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生きているのがフ・シ・ギ・・・・(5) [生活]

2020.1.28

こんばんは。今日はこれから千葉は集中豪雨が降るかもしれない。願わくは、排水の関係でまだまだ大雨は降ってほしくはないが、自然相手では無理は通らない。

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・・・・・続きです。

東京に戻ってきてからやることは事故の後処理だ。未成年である我々は何の力を示すことはできず、ただ、親の後をついて回ることしかできなかった。

事故の報告を親にしたが、親は一括も私にはしなかった。ただ、その後の処理をしていくだけと考えていたようだった。当時、私の父親はかなりの激務だったようで、朝7時過ぎには家を出て、帰ってくるのは深夜であった。それは私が幼稚園のころからだった。だから、私は父親と一緒に夕食を食べたことがないし、私が起きる時間には既に家を出ていた。また、週末はご近所さんとの付き合いとか冠婚葬祭があり、家を留守にすることが多かった。そんな父と私との交わりは、幼少期から青年期まで、今の父親と子供のような濃密さでは全くなかった。その結果、私は父親とは全く馴染めず、運悪く夕食を一緒にする機会があろうものなら、沈黙しかなかったし、バツが悪くなるとテレビをつけ、テレビを緩衝地帯として極力父親とは話をせずに時間を費やしていることが多かった。

そんな忙しい父親ではあったが、事故を起こしたときは、2日間ほど時間を割いて、自分たちのために事故後の処理をしてくれた。

・警察への挨拶。

・事故現場の立会い。

・事故車の引上げ交渉。

・廃車処理と関係者への挨拶などなど。

特に車の処分に関しては、ご近所さんに車関係の方がおり、その方と父親は懇意にしていたということもあり、当然の流れとして、その方に相談した。その方は、私の様子を見て、車は大して破損はしていないだろうと踏んだようで、トラックを引き連れ、車を引き上げようと言ってきた。私は、それはちょっと・・・・というのが精一杯。東京からトラックと乗用車を2台連ねて現場に向かった。現場に着いた途端、その方が言った。「よく生きていたね。車、半分にペッタンコだ」確かに、我が愛車を見ると縦の長さは半分に、横幅も半分になっていた。自分でも、愛車を見た途端、あの日の雪の寒さとともに、その恐ろしさにブルッと身震いが出てしまった。帰り道、ロングボディのトラックに、ものの見事に潰れた車が鎮座しており、沿道の方のいい見せ物になってしまった。

ご近所さんの善意の申し出は、私たちにとっては大変心強かったし、助かりもした。当然、そのお礼というか、その方が被った出費に対してお支払いをしたとは思うが、子供の私にはわかる術もなかった。多忙な中、父はそれらすべてのことを遅滞なく、漏れなくやり、そして何事もないように、朝また仕事に向かっていった。

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生きているのがフ・シ・ギ・・・・(4) [生活]

2020.1.28

こんばんは。

新型コロナウィルスで世界は大変なことになっている。先程も武漢に行っていないバスの運転者が罹患したと速報が入った。決定的な悲報は、武漢からの中国人ツアー客を2回乗せたということだ。これでヒトからヒトへは決定的なこととなった。ネズミを食用とする国民性は差別とか、偏見ではなく、ヒトを守る観点から大いにいただけない。うまけりゃいいという話ではない。

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・・・・続き。

私たちは無言のまま坂道を歩いていった。雪は深々と降り続いていた。頭に積もった雪も、肩に積もった雪も、スニーカーの爪先に積もった雪も、ただ我々を黙って押しつぶしているかのように重く感じられてきたとき、誰かが「あっ」と叫んだ。振り向くと友人の一人が滑って仰向けに倒れていた。誰も彼に声をかける者はいなかった。みんな彼に目を向け、大丈夫なことを確認すると再び黙って歩き始めた。まだ、日中なのだろうけど空は真っ白、しかし何となくさっきより暗くなってきたような気がした。どこまで行っても民家一つなかった。聞こえる音は、我々の靴音とかすかな吐息のみだった。

気持ちが折れかかったとき、急に目の前に民家が現われた。思わず、私たちは民家に駆け寄りドアをたたいた。今思い出しても、どんな方だったのか全く記憶には残っていない。そして必死にお願いした。「すみません、電話をお借りできませんか?」多分、私は警察に電話をしたんだと思う。お礼を言って、100円を渡したような記憶がある。

そこが大体半分ぐらいであろうか。時間にして1~2時間経過しただろうか。そんな大事故を起こしたものだから、今何時だとか、何時間歩いたとか、お互いに確認する余裕すらなかった。アキレス腱の上から血が出ていたためか、流石にその近辺に痛みを感じ始めていたとき、やっと麓の駅近くにたどり着いた。そして派出所に転げ込んだ。正に転がり込んだと言うにふさわしく、衣服はびしょびしょ、疲れ切った様子から警察官はさっき110番をした人間だと理解していたようだった。

警官は2~3人いたようだった。それぞれ別室に呼ばれ、順次聞き取りが行われた。お互いの供述に違いがないかを調べているようだった。

そこからは何も覚えていない。どう帰ってきたのか。友人たちと何を話ながら青梅から東京までの長い時間を過ごしてきたのかは全く覚えていない。それは47年前という青春の甘酸っぱい思い出・・・・・・という話では片づけられない重い絶望的な時間の話だからかもしれない。

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