくなり、その社員たちはほかの仕事に向けられるという利点があった。最終責任(クレーム処理・数字結果責任)は、その店の店長がすることなるが、クレーム処理はあくまでもイレギュラーなことであり、数値責任は、その店の全社員の責任ということなる。


【介護の現場】

ヘルパーさんの話を聞くにつれ、彼ら(彼女ら)には、その評価がない。つまり、幾らやっても時給単価は変わらない。真面目に一生懸命やっても変わらない。不真面目に適当にやっても、その行為に対しての評価はない。

介護の現場は密室であり、ヘルパーと被介護者のみの場合が多い。もちろん、同居家族いれば、目は届くわけで、こうしてほしい、ああしてほしいと要望なり、改善を望むことはできる。衆人環視の目はある。


しかし、最終的には夫婦は同時に次の世界に行くわけではない。どちらかが取り残される。そして、残された方の一人は、否も応もなく介護の世話になることになる。そこには衆人環視の目はないことになる。

 

虐待とまでは言わないが、そのヘルパーさんは、家族の目を全く気にせずに介護をすることができる。つまり、自分のペースで、自分のやり方での介護ができるわけだ。

誰でもそうだと思うが、誰かに見られて仕事をすることほど緊張し、嫌なものはない。

それが被介護者のためになっているか、なっていないかよりも、自分の都合での介護ができるということになる。


残念ながら、ヘルパー事情での介護進行を、それも違う人での介護進行を度々見てしまった私としては、衆人環視でないことと無評価という実態が根本原因なのではないか。


たった10円であっても来月から時給が上がれば、それは励みになるわけで、100時間働く人は1000円の収入アップとなる。「じゃ、もっと頑張って時給を上げよう」「30円時給が上がったから、50時間で1500円、100時間働けば3000円のアップになるから、もっと働く時間を増やそう」「ほかの職場に行けば時給1000円、ここにいれば時給1030円だから、やっぱりここで働こう」。


そういう値踏みをすることは決して悪いことではなく、人は皆、お金を稼ぐために働き、自分の幸せ、家族の幸せを実現するために働く。


もちろん、事業所によっては評価はしているとおっしゃるところもあるかもしれないが、まだまだ全体的に見れば、そんなところは少数派に過ぎず、決してヘルパーさんたち、介護業界のためにはなっていないことをここに記しておく。

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介護の本音 [医療・介護]

2018.10.8


今日は曇りがち。気温は低くなるというが、そうでもない。今、昼食に「ハナマル」うどんを食べてきた。おでんか天ぷら1品無料期間が21日までなので、しっかりとおでんも食べてきた。

12時過ぎに店に入った。いつもなら時節柄、昼食代は安く済ませようという人だかりができているが、今日は閑散としていた。

「そうか、今日は祭日だ」、こんな地方都市でも近隣には工場、事務所の類が多く、営業所も結構あるんだ。みんな今日は休みだからお客さんも少ないということか


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月曜日は看護師の方が来る日。今日いらっしゃった方は新人さんで、今までに2~3回同伴してきた方が、今日は一人で来た。一人で来たのは、今日が2回目。そろそろ本格的に一人立ちらしい


この世界(どの世界でも同じだけどね)も馴染めずに直ぐに辞める方もいる。今までに2~3人の方はお辞めになったようだ。それぞれの事情があるのだろうが、「看護師」という特殊技能者に入る方々でさえ、その定着には難しさがあるようだ。


でも、潰しが効く


「潰しが効く」仕事は永遠です。「潰しが効く」技能を持っていない人は、対価を労働で払い続け、その結果、お給金を得ることになる。それを良しとするかどうかはあなた次第ということになる。

労働で払い続けるということは時間を拘束されることになるわけで、1日8時間の就業時間に縛られることになる。


高プロ、裁量労働制はそこが根本にある。自分には能力があるから、今日は1つの仕事を終えた。8時間かかると思っていたけど、3時間で終わった。裁量労働的資格を持って働いている人は、「じゃ、お先に!」と言って帰っていく。非裁量労働制のもとで働く人は、仕事が終わっても、終わらなくても、帰社時間までは会社に留まっていなければいけないことになる。それは効率的ではなく、結果として自分とっていいことにはならないだろう。


それを看護師さんと同じ特殊技能者に枠をはめていればいいのだけれど、経営者は皆皆自分に都合のよい方向にもっていこうとして、特殊技能者ではない方々をも「特殊技能者として認めてしまえ」とばかりに基準を押し下げている。それは管理職が絶好の的になっていく。課長だから、グループ長だからとバーを押し下げられいくわけで、組織体の中にいれば、その組織がそう決めれば、それに従わざるを得ないのが組織人なわけで、それを責めるわけにはいかない。責められるべきは、その上の長だろう。


特殊技能者とは、特殊でなければいけないわけで、よくいろいろな資格を取る方がいるが、それは無駄な努力にほかならない。


世の中は、珍しいもの、ほかにない(できない)ものが重宝される。あそこに頼まなければダメだと言われるような技術者であるから指名してくれるわけで、あいつもこいつも誰もができるならば、「次は」ないことになる。


資格とは、唯一無碍とは言わなくても、競合他社が少なく、速く、正確、緻密、丁寧等々でなければ、その存在価値はないことになるし、競合他社が少なければ少ないほど、コストパフォーマンスも悪くなることはない。


表題は「介護の本音」を書こうと思ったが、そこまでいかないところで終わってしまった。

介護としての資格の話は、また次回。

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物言わぬ消費者、否!物言えぬ消費者は忘れられていく [医療・介護]

2018.8.29


こんにちは。


今日は雲に遮られて幾分楽に過ごせる。動いてもあの酷暑のときのような汗は書かずに仕事ができる。しかし、元来夏好きの私としては8.29になり、あと2日しかないと思うと少しだけ寂しい。今年は土日にかかるので9.1も9.2も休みなのが救われる。宿題はここまで延ばせるという無駄なあがきをしたことを思い出す。


