お正月の遊びを思い出した。 [生活]
2021.12.22
こんにちは。
今年もあと9日と数えられるまでに迫ってきた。小さいころは新しい服を買ってもらい、新年からそれを着るために散髪に行き、親戚や知り合いの家に新年の挨拶に行ったものだった。それが決まりというわけではないが、一つの区切りとしての我が家の恒例行事になっていた。子ども心にも気持ちが何故か高揚し、身が引き締まったものだった。余り気乗りしない行事ではあったが、お年玉も訪れる人たち誰からといただけるし、高揚しないほうがおかしかったかもしれない。
「もう幾つ寝ると~~お正月にはたこ上げて、駒を回して~~」の言葉どおり、全く同じことをしていた。ジジイと言われる私だが、凧さえ手に入れば、今でも凧上げを是非してみたいと思っているほど、凧上げは好きで仕方がなかった。当時、たこ糸は偉く高いものだったので、貧乏小伜の私は、木綿の糸の束を何本かを母親の裁縫箱から持ち出し、近所の手先の器用な女の子に糸マキマキをしてもらい、10m、20m?? 40㎝四方の字凧が親指の爪ぐらいに小さく見えるまで高く上げてみることが私の正月の唯一の遊びだったような気がする。
当時、空襲で焼け残った三階建てのアパートに住んでいた私は、そこの屋上の給水塔の上に登って凧上げをすることが日課になっていた。ちょうどいい具合に、電信柱も電線も皆眼下にある状態だったので、電線に引っかかるということもなく、「走り凧」をする必要もなく、凧を上げることは造作もないことだった。無意識ではあったが、当時、走り凧をする連中を僕らは軽蔑していた。もちろん、子どもであるから「軽蔑」とはっきりした意識ではなかったが、「あれは凧遊びじゃない」と別の枠を勝手につくっていたよう気がする。なぜかというと、走り凧をすると微妙にバランスが崩れる。何回も何回も逆さまになって地面に落ち続けるものだから、だんだんと糸と凧とのバランスが崩れ始める。それに紙が破れる。
そんな中、精神を集中し、風を読み、今だと思うときに手をすっと離し、凧を風に流す。その一瞬のタイミングは、子ども心にもある妙味として、今でも手指の先に残っているのは、妙にうれしい。
今では字凧も頃合いのよいものはなかなか手に入らない。昔は10円で買えたけど、今では80円ぐらいで送料が500円。この写真はインテリア用だけど、何と7000円以上はするようだ。
でも懐かしい。龍の下の真ん中の出っ張りに新聞紙で尾っぽを3mぐらい付ける。この出来不出来が凧上げの成否を決定的に分けることになる。
ついていけない自分が幸い?? [新聞記事]
2021.12.22
こんにちは。
今日は打って変わって寒い一日。風が冷たいから尚更感じる。昨日の掃除は正解だった。
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先ほどこんなメールが皆さんの携帯にも行ったと思う。
「【政府発表】[配信テスト][dev]ゲリラや特殊部隊による攻撃が発生しました。(14時06分)」
なんのこっちゃ???「配信テスト」という文字があったので、その後のニュースを追ってみたものの、誤配信だったという追加配信に納得。でも、怖いね。最近のニュースを見ていてもついていけない自分がいるものだから、今回、そんなニュースを見ても100%「えっ?」とは思わなかったことが幸いしたみたいだ。でも、自分がそれに近い状況にいたら本気で対抗措置を始めることになるんだろう。その情報の真偽を確かめる時間的、精神的余裕など全くないだろうから、仕方がないと言えば仕方んだけど、冷静な判断、ぶれない心、見失わない目標、生きていく上では必要欠くべからざることだ。