家づくりは一回では成功しない(第171回)--二階家か平屋か [我が家]
2021.12.19
こんばんは。
洗面所にデロンギを出した。朝の洗面所は11℃。今期最寒。
庭は初めての霜柱。シャキシャキと音を立てて歩くのも悪くはない。久々の感触。庭のバケツも氷が張っていた。
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家づくり、今回は建物の高さについて。高さというのは、2階にするか、平屋にするか。
多くの方は現役バリバリのときに家を建てるわけで、ギリギリの予算、ギリギリの敷地面積、ギリギリのローン・・・・ということで、大体が二階家になるわけだけど、私のようなロートルは足腰の関係で段々と二階に上がるのが辛くなる(らしい)。「らしい」と書いたのは、今のところ、私たちには、そんな兆候は余りない。足腰が衰えるのは、それぞれ個人差があるから、五十代で難儀だと感じる人もいれば、六十代で感じる人もいるし、七十を過ぎてから初めて老いを感じる人もいる。
私が初めてローンたるものを組んで、家を建て、入居したのは平成7年7月7日。バブルは既に弾けていたんだけど、正直なところ、鈍感な私は余りそれを感じてはいなかった。確かに周りでは拓殖銀行が潰れたり、株価が大暴落したとかがあったけど、庶民にはまだ、それほど影響は出てきていなかったということだったのかもしれない。当時は円高に振れていたせいもあり、狂乱物価と言われるような物価高にはならなかったし、物不足にも陥らなかったことが幸いしていたのかもしれない。
それにも増して我が家のバブル崩壊に匹敵するのは、私が失職したことかもしれない。ローンを組んで、その半年後ぐらいに新居に入居、ほぼ1年後に今まで勤めていた会社を退職。
理由はいろいろあったんですが、簡単に言っておくと「リストラ」というやつです。1年ほど自分の机がなくなり、北に2か月、南に2週間、西に1か月、東に1週間と飛ばされ続けておりまして、理由なきリストラ、強いて言えば上司(部長クラス)との相性の悪さ。彼の感に触ったと私は勝手思っておりますが、その期間は延々1年に及びました。愚鈍な私ではありましたが、流石に「これは、いかん。ローン組んじゃったし・・・早く言ってよ~~」と思い始め、とりあえず必死に食らいついておりました。理由がありませんから、その上司も、それ以上は手は出せなかったわけで、そのうち周りの人間(上司間でも私の処遇は噂になるわけで)も気がついてきたわけです。そして、そのリストラも終了し、職に復帰、机のある状態にはなったものの、「貧すれば鈍する」という諺どおり、気持ち的にはかなり落ち込んでしまっておりました。
・・・・・・で「辞めるよ」と、そのときの上司(とは言っても私と同位同職)に伝えました。私と同位同職ですから、何の前触れもなく、遠慮もなく言いました。相手は、予想もしていなかったんでしょう。「鳩が豆鉄砲」状態でしたが、組織内にいる小心な私としては、それが精一杯の抵抗でした。
・・・・・ということで、現役?バリバリでしたので、ギリギリの予算で、ギリギリのローン。生命保険と貯金を解約し、一生懸命繰上返済。無駄な金利は極力減らし、固定化しているローン費の減額。家は当然ながら建て売りの二階家。間取りはこちらの希望をある程度かなえられるようなシステム。
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時は流れ、時代は移ります。
三十代だった方も六十代となり、会社を退職、段々と足腰も弱くなってくると二階に上がることが億劫になる。子どもたちも巣立ち、二階の子供部屋も空いたまま。二階に上がるのは洗濯物を干すときだけ・・・・・・というご家庭も多いはず。
そこで中高年が家を建てるときに考えるのが平屋・・・と私も考えた。しかし、まだ元気。二階に上がることは特段嫌ではない。以前の家でもバラを庭に植えていて、それを二階から見ると地上で見るよりも結構きれいなことに気がついていたはず。しかし、足腰が弱くなることを優先してしまった。確かににいずれ弱くはなるが、まだまだ大丈夫。ちょっと早過ぎた。これが私たちの失敗。バラも上から見えないし、洗濯物を一階で干すわけだから、薬が服にかかると家人から言われ、薬もオチオチ蒔けない。浅慮浅慮。反省するばかり。