しかし、今はそんなに宿題も出ないらしいが、子どもたちはどんな気持ちで残りの夏を過ごすのだろうか。



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クーラーの壊れた病院のニュースがワイドショーで言っていたが、寝たきりになると無抵抗の抵抗しかできなくなる。これは他人事ではない。


我が母は自宅で寝たきりだ。朝と夕に介護をしっかりと受けている。ケアマネに頼み、朝は8時から9時半の1時間半お願いしている。(通常はほとんど1時間ずつ。事業者は30分を嫌がる)


そして2年がたとうとしている。


我が母は独居だ。したがって、ゴミ出し、食材の補充、昼の食事介護は私のほうでやることになる。

ヘルパーさんに食事、身体介護をお願いするわけだが、問題はいろいろある。

手の添え方とか、声かけの仕方、食事の与え方等々、「えっ!」と思うことは多々ある。


しかし、介護所作を逸脱していない限り、気がついたことはケアマネを通して改善の話をする。(直接と言うことは角が立つ)

担当者会議なるものも2回やっていただいた。だから極力同席はしない。ヘルパーさんもやりづらいだろうし、こちらの気分もよくなくなるからだ。


結論から言うと、朝の介護時間1時間半を1時間に戻した


最近は、隣家の建前とか、お茶出しの関係で朝の介護の方とドッキングすることがままあった。詳細は省くけれど、ちょっと目に余るものがあった。


1)ヘルパーさん、時間前に退室

2)作業を中心で介護が後手になっている

3)1時間半とってたっぷりと食事介護をお願いしているにもかかわらず、残り30分は事務処理をしていたとか・・・・。


母は目は見えるが、全く動けず、寝返りもしゃべることもできない、ただ生きているだけの状態だ。

当然、無礼なことをされても文句も言えない


皆皆ふいに私が行くものだから変にとりつくろう。それがいかにも不自然なものだから、いかに彼女らは不適正に事を進めているのかを垣間見てしまう。


ということで、言うことははっきりとケアマネには言ったが、彼女らにホスピタリティーを求めることが土台無理なのだと悟った。その分、来月からは訪問入浴もお願いできるので、こちらとしては都合がいい。


本当にツラツラと詰まらないことを書いてしまった。お許しあれ。


しかし、なぜ彼ら・彼女らのレベル(スキル)が上がらないだろうか。結果として、介護事業従事者の実収入が上がらないこと、介護業界全体の人手不足にも影響しているのだが、そこは皆、見て見ぬふりをする。改善の余地はある。

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一丁上がり! [医療・介護]

2018.7.9


おはようございます。


早めに起きようと思って就寝。3時半ごろに目が覚めた。昨日は23時30分に床についたが少し眠れず、24時ぐらいになったのではないだろうか。


だから少しだけ眠く、だるい


仕事を1つ終え、メールで出したところだ。

ミスがないことを望むが、どうだろうか。先方は、かなり細かい。よく粗を探してくる。


残る山は、あと1つ。


今日は介護と看護師さんが来るので、雑談とそれの立会い。昼食介護、仕事、庭仕事、夕食介護で終わりそうだ。



---?----・----


サラリーマンをやっている時期だったら介護は不可能だったろう。幸い、母が父の介護をしていたので、私はそのサポートをすればよかったので、サラリーマンは続けられた

 

サラリーマンから自営となり、父が寝たきりとなり、介護の担い手が母から私に移り、本格化。


父を次の世界に送り出し、母の介護が始まり、どのくらい経ったのか。父親の介護を含めると、もう何年と数えることも意味をなさないくらい長い時間を費やしている。介護期間を自慢しても始まらないが少しだけ自慢をしておこう。


父は脳梗塞で2回倒れ、私が病院、リハビリに同伴し始めたのが、介護の始まりだとしたら、それで10年、母親は13年になる。これも運命かと思えば運命かもね。


馬鹿なことを朝から書いてしまっいる。やはり寝不足だとよくないね。


楽しくと思えるときもあれば、辛いと思うこともあるし、人生は気持ちの持ちようであることは間違いない。


どんなフィールドにいても、嫌々事に当たってはいいことはない仕事にしても、派遣にしても、介護にしても、何事にもベストを尽くす。それが周り回って、自分に跳ね返ってくる。


それが人生、生きざまというもの


アルバイトだから、このぐらいでやめておこうと思う人は、正社員だから、「このぐらい」を超えようと思っても、それはできはしない。それが人生の通り相場


何でもかんでも突き詰めることが、最終的には、自分の力となり、今の「このぐらい」を超えられる

それが皆に与えられた平等というチャンスだ。


日本という恵まれた国に生まれた以上、そのチャンスをみすみす逃すことはない、とふっと思ってしまった。


相変わらず、話が朝から固いね。

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晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない(6) [医療・介護]

2017.11.4


おはようございます----いつもこのフレーズで始められればいいんだけど、なかなかパターン化ができない。


世の中は3連休だ。

今回、我が家は関係はなさそうだ。愚息ファミリーも来ないので、自分の仕事が進められる。家人とも近くに出かけたいが、家づくりの前段階の古屋の整理が落ち着くまではできそうもない。

朝方、ゴミを20袋出してきた。普通、各家庭が出すゴミは1袋ぐらいだろうが、毎回20袋ずつ出しても「焼け石に水」は当分続く。


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選挙は終わった。国会議員はきっと選挙公約をきれいさっぱり忘れているだろう。

