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春が近いね [生活]

2020.1.9

こんにちは。

不遇なことが起きようと幸せなことが起きようと時はとまらずに動いていく。

私にとっては体調不良が続くが、ふと桜を枝を見上げたら既につぼみが固く閉じながらも息づいているのがわかる。時は誰にでも公平で裏切らない。きっと君の周りでも同じだ。

DSC_2130.JPG                                                                                                                                                                                                                               



















              こんな感じ⇧で蕾はまだまだ硬そう。

世の中は激しく動いている。世界も新春早々に激しいニュースで持ちきり。だけど、まずは日本だ。日本人である自分たちが日本をよくしていくんだと思い続けることが最も大事なことだ。それは年寄りとか、若者とかは関係なく、みんなが思い続けること。思い続けることできっといい知恵が出てくる。外国人労働者を受け入れることになったけれど、問題はこれから起き始める。今もって大きな問題にならないことのほうがちょっと不思議だけど、遅かれ早かれ問題は山積し、国民を悩ませることになる。ただ、「受け入れるんじゃなかった」的な物言いにはしたくない。やると決めた政治はその責任を見極めなければいけない。そんな覚悟が政治家には見受けられないのは残念なことだ。依然として私利私欲にしか動かない日本の政治家は愚か者だけど、それは外国であろうと日本であろうと同じこと。トランプさんもひどいもんだ。「外国人だからすごい」的な発想は私たちの時代で終わらせるべきだろう。ホルムズ海峡で隣接国を黙らせるだけの働きはできないのは当然で、ロウハニ大統領が日本と韓国の仲裁者になれないことと同様で、日本人に力・知力がないということではない。そこで萎縮することもサラサラない。もっと日本を考えよう、もっと日本を、世界を知っておこうと桜を見て・・・・ふと思った・・・・・とはちょっと無理くりがあるかな。


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相続税(2) [生活]

2020.1.8

こんにちは。集中豪雨というほどでばないものの雨が一気に降った千葉界隈。

・・・・・と思ってトイレに行き、出てきたら既に青空???今まで雨か降って、庭は水たまりがあちこちできたはずなのに・・・・・・そう言えば午後から天気になり、気温上昇と天気予報で言っていたが当たったね・・・・と思い、家人は洗濯物を出した途端、それを見越したように今度は雲行きが怪しくなってきた。なんという天気だ。

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相変わらず、体調は頗る悪い。風邪を引いたこともあるが別の原因もある。しかし、ここではパスし後日記載としたい。

昨日は高齢の愚息宅へ行った。風邪気味であったが、視野欠損の家人の一人運転で行かせるわけもいかず、9割方治りつつあることもあり、私も同伴し、2人が帰宅したのは昨夜の22時過ぎ。あっという間に一日が過ぎてしまった。

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そろそろ今日の本題に・・・・。

昨日の相続税の話の続きです。納税するのは国民の務めであり、それは当然の行為。利益を生んだことにことに対して納税という行為が発生する。相続も利益かというとちょっと違和感はあり。消費税のように購買行為と同時に納税行為が発生すれば、滞納(納税漏れ)ということにはならず、その負担感もそう感じるものではない。120円のコッペパンを買ったときに9円の税金を払ったところて、その重税感はない。

しかし、私たちがそろばんを弾いて計算し、納税をしなければならないとき、つまり申告しなければならないときは、そもそも素人がやるわけだからミスが生じる。それは払い漏れもあれば、払い過ぎもある。じゃ、専門家に任せればいいじゃんという人は、それでいい。それでおしまい。何も言うことはない。しかし、我々庶民(貧民)は少しでも出費を抑えたい。それゆえに自分でやることになる。これはもって生まれた性癖だから仕方がないと言えば仕方がない。車検を通さなければいけないときであっても、車屋に任せるのはもったいない。今の車は性能もいいから先車検・後整備で十分とばかりに自分が車検場に持ち込んだほどのどケチの私としては、スタンスはいつも同じで、どうしたらお金がかからないかだ。そんな理由で自分ででき得るものは極力自分でやる。

申告のときにいつも思うことだが、税務署のスタンスとしては・・・・そこは税務署の職員の方から直接お聞きしたわけではないので、それは心外だと言われても仕方がないが、何回か申告をするにつけ、どうもそうそう傾向があるのではないかと思うことがしばしば。

それはどういうことかというと、計算間違いをして少なく納税をすると確実に修正申告をしろと言ってくる。間違いなく言ってくる。しかし、同じ計算間違いで多く納税するとどうなるか。当然、「もしもし、多くお支払いですよ。ですから、これは返却します」と言うはずだし、言うべきだと思う。しかし、現実は言わない。言われたことは私の場合は皆無。それ故、結構払い過ぎたことが度々。それをまた修正申告すると痛くもない腹を探られるのも嫌だから行かないことになる。第一税務署に行くこと自体、足が遠のくは誰しも同じこと。

