学生村(14)-野糞の妙味 [学生村]
2017.4.30
世の中に人で野糞をした人はどれぐらいいるのだろうか。
それも野原のだだっ広いところで、立派とはとても言えないような自分の分身を隠そうにも隠せない場所での行為。
もちろん、したくてするわけではないが、草原で風は清々しく、足元はサンダル履きで、ちょっとだけ露草で濡れたりして、下半身に冷たさを感じ、ほどよく歩いたことにより腸も適度の刺激を受け、本屋に行くとなぜかトイレに行きたくなるような、そんな感覚になること------ありませんか?
ありますよね-----あるという前提でお話を進めます。
そのときも午後の散歩と買い物と称して、一人で裏道の吊り橋をとおり、牧場に抜け、番所まで歩いていたときのこと。
急激に催したくなり、はたと周りを見たと同時に、ポケットに手を突っ込んだ。
ない!・・・・・・・紙がない・・・・・・・ポケットにはセブンスターの煙草が1箱のみ。あとお金が少々。
大便をしたいときに紙がないことほど悩ましいことはないわけで、トイレという囲いの中で済まそうと算段なら、今ならウォシュレットがあるので、それで流し去れば、少々パンツが濡れたままでも事は済む。ウォシュレットのない時代は、どうしたんだろうか。私はその経験がないのでわからないけど、入って--座って--事を済ませ--その段になったとき、ハタと狼狽する--一応、こう見えても、そんな先見の明のないことはしたことがないからトントわからない。
しかし、ここは野原だ。誰もいないが、紙もない、囲いもなければ、紙らしい紙はお札だけ。でも、死んでも、これで拭いてはいけない。両親に教えられたわけでもないが、そのとき、そう思ったことは確か。あるのは芝のような雑草と煙草とライターとお金のみ----あなたなら、どうする~~、あなたなら、どうする~~と、いしだあゆみの歌が聞こえてきそうだ。
草で拭き取る--近くに適度ないい按配の草がない。棒もないし、木もない。木を拭いたら痛そうだし。
芝は手でむしってもわずかに手に残るだけ。とても、我が「校門」を拭けるわけもなく。
限界が近づいてくる。こういうときにダンボして留めておくことは不可能に近い。敵はもう突進してくることしか考えていないようだし。
・・・・・・・・・・あった。煙草のパッケージ。セブンスターのパラフィンをそっと剥がし、煙草もそっと芝生の上に並べ、中の星の図柄紙をゆっくりとそっと剥がし広げる。1回分だが、確実に拭けそう。
紙さえあれば、もう勝ったようなもの。辺りを見回し、誰もいないことを確認し、そっと座る。
出た--大漁です---失礼。
なんという快感、今まで味わったことのないような快感。空はどこまでも青く、風はどこまでもさわやかで、鳥の声も聞こえ、遠く白い雲が流れている。あんな快感、あれが最初で最後です。
今は煙草は吸わないが、当時、煙草を吸っていてホントによかった。煙草も結構有益だとつくづく思ったという一席。
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