まずは自分の収入源が確保されたことで安堵している方が残念ながら多いことは事実。


消費税が上がる。これは確実に上がるだろう、いや、上げなければおかしい、と誰もが思う。


安倍さんは子ども支援?に目的を絞って税金の使い道を決めるとおっしゃったような(ここは定かではない)。

子ども支援と、この題目にある「晩婚化、一人っ子」がどう関係するのか。
これは大いに関係する。だから、少しだけ期待(いつも裏切られるけど)をしてみたい。
子ども支援に段階的に、少しずつでもいいからより多く配分され続ければ、必然的に出生率が上がる。出生率が上がるということは、当然、晩婚化・一人っ子は少なくなっていくはず。
子どもが増えることは国が豊かになる。それは財政的にも、国の力としてもだ。
(もっと卑近な話をすれば、いずれ現役の社会保険料も下がり、生活が楽になる。それは経済が活発化するということ)
しかし、彼は近視眼的に選挙公約のためだけに子ども支援、税金の使い道を分けると言っているだけではないのか。
我々国民は、彼の政府の今後の政策、とりわけ、子ども支援の諸政策には、十分に気をつけて見ていかなければいけない。
彼が達成できなかった待機児童解消もお金がないと言う。
そんなことはない。47都道府県にいる議員政務活動費を削減し、議員定数の削減を行えば、十分に捻出できる。
お坊っちゃま育ちの人間には、そんな大ブーイング的な不人気政策はできない・・・・と朝っぱらから斜に構えてしまいそうだ

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介護担当者会議 [医療・介護]

2017.8.25


母の相変わらず低位安定。身内のひいきで、若干反応はいいと思うけど、他人から見れば、大した変わりはない。

朝夕と介護の方のお世話になっている。しかし、すべてお任せはというわけにはいかない。昼間は1回、自分が食事介助をし、食材の補充、ゴミ出し、洗濯物など、やることは日々追いかけてくる。ついつい別居なものだから忘れそうになってしまいそうなのだが、「しまいそうな」だけで忘れることはない


一昨日、担当者会議をやった。皆さんは忙しく、3kではないけれど、結構大変な職場であることは想像に固くない。プレイングマネージャーも多くいるわけで、我が家のためにわざわざ時間をとる必要もないようにも思うのだが、ケアマネから、「これはやらなければいけないのです」とお上のお達しということでやることになった


一通りご意見を聞いたり、お話を聞いて、こちらの希望もお話をして終わった。


総じて感じたことは、残念ながら、皆さん余り深くお考えになっていないような節が見られること。

「こうしたほうがいい」、「ああしたほうが便利ですよ」というご提言をいろいろと伺いたかったのだけれど、それは最後まで出てはこなかった。私から見れば、皆さんは私より、多くの現場を見ているわけで、それなりにいろいろと感じるところがあると思うのだけれど・・・。


介護は現場から声を上げることで変化が出てくるわけで、机上の空論とは言わないけれど、お役人さんが考えたやり方だけで現場が回されていくということに少しだけ疑問を持ってしまった


皆さん、それぞれ責任のある方々は、お上に意見を言っているのだと思うが、何も言わないと役人は、「これでいいのだ」ということで何の変更もなく改善されずに進んでいくということを忘れてはいけない。

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晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない(5) [医療・介護]

2017.7.15


そんなこと若いときに考えたことがあるんですか? と聞かれそうだが、当然ながら愚息の範疇で生活していた自分にとって、そんな人生の先のことまて考えるわけもなく、唯一この条件から離脱できるのは、一人っ子ではないことぐらいか。


そんなグウの音も出ないような詰まらない話を考えていたら、一昨日、「なるほど」と腑に落ちる話をテレビである教授の方がしていた。


これは昔から言われていたことなので特に新鮮さはないが、そこの考え方は合点がいった。


私たち日本人は将来に不安を感じるから、何の保証もないからせっせと節約をし、より安いもの買い、消費を抑える行動に走る。だから時の政権が増税するなんて言ったものなら、それは完全にシャットアウトをしてきた。


不安--節約--増税ノー。この図式は間違いがない日本国民の心情だろう。


その教授はこう言った。

北欧を見ろ。高税率、しかし、老後の保証、育児の保証、医療の保証がしっかりとある。」

「これだけの保証体制をつくるから、これだけの税金を納めろ。そうすれば、老後にお金がなくてもちゃんと国はあなたの面倒はみますよ。」ということだという。


「日本だって消費税を上げてきたぜ。みんなどこに行っちゃったの。いいようにされては税金を納める意味がわからない。」---という声はそこここに聞く。


日本は今まで、それを赤字財政補てんに使ってきた。だから、我々は税金が上がっても全然自分たちの生活、特に老後の安心は買えていないと強烈に感ずる。


もちろん、北欧でも問題はあると思う。しかし、老後は税金をしっかり納めているから、それを我々に使ってくれるから、充実した毎日を生きよう、とする生き方は、セコセコと爪を灯すようにお金を貯めて、今の生活も切り詰め、切り詰め我慢をしている生き方よりどれほどいいだろうかと思う。「財政破綻」になってしまうとハイパーインフレになり、きれいさっぱり借金はなくなるとよく専門家はおっしゃるけれど、それは皆さん経験のない領域で、大変な苦渋を我々国民は被ることになるので、お金持ちの方々が面白半分におっしゃってほしくない事柄だ。


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晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない(4) [医療・介護]

2017.7.14


悪い癖で、これだと思うと同じことをずっと書きたくなる。今日は菩提寺の法要(盆供養)があったので、車を運転しながら、いろいろと頭の中で原稿を練っていたのだが、書き留めないとすぐ忘れる。そのせいか、続けて同じ系統のことを書くことになる。いい案が浮かんだのだが、これから書くことは、この表題を書こうと思って1週間ぐらい前に思い浮かんだもの。携帯で打って、パソコンに送ったのだが、そのフォルダー保管をも忘れそうになったので、慌てて書くことにした。


親を高齢者住宅に入ることはありかなしか?の問題。

まだまだ、先のことと思っている人たちが冗談に施設に入ればいいと簡単に言う。しかし、現実はそう甘くはない。


確かに親を高齢者住宅に入れることは介護を軽減させるにはベストの方法だと思う。
特にひとりっ子の方にとっては必須のアイテムとなる。
しかし、問題がある。それはお金だ。便利なところだと月15万円は固い。地方の田舎なら10万を切るところもあるかもしれないが安かろう悪かろうの域は出ない。

