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finish writing [生活]

2020.1.3

続けてもう一題。

ジジイの習性か、私は10年間日記を付けていた。別に大したことをやっているわけでもないが、多分、何の決意もなく日記を買った。本屋に出向いて買った。その分厚さに圧倒されることもなく、その値段に圧倒されることもなく、漫然と日記を買った。以前は皆さんと同じように(とは言っては失礼かな?)3日坊主ではなく、10日坊主ぐらいで後は真っ白の日記が2~3冊出てきた。そんな自分が今回最初で最後?の10年日記に挑戦した。挑戦という気構えがなかったのがよかったのか、悪かったのかはわからないけど、3652日を書き潰したことに「ヤッタ」と小さく思った。初めからそう大上段に構えていなかったこともあるが、正直あまり感慨はない。書き終えることを英語で言うと「finish writing」というそうな。今回、孫が来たときに、顔の部品を一つずつ英語で言ったところ、えらく興味を持ったみたいで、次回の時のためにとついつい調べてしまった。

そして、今回(今年)もと思っているが、まだ日記は買っていない。なかなかいいものがないのがその原因でもあるが、もう一つの理由が「おまえっているの?」と頭の奥でかすかに叫ぶ声が聞こえてきたことだ。「あっ、そうだよね」と小さく答え、その日記を本棚に戻しつつ、また取ってみてはまた戻しの繰り返しをし踵を返してしまった。

既に3日も経っているんじゃ、思い出せないでしょう?10年日記を買っても3日間は空白になるでしょう?とご心配の方もおられるかと思うが、さにあらず、10年書き続けてきた習性で、日記帳の最後には余白ページが少しある。年末所感とか、来年の目標とか、アドレス帳とか、その余白にしっかりと3日間は書いておいた。旅行に行ったときも、都度スマフォにメモを書いている。

今回、愚息と話をしていて、ふと思ったことだが、話の間合いに間髪を入れず言葉を入れることがままならならことが何度かあった。「言葉をかむ」ことは誰でもあることだが、その「言葉をかむ」とはちょっと違う。言葉を思い出せないと言ったほうがいいかもしれない。年とともにだんだんとその回数が多くなっていくのには、ちょっとびっくりしてしまった。そういえば、父親もそういう状態が何度かあって、だんだんと無口になっていったんだろうなと想像ができてしまったことに、自分ながら唖然、愕然、驚愕至極。新聞音読を一生懸命始めても追いつくのだろうかと心配になってきた。

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