税務署はしっかり取り立てることしか考えない。我々国民もしっかり納税をするが、一文も多くはしないように万全を尽くすべし。

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相続税 [生活]

2020.1.6

こんばんは。

昨日は微熱、だるさが続き、午後はじっくりと寝て過ごした。私は元来眠りは浅いので、夜以外は余り熟睡するほうではないが、昨日ばかりは熟睡をした。そのせいか今日は体調もよくと言いたいところが、今日も若干の微熱が続いている。パブロンを飲み続けていてもう少しで治るであろうと思いつつ、いつものことながらなかなか風邪の勢力から離れられないでいる。

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そういえば、母で亡くなって11か月が過ぎた去年の9月ごろであったであろうか。税務署からお尋ねと称して相続税の支払対象かどうかの問い合わせが来た。内容は母所有の土地の路線価、預金、証券、骨董品、生命保険に至るまで、こと細かに埋めるように指示する用紙が入っていた。幸いなことに内容をすべて埋めることができ、相続対象額にはならなかったので胸をなで下ろしたが、記入しなければならない項目はすべて埋めなければならず、簡単に通帳を写せば済むものはよいが、路線価なるものは素人である私には全くわからず、専門家の門をたたくのは簡単だが、費用はそれなりにかかるので、インターネットを駆使し、調べられるものは調べ尽くし、遺漏なきようにすべてを埋めた。路線価に関しては結構難しい。悪意なくても間違って申告すると再調査されるので、ここは慎重にやらなければいけないことになる。

(3000万+600万円×法定相続人)が基礎控除になるが、それを超えると相続税を支払わなければならないことはご承知のとおり。税務署側としては、それがギリギリの方には注意を払っているようで、ギリギリになりそうな方は前もって対策を打つなど十分に注意が必要だ。

税務署としては、皆保険、皆年金と同様に「皆相続」を目指しているわけで、現役勤労世代が減り続け、税収も激減している中、「皆相続」でしっかりと税収を上げたいと思っている。我々一般の国民としては、なけなしの財産、こつこつ貯めた財産を不注意から国へお支払いをしなければならなくなることは十分に避けたいところ。各々方、ご注意なされよ。

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家づくりは一回では成功しない(77) [我が家]

2019.1.4

こんばんは。

風邪は直らず。微熱があるのか少しだるい。腰も左側が鈍い痛み。ビデオを見ていて我慢できず家人に湿布を張ってもらった。「家についていっていいですか?」の年末放送分があったので、それを見ていたためか、家人曰く「どこか悪いんじゃないの?例えば、がんとか・・・」とのたまう。整骨院に行っても時間とお金の無駄だと思っている私としては、整骨院という選択肢は皆無。よほど痛みが激しく、首、肩が回らないようなときには仕方なく行くが、とりあえず湿布で様子見とした。医者はあまり信じていないというか、名医にぶち当たらないことが一番の原因であるけど、行くたびに、その信頼を裏切られるから信じて診察を受けろというほうが無謀ではないかと思ってしまう。とかく医術は算術であるからして仕方ないとあきらめるのもしゃくさわるので、せめて返品をしてもらいたいものだと思ってしまう。それで成り立ってしまうのは怖い。やはり、先生は絶対ということか???


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昨年9月11日の現場です。

DSC_0654.JPGここは玄関。天窓を付けてあり、光の取り入れはいい。





















DSC_0655.JPG上の写真を右に振ったところ。

奥に見えるのは和室になる。





















玄関ドアを後ろにして玄関中を見たところ。

DSC_0656マデ.JPG























玄関中から玄関ドア方向を見たところ。

正面に見えるのは、小物置き場的に使うことになる。例えば、印鑑を置くとか、絵を飾るとか。右手奥に見えるガラスは玄関ドアのガラ

ス。

DSC_0657.JPG























DSC_0658.JPG同じく玄関。玄関ガラスとドアが開いているので、外が見える。





















DSC_0659.JPG玄関中から仕事部屋方向を見たところ。






















DSC_0660マデ.JPGここも玄関の天上。だんだんと形になってきた。

ここも完成してわかったことだが、天上が高いデメリットとメリット。正面に横スライドドアが入るのだが、そのメリットとデメリットが結構ポイントとなることは、この段階では気がつかなかった。

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finish writing [生活]