現在、雨後のタケノコのように乱立ぎみの介護施設である。十分に吟味をする必要はありそうだ。

ひとりっ子の場合、その経済的負担は親で完結できないならば、すべて自分にかかってくるわけで、ひとりっ子はその経済的負担生活設計に入れつつ生きていかなければならない。途方もなく壮大な人生設計立てなければいけないことになる。


そんなことは現実にできるのだろうか。


特養」という言葉をよく聞く。特別養護老人ホームだ。安い。民間の3分の1ぐらい。しかし、公立なものだからシーツ替え、パジャマ替え、衛生管理は言うに及ばず、職員さんの対応もかなりフレンドリーで好感が持てる。ご家族さん向けの対応ではなく、あくまでも患者さん向けの対応だ。


だけど、なかなか入れない。なぜか、ご存じのように、それは応募者が多く順番待ちだ。永遠に来ないような順番待ちも多い。都内の特養はかなり遠い存在。これはやはり地方が有利だ。都内近郊もどんどんできてはいるが、その順番はどうなんだろうか。

特養の場合は、自宅介護とほぼ同じぐらいのかかりで済む。これは魅力だ。


自分が厚生年金満額(65歳)で退職、親がそのとき85歳の場合---親が20歳で子ども生んだことになるから、その条件に当てはまる方々は、どう見ても少ない。つまり、子どもがもっと若いときに親は介護状態になることを示している。それは50代? 40代? それに、この条件は親が85歳まで元気な場合だ。親がもっと早く寝たきりとなる場合も考えなければならなくなる。


介護離職という言葉が現実を帯びてくる。


つまり、親の懐具合も多少知っておく必要が出てくる。

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晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない(3) [医療・介護]

2017.7.12


昨日は都内で仕事が終わり、愚息のところに車を貸していたので、それを取りに行きがてら、夕食を皆で囲み、家に戻ってきたものだから21時過ぎの帰宅と相成った。寄る年波ということで食べると睡魔が半端ではなく襲いかかってくる。その眠気に堪えながら、一般道を40キロほどひた走りに走り続けた


家内がその眠気を察知したのか、今我が家で最も懸案となっている問題を話し始めたものだから、俄然、目が覚めてしまって、居眠り運転などすっ飛び状態になり、我が家に着いた次第。その懸案事項はおいおいまたお話ししようと思っているが、本当に人の気持ちは推し量れないものだなと思う案件だ。簡単に言ってしまうと、「図々しいにもほどが・・・・」ということだから、皆さんが日々お感じになっていることの範疇は超えるわけもないことで、私にとっては理解不能状態だ。


いずれ時が経ったとき、それを書くことを忘れていなければ書こうと思っている。かなりおもしろい話だ。



さてさて、今日は一人っ子の話だ。

一人っ子で独身は最低だ。「最低」といっても、人格とか、人間性のことではない。前にも書いているが、年をとってからの苦労のことだ。ふって湧いてくるような大変さだ。これはもうどうにもならないことで、わかっているのだけれど、皆皆それを積極的には考えない節がある。「なるようになれだ」とか、「ケセラセラ」という言葉に代えてしまって蓋をしてしまう。二人以上の兄弟がいるならば何とかやっていける、相談をしながらもやっていける。しかし、一人となるとそうはいかない。ましてや独身だったら、どうなるのか。考えることが嫌になる。面倒を見る人が複数ならば、病気になったら入院させ、その後、施設に入れる、入れないの連絡、相談ができる。複数の人数がいれば、一応の道筋が描けるというもの。一人だと想像はするが、結論めいた、拠り所にする結論が出てこない。「あ~ぁ、どうでもいいや」という結論になる。


一人ぼっちとはそういうことだ。自由裁量が無限大にあるということだ。

自由裁量とは格好いい言葉だけど、そいつは寂しく、厳しい。最終責任も、最終決断もすべて自分だけということ。


大抵の方は、放置を決め込むか、仕事をやめて、介護に専任する。とりあえず、行動する。考えるのが嫌だから、考えずに済む方向に進む。


これが自殺行為となる。


自分がいるということは、多分、親御さんはいらっしゃるはず。


日本人も親思いの方は多い。多くの人たちは、その中に沈んでいく。


それを防ぐための最低限の条件は、結婚、そしてそれは早婚がベストという話。


介護の現場は厳しく、待ったなしに訪れる。                                      

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晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない(2) [医療・介護]

2017.7.11


今日は仕事で外に出る。この暑い最中少々閉口気味。現場は事務所がある駅チカらしいのでまだよいが、建物のある工場に行かなければならない場合もあるから、その場合はモノレール、バスを乗り継ぐから死んでしまうぜ。


晩婚化、最近は結構ふけ顔(失礼!)の方でもベビーカーをお引きになっていて驚く-----「驚く」と思ったのは、もう10年も前からだ。つまり、かなり晩婚化は進んでいるということか。だからだろうか、今は見ても全然驚かなくなった。


自分が一人っ子、これは自分ではどうしようもないことで、親を恨んでも仕方がないし、時間は前に戻せない。

しかし、晩婚化は努力次第で何とでもなる


晩婚化でよいことはあるのだろうか。

【メリット】

1)見識が広くなるので、子育てに余裕が持てる

2)資金的に余裕でが持てる

【デメリット】

1)子どもに障害のリスクを伴う

2)なかなか子どもが生まれない

3)子育てに自分の体力がついていけない

4)子どもとの世代間ギャップが大きくなる


もっとあるのだろうが、私は子育てに時間が経っているので、思い浮かぶのはこれくらいか。


確かに待機児童の問題があって遅くなってしまうとか、もっと働きたい、ここで子ども生むと最前線から外れる同期に遅れをとりたくない等々。ここは男の立場と女の立場が交錯してしまうが、ざっとこんなもんであろうか。


【メリット】1)の見識が広くなる云々、これはない。かなりない。


見識が広くなっても子育ては未知の領域。二十代でミルクを初めてつくるのと、四十代でミルクをつくるのでは大差はない。見識が広くなると思えるのは、高齢であるから故の世間慣れ、感性が老成化しての即対応の遅さに違いない。これを世間ではよく見識が広いとか悠然・泰然としているという。


【メリット】2)資金的な問題。これは大いにある。かといって乳飲み子はすぐにステーキを食べたいと言うはずもなく、食費はさほどかからないし、部活の遠征費用が要る、ピアノを習いたいと言ってくることもない。洋服だってかかるはずもなく、かかるのは保育園に預ける場合だけ。


【デメリット】1)2)は辛いものがあるので省略するが、子どもには責任はないわけだし、それを少しでもリスク回避したいのなら、早婚のほうがベストチョイスだと思う。

3)は運動会で「親子でかけっこ」なんかに遭遇すると、如実に感じてしまうし、4)は反抗期に遭遇すると、これもはっきりとあらわれる。


最後になるが、晩婚化で決定的なデメリットがある。それは親の援助だ。援助というと「お金」を思い浮かべる方も多いだろうが、そうではない。子どもが病気のとき、自分が病気のとき、旦那(奥さん)が病気のとき、不仲のとき、自分一人ではどうしようもないときは必ずあるし、伴侶がいろいろな事情で当てにならないときも当然あるわけで、主婦力がない現代人親に頼るしか方法はない。親はお金はかからないよ。無償の愛でもって援助してくれるよ。九州(北海道)からだって飛んできてくれるよ。これはありがたい。それが晩婚化によって親も年を重ねるわけで、彼らの援助を泣く泣くドブに捨ててしまうことになる


親(ジジ、ババ)も大変だ、大変だとは言いながらも、楽しく孫の面倒を見てくれるのは、古今東西、どこでも同じだ。


子育て期間長いようで短い。あっと言う間だ。ウジウジ結婚をためらっているよりは、即断、即決、即・卒子育のほうがなんぼか賢い選択かと思ってしまうのだけれど、それは私だけの考えだろうか。


最後に


23歳で子ども生んで、45歳で子どもは社会人になった親御さんの人生。


40歳で子どもを生んで、62歳で子どもが社会人になった親御さんの人生。


どちらがより豊かな人生を送れるかはその人次第だけれど、よりよき人生送れる可能性は、45歳で完全に子育てを終わらせた方だというのは「火を見るより明か」ではないか。

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請求書が間違っていると申し出があった [医療・介護]

2017.6.20


介護事業所より、請求金額が違っていると文書が来た。昨年の9月分と10月分だそうだ。

2500円ほどの過払いがあるそうで、今月分と相殺したいといってきた。9月分は多く払い、10月分は少なく払っているそうだ。


私としてはどうでもいいことなので、そのまましておこうかと思ったが、前にも払った払わないがあった事業所なので、過分に払うのも馬鹿馬鹿しいので調べてみた。9月の請求書と10月の請求書の額のとおり、私は支払い領収書ももらった


今回先方の申出額は、それとも違っていた。じゃあ、何が違うのか。仕方なく電話をし、その旨を伝えた。その会計担当は勤め始めたばかりらしく、本部から言われたとおり、動いているとのこと


私「金額は違うけど、大した額ではないし、このままでいいことにしませんか」

先方「あっ、そうですか、違っていたんですか」

私「細かいことを言うときりがないので、若干、私が得をすることになるけど、本部が言っているんだから、そのままでいきません?お互い、忙しいし。あなたも介護をしながら会計をしているんでしょう?」

先方「ハッハッハッ・・・」

私「全然、それでいいですから、検討してください」


と電話を切ったけど、どうするんだろうか。きっとまた訂正をしたいと言ってくるんだろうな。(向こうが損をわけだし)



そうなると、馬鹿も休み休み言えと言いたくなってきちゃうけど、ここはじっくりと怒らずに大人の対応しなければいけない。


このご報告はまた後日。

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本当に介護体制は使い切れているのか [医療・介護]

2017.4.23


介護五者連合を考えてほしい。


医者-看護士-ケアマネ-介護事業所-ヘルパー????




もう少し時代を前に戻してみよう。大体14~5年前ぐらいでいい。その時代は、まだまだ介護体制は整っておらず、ケアマネもいたにはいたが、スムーズに機能していたわけではなかった。介護認定申請時にはお世話になった記憶はあるが、それ以降、訪問医、介護所はすべて自分で探した。現在のように、ケアマネが中間に入って、訪問医や介護所を探したりは進んではしてもらえなかった。こんな言い方をすると語弊があるといけないので、別な言い方をすると、今は介護所に直接電話を入れても、必ず事業所のほうで「ケアマネはどなたでしょうか。」「ケアマネから電話を入れていただくようお願いしてください。」と必ず言ってくるようになっている。


また、「訪問医--ヘルパー」このラインの結びつきが皆無なことも、ヘルパーに対するモチベーションを下げる原因になっていることもあるようで、ヘルパーの脱落が介護現場での一番の問題になっていることも事実。


失礼ながらヘルパーの質も十人十色であることは確かであり、訪問医から見れば、「看護士とは話すことはあるが、ヘルパーさんとはね・・・」という言葉がないことはない。もちろん、現場サイドからすれば、一々ヘルパーさんと話なんかしてる時間的余裕などないとも言われそうだ。


しかし、医者-看護士-ケアマネ-ヘルパーで現場は回っていることは確かであって、その一つも欠けては、この制度は成立しない。


もう一つ、看護士⇔ケアマネとの連携も今一つなことも事実。


一足飛びに医者⇔ヘルパーとはいかないであろうから、まず看護士⇔ケアマネ、看護士⇔ヘルパーとの連携を密にしてから、その次へと進める。この方法がいいのではなかろうか。


いろいろ書いたが、最終的には医師からヘルパーまでの連携がなされている本当の意味での介護総合病院(器は要らないけど)構想が必要なのだと思っている。

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介護は「点」を「面」に変えなければいけないと思う [医療・介護]

2017.4.22


現在、介護事業者は被介護者の要請によって動いている。つまり、ご要望のあるお客様宅に伺うわけだが、その場所はてんでんばらばらだ。つまり、A町に行った後、B町に行って、C町に行き、そしてA町に戻るといった按配だ。