2020.1.3

続けてもう一題。

ジジイの習性か、私は10年間日記を付けていた。別に大したことをやっているわけでもないが、多分、何の決意もなく日記を買った。本屋に出向いて買った。その分厚さに圧倒されることもなく、その値段に圧倒されることもなく、漫然と日記を買った。以前は皆さんと同じように(とは言っては失礼かな?)3日坊主ではなく、10日坊主ぐらいで後は真っ白の日記が2~3冊出てきた。そんな自分が今回最初で最後?の10年日記に挑戦した。挑戦という気構えがなかったのがよかったのか、悪かったのかはわからないけど、3652日を書き潰したことに「ヤッタ」と小さく思った。初めからそう大上段に構えていなかったこともあるが、正直あまり感慨はない。書き終えることを英語で言うと「finish writing」というそうな。今回、孫が来たときに、顔の部品を一つずつ英語で言ったところ、えらく興味を持ったみたいで、次回の時のためにとついつい調べてしまった。

そして、今回(今年)もと思っているが、まだ日記は買っていない。なかなかいいものがないのがその原因でもあるが、もう一つの理由が「おまえっているの?」と頭の奥でかすかに叫ぶ声が聞こえてきたことだ。「あっ、そうだよね」と小さく答え、その日記を本棚に戻しつつ、また取ってみてはまた戻しの繰り返しをし踵を返してしまった。

既に3日も経っているんじゃ、思い出せないでしょう?10年日記を買っても3日間は空白になるでしょう?とご心配の方もおられるかと思うが、さにあらず、10年書き続けてきた習性で、日記帳の最後には余白ページが少しある。年末所感とか、来年の目標とか、アドレス帳とか、その余白にしっかりと3日間は書いておいた。旅行に行ったときも、都度スマフォにメモを書いている。

今回、愚息と話をしていて、ふと思ったことだが、話の間合いに間髪を入れず言葉を入れることがままならならことが何度かあった。「言葉をかむ」ことは誰でもあることだが、その「言葉をかむ」とはちょっと違う。言葉を思い出せないと言ったほうがいいかもしれない。年とともにだんだんとその回数が多くなっていくのには、ちょっとびっくりしてしまった。そういえば、父親もそういう状態が何度かあって、だんだんと無口になっていったんだろうなと想像ができてしまったことに、自分ながら唖然、愕然、驚愕至極。新聞音読を一生懸命始めても追いつくのだろうかと心配になってきた。

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嵐は去ったね [生活]

2020.1.3

明けましておめでとうございます。

そんな間の抜けた挨拶をしなければならないほど、我が家(いやいや全国の皆さんの家もそうだったろう)は大変な騒ぎでありました。26日から愚息のみが先行して滞在し、後日(28日)、もう一人の愚息とその家族、そして先行愚息の家族がそれに加わって総勢11名。普段は2名という人口密度もあっという間に過密状態と相成り、私たちは不承不承にも床に寝ざるを得なくなり、その結果と言ってはなんでありますが、風邪をしっかりと引かせていただいた次第。家人は、いつもどおり、皆に楽しい思いをと思い、正月に支度に精を出す。しかしながら、昨年は家人の母親代わりの叔母が亡くなり、我が母が亡くなったので当然のこと喪に服しているわけなのだが、愚息と孫が来た以上は、一生懸命お・も・て・な・しをすることと相成り候。いつもながら、容赦ない孫の要求を99%受け入れ、毎度お馴染みのドタンバタンの大騒ぎ。「あの人たちは孫の世話が好きだからやらしておけばいいんじゃない」ととられても仕方がないほど、オールOK体制で万全を期した。孫を片手に抱き抱えながら、黒豆をつくり、伊達巻きをつくり、もち米を洗い餅を炊き、お雑煮とお汁粉でおもてなし。今年は喪中で紅白的なものはすべてカット。孫が来るということは、当然、お嫁さんも来るわけで、お互い少しは気をつかって過ごす日々。帰省ブルーがないようにと、家人はフレンドリー相対しているが、心が狭い私は1週間近くもご滞在なされる方々に少しだけ閉口気味。むっつりもできず、笑顔を絶やさずに事に当たってはいるものの、それを100%演じ切る家人にはいつも感服。私にはできない芸当だ。

「巨人が永遠に不滅」なのと同様に、きっと「嫁と姑(姑)の距離感も永遠に不滅」なのだろうと思うと、余計に腹立たしくなったりしてね。本当に了見の狭い自分に嫌気が指してしまう。まあ、それはお互いに感じていることだろうから致し方ないところ。本音で愚息にかける言葉と同じ言葉遣い、トーンで話してもギクシャクしない関係が築ければ、本当に分かり合っているんだろうと思うが、そうはなかなかいかないのが常態というもの。よくうちの嫁とはうまくいっているという御仁がおられるが「それはない!」とは言わないまでも、貴石?軌跡?奇跡にも近いことに違いない。

そんな思いをツラツラ書くのに10分もかからない自分が空恐ろしい。

今回、愚息との話し合いの中でも、いろいろと予定外のこともあり、「えっ!!!!"#"$$$」と目ん玉が飛び出すばかりのこともあり、それはまたおいおいと書いていきたいと思っている。

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