A町とB町は5キロ離れていて、B町とC町は6キロ離れている。そしてC町とA町は8キロ離れている。もちろん、もっと離れている場合もあるし、もっと近くの場合もある。つまり「」で動いているのではなく、「」で動いている点に大きな問題がある。


もう一つ問題がある。介護ヘルパーが被介護者宅(A、B、C)を訪問するわけだが、その移動時間は全く給与には反映されていない現実があるということ。つまり、A、B、Cの経由に5時間拘束されたとしても、ヘルパーにはA、B、Cの3人の介護分しか給与は払われない。移動時間は全く加味されていないということ。今、辛うじてヘルパー人員は足りているが、こんな不利益的な扱いが続けば、あと4~5年の経過とともに顕著になる被介護者の増大、それに反してのヘルパーらの減少が続き、現場はパンク状態になってしまう可能性が高い。今でも、介護事業所の撤退、辞退、遅延が相次いでおり、介護所としては綱渡りの様相を呈していることは確かだ。


つまり、介護現場の「点」での活動を「面」での活動に変更することにより、無駄な移動時間をなくし、被介護者とヘルパー両者の負担軽減を図ることが一番の課題ではないだろうか。


被介護者の負担軽減とは、被介護までの待機時間を減らすこと、介護単価の高騰を抑えること、最低訪問回数の制限をなくすことなどがあり、ヘルパーの負担軽減とは、移動時間の労働時間算入である。もちろん、介護事業所における内部留保の軽減、ヘルパーの処遇改善を検討することも大事な改善項目だと思う。


現在、介護事業所はすべて「」での行動であり、「」での行動を模索しているところはない。「多業種連携」という言葉をよく介護現場では使っているが、これが「産学官連携」のように、言葉倒れに終わらないことを切に希望したい。


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ドタバタ介護(2) [医療・介護]

2017.4.5

今、ケア・マネージャーからメールが入った。撤退したい事業所は3日を1日に。もう1つの事業所があとの2日をカバーするということになった。

朝、私は私で別の事業所にお願いの電話を入れておいたが、そこも前向きであり、何とか入れてもらえそうな感触であったが一件落着

いろいろと介護現場の状況を聞くにつけ、これでは長続きはしないだろうな。特にパートの方はきつだろうという感触。なぜなら、移動時間は勤務には含まれない。つまり、5件(5時間介護)担当で拘束時間が7時間の場合、時給対象時間数は5時間のみ、移動時間は勤務としては認められないそうだ。若干のガソリン代は出るにしても、キロ10円とか、20円とか。100キロ走っても1000円、2000円の世界だ。

介護現場は「点」で動いているから移動距離と時間が自ずと必要だ。

移動時間を勤務時間に入れない事業所感覚に問題はないのか。はたまた、「」で行っている現在の介護事業、移動時間を少なくする方策を考えないのか。

じゃ、「」でとらえればいいじゃん---こんな発想、私にだってできるんだから、偉いお役人さんもちょっとだけ考えれば浮かぶはず

介護現場の担い手に適正な報酬が行かない人手不足というならば、「社会保険を上げる」という単純な発想ではなく、現場を見、体感し、知恵を絞り、現在の給付レベルで適正に再配分されるよう、新しいやり方を生み出すことぐらいはできるはず。それをやらないのは役人の怠慢にほかならない。

あと5年もすると現場はパンクだ。

しかし、小回りの効くケアマネージャーで助かった。感謝している。


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ドタバタ介護 [医療・介護]

2017.4.5

1つの介護事業所がキャンセルを申し出てきた。前々から人は代わる。当日のドタキャンがあったりでテンヤワンヤの事業所なのでさもありなんだ。

人が代わるのはいいけれど、問題はその速さだ。1~2か月だろうか。とにかく早い。1年で延べ20人以上の出たり入ったりは困ったもの。

またまた別の事業所を見つけなければいけなくなった。ケアマネも大変だが、受け入れる側の私も母の癖とか、状態を一から説明をしなければいけない。

今朝も心配で様子を見にいってきたが、まずは母も何とか低位安定。介護の人も通常どおりの作業をしていたので一安心だが、今後どうなるか。

介護の現場は人が不安定だ。


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晩婚化・一人っ子は悲劇的な結末を生むかもしれない [医療・介護]

2016.7.22

介護は人生の必須条件。 

政府の目標の一つに「介護離職」なるものがワードとして使われているが、私が父親の介護に遭遇した当時は、

そんな言葉はなかったし、車椅子もレンタルなどというものはなかった。もちろん、ケアマネージャーなんていう言葉も

なく、ただただ好奇の目にさらされながら、病院に通院、カイロプラクティス通いをしていた。

当時は、病院がサロン化しているなどと言われる前だったから、治療以外の場合でも、介護ができない方は病院に入院が

できた。何カ月も何年も可能だった

しかし、今は違う。

自分の仕事があるから親の介護はできない病気治療でないけれど、面倒が見られないから「先生、入院させて」と

言っても無理だと断られる。つまり、「自分でなんとかしろ」というわけだ。

自分が一人っ子だったら、どうするのか。

離職しなければならない? 国の方針で社会保障費削減のために早期退院をさせ、病院のサロン化防止のためにやって

いる政策は、すべて介護離職につながっている矛盾

親が40代での晩婚化は、60代で子どもが成人、80代で子どもが40代、90代で子どもは50歳代だ。つまり、子どもが働き盛りの40歳代で介護になる可能性があり、幾ら長生きになるといっても、親が90歳代では、ほぼ全員目の離せない介護状態だろう。

つまり、その親は60代で成人の「子育て」と「親の介護」が重なる。あなたに伴侶がいれば相談なり、あなたの助けになるからまだいいが、

シングル(ファザー、マザー)だったらどうするのか。

人生には「子育て」、「親介護」、「伴侶介護」、「終活」(最近は「ニート」もあるかも)とイベントが目白押しだ。それをいかに重ならないようにするか。

生きていく上で与えられた時間はあまりにも少ない。若いときのよかれと思っていた気ままな生活が、

老成期になったときに、意外な悲劇的結末になるということを肝に命じなければいけない。

「早婚」、「二人っ子」、これが最低限の人生のメルクマールになるかもしれない。


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薬手帳--やはりネ [医療・介護]

2016.7.8 

薬手帳は、やはりお金をとっていた。

たったあれだけのシールで150円です。

今回は薬剤師の方に薬を受け取るときに聞いてみた

「ちょっとお伺いします。薬手帳のシールもらわない方法はあるの?薬局に入って、いつ言えばいいの

」「ええ、もらわないと言えばいいんです。受け付けに処方箋を渡したときに言ってもらえれば。」

そうか。そうだよネ。やっぱり当たっていた。

50点だから×10円で500円、その3割負担で150円

聞いてみてよかった。今度は大手を振って言えそうだ。

最後に彼女がもっと勇気を与えてくれる一言を言ってくれた。

「塵も積もればですからね。私はいつももらいませんよ。もったいない。」

とのこと。現役薬剤師さんが言うくらいですから、間違いない。

ヤフーにしても、NTTにしも、大病院の医院長も、みんな小さく小さく儲けているのです。

我々庶民は「宵越しの金は要らねえ」なんて言わずに、彼らに対抗すべく、しっかり小さく小さく倹約して、マネービルをしなくてはいけません。

各々方、賢い消費者になってやろうゼ。


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気持ちのよい先生に会った [医療・介護]

2016.7.8 

先日、風邪のような(でも風邪ではないと思う)症状があったので、病院に行った。

3~4か月前にも同じような症状で、軽い肺炎だと言われてしまった。

今回は同じ先生ではなかったものの、同様の症状を言うと、「前回のCTの間隔が狭いから被爆の影響を考えて、もう少し様子をみましょう。前回と同じ薬を出しますからね」とのこと。

かなり納得。

今回も気持ちのよい先生だった。それは私の目を見て話していただいたからだ

ひどい先生だと顔を少しも見ず、カルテだけを見て診察するカルテ先生がいるから情けなくなる。

今回のこの先生と私が勝手に主治医と思っている先生、この二人は頼りになりそうだ

昔から「病」は「気」からというからね。


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訪問医療条件の緩和 [医療・介護]

ついにやった。

訪問医の条件が月2回が1回でもOKになった-------とおである自分が制約を受けていることに頭に来るけど。

まあ、よしとしよう。

もう半年前ぐらいになるだろうか。母の介護申請のために訪問医を頼むことにした。

はどこも悪くはない。薬も不要、風邪一つ引かない。血圧も正常だから血圧降下剤も飲んだことがない。糖尿病でもない。むせたこともなく、怪我もしない。しかし、老人性痴呆症ではある。だから、週2回ヘルパーさんに頼んでいる。

 介護を受けなければならない体なので、介護申請を2年に1回やる。しかし、介護申請の意見書を書いてくれるお医者さんがいない。どこも悪くないから、医者に行ったことがないので、かかりつけ医がいない。介護申請のためだけに医者を探すことになった。前回もこの訪問医にお願いをした。

月2回、問診をし、血圧、酸素フォワードを計る。薬も不要だ。それだけで7,700円を支払う。

1回をお願いしたいのだが、月2回という縛りがかかっていている。表向きは患者を定期で診るためともっともらしいことを述べているが、それだけで、8万4,000円/年額の出費になる。母は1割負担。医者には84万円が入ることになる。

医者の懐はどうでもいいが、国の財政状況を考えると、これはおかしい。医者だけおいしい思いをしている。患者だって、年金暮らしが多いはず。これはフリーに選ばせるべきではないのか。支払ができないから辞めざるを得ない患者だっているはず。

おかしい。実におかしい。

国も医者も納税者を見ていない。 


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お薬手帳の怪 [医療・介護]

黙って請求している薬局は、泥棒と同じことをしている------白衣を着ていれば、上から目線で「患者様のためにやっている」とおっしゃる。白衣の天使ならぬ、白衣の泥棒猫は、何でも許されると思っているのか。

私はこの間、2か月ほど風邪気味で偉い目に遭っていたんだけど、
みなさんも病院受診後、薬局に薬をもらいに行ったことがあるだろう。すると、決まってお薬手帳はお持ちですかとくる。持っていないとなると、「お薬手帳」なるものを支給される。これを支給されていない人はいないはずだ。

これが曲者だ。

私が風邪にかかったとき、やはり薬局に行き処方箋を出し、薬をもらい、精算する。

内訳を見る。

薬管理料41点」--------------------------------------なんだい、これ。薬代でも、検査代でもないみたい。

そうそう、「お薬手帳」に張るシール代だ。
ちくなみに1点10円だから410円????????

えっ、100円前後じゃないの?
410円? そんなの頼んでもいないし、「とりますよ、410円、いいですか」なんて一言も言われたためしがない。ましてや毎回手数料をいただきますよという説明は皆無。

2か月で10回は処方箋もらいにきているから、4100円だ。
ひどい話だ。

国民よ、もっとシビアになろうぜ。
薬手帳要りません薬管理料は払いません。私がシールは張ります。
自分が管理しますと言おうぜ。

ひどい話だ。
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忘れられた俺の名前 [医療・介護]

ついに俺の名前を忘れたらしい。

「いつも来て食事をつくっていく男の人は誰?」と言っていたと聞かされた。
この8年間、父親が他界してからずっと朝と夕に食事の世話していた。
「大変ね」「偉いね」「きっといいことがあるわよ」なんて言われていたが、余裕があるうちはよかったけれども、だんだんと余裕がなくなってくると、そんな言葉も厭味に聞こえてくる。介護はきれいごとではないとつくづく思う。これも宿命。生みの親の母親だから世話をすることはできるのだ。

いつものことだが、ズボンを上げずにトイレから出てきた。「ズボンを上げて」。


「・・・・。」

「何で上げてこないの、みっともない。」


「・・・・。手に力が入らないから上げられないんだから仕方ない。」


これを生業としている人は、つくづく偉いと思う。逆説なことを言えば、若い人には持続可能性のない職業かもしれない。

介護施設で投げ落とした事件があったが、真面目な顔をしてインタビューに答え、真面目なこと質問している画像を見るにつけ、厳しい現実があることに驚愕する。母親が施設に入ったら、そのターゲットには絶好かもしれない。それを予感するので、施設には入れられない。

彼らが相対するスペードのエース、絶対に勝てない敵だ。

きっと本人はそれに気がついていないのだろう。それが若さというものだ。

今日もどこかで高齢者虐待は繰り返されている。

訪問医療費の高止まり [医療・介護]

訪問医療費の件。

訪問医療は1割から3割の負担をして、お医者さんに来ていただくのは助かるのだけれども、月2回は訪問しなければいけないというウソのような制約があるようで、月1回では認められないみたいだ。(これは完全に医療側が利する内容で、国民のサイドには立っていない)

これはおかしい-----ということで,厚労省にメールをしたんだけれども、らちが開かない。


我が家の隔週2回の訪問医は意気揚々。私のストレスは、会うごとに積み重なっていく

やはりどう見ても医者は自分の懐しか考えていないのか。
医は算術」なんだとつくづく感じる。
月2回での医療費は7~8千円、年間8万4千円~9万6千円。総医療費(医者に入る医療費)はその10倍の84万円~96万円。10年も続ければ結構な額になる。

潤沢な生活費を使っている高齢者なんか、そう多くはいない。ましてや借金大国のわが国においては、無駄は御法度

そんなことは私にだってわかる。

この医者とはお金でしかつながっていないから、金がなくなったら、それで終わりということか。
人生の終末期の母親の医療はどこに向かうのか。

ケアマネにその旨を申し出ていたのだが、ケアマネも動く様子はないので、自分で訪問医に言うことにした。「月1回になりませんかね効率的な資本の使い方をしたいし」----------八百屋で100円の大根を買おうとしたとき、90円しかなかったら、90円にならない?ときっと聞くのと同じこと。

すると、驚きの回答があった。

「4月から1回でもいいという制度改正があるんです。誰かが言うらしいんですよ」と訪問医。そうか、厚労省はそんな縛りをかけていたんだ医高民低だな。

ということで、月1回になった。とは言え、我が家の医療費はまだまだ高止まり状態
介護申請のために、母親に無理をさせてでも3か月に1回、病院通いをさせたほうが、少しは国のためになるかもしれない。

少しは国のことを思う公人はいないのか。

厚労省への質問と回答-訪問医の回数制限 [医療・介護]

2016.2.19 

厚労省との問答。

種別: ご質問
件名: 訪問介護について(意見・質問)
内容:
お世話になっております。
当方、実母93歳、健康。過去通院歴、投薬治療歴なし。
老齢93歳なりの健康体ですが、認知機能低下、歩行少々難有為、介護申請済です。
今回、医師の意見書(介護認定)いただくために、かなり難渋をいたしました。(かかりつけ医で
ない場合は書けない、初診では意見書は書けないとすべて断られる。)今回の介護申請期間は
2年です。
致し方なく、訪問診療(介護申請の為)を申し込みました。
その条件として月2回訪問するという契約書が提示されました。現在、月2回の訪問診療を受け
ております。どこも悪くないので、処方箋も不要です。月約7000円(1割負担)ほどを支払っております。(国の負担は75万超でしょうか)
どこも悪くない者が、年間医療費を約84万円も支払っていることになります。

ここで質問です。
1)訪問医療は必ず月2回でなければいけないとご指導しているのか。
2)かかりつけ医でなければ医者の意見書(為介護申請)は書けないとご指導をしているのか。
3)社会保障費高騰財政難の折、健康体だが介護申請が必要な人間に対して、この出費(国も個人も)は致し方ないとお考えなのか。
4)このような場合、柔軟な対応は全くお考えではない、お気づきでないのか。
以上、ご回答をお願いします。

雑感---医療費削減のため、何カ月かで退院、自宅療養の施策をする傍ら、私のような無駄な医療費の支払を平気でご指導なさっていることに対して、何か変だとは思われないのか。

御省は医者・医学系の方が多い中、医者の悪口は言いにくいが、医者はご自分利益しかお考えになっていないのではないか。社会保障費の高騰している原因が高齢化だけのような言い方をすることも多いし、確かにそれも原因ではあるが、もう一つの原因は、医者の報酬である医療報酬にあるのではないか。

私どもの訪問医療医は何がなんでも隔週月2回を死守しようとするように見える。ひと月留守にすると申し出ら、その前後月3回訪問すると言うのには唖然。私のような名も知れぬ一国民が、若者の社会保険料アップを(焼け石に水かもしれないが)少しでも遅らせようと考えているのにもかかわらず、医者は自分のことしかお考えよなならない。私利・私欲しか考えていないように思える。
以上、ご多忙の中、甚だ恐縮ですが、ご回答のほど、よろしくお願いいたします。


これに対する返信が以下のとおり。
※このメールアドレスへは返信ができませんので、再度ご照会いただく場合には、
 お手数ですが、厚生労働省ホームページの「国民の皆様の声送信フォーム」より
 お願いいたします。
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厚生労働省ホームページをご利用いただきましてありがとうございます。
お問い合わせいただきましたご質問の2)につきまして回答いたします。

主治医意見書につきましては、
国の通知において「主治医意見書の記入は申請者の主治医が行ってください」と
記載しております。
訪問診療と費用につきましては、担当部署が異なりますので、
担当より回答するよう当課より連絡をいたします。

厚生労働省老健局老人保健課

という木で鼻をくくったような失礼な回答が来た。
これをみなさんはどうお考えになるだろうか。 もちろん、ほかの担当部署より回答が来るはずもなく現在に至っている。

ちなみに、今回、一回目の質問では回答が来ず、催促をして、この状態であることを付け加えておきます。

本当にこの国は大丈夫なんだろうか。


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