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生きているのがフ・シ・ギ・・・(3) [生活]

2020.1.27

・・・・・続きです。

その光景は今でも脳裏に焼きついている。私は後ろ座席に座りながら、彼の運転に身を任せていた。次の瞬間、左手にある大岩が目の前に急に迫ってきた。そこまでの記憶はある。それが道を外れて落ちていくことだとは、直ぐには理解はできなかったが、自分たちが落ちていく先に茶色の大岩があった。林道にはガードレールもなかった。あったところで車がガードレールに引っかかるとも思えないが、車のスピードはかなり出てしまったんだと思う。雪、坂道、砂利道、初心者。この4条件が揃ったのが不幸な出来事の始まりであった。

私は岩から立ち上がり、体の具合を確かめた。左アキレス腱の上あたりに血がにじんでいたが、そのほかは別に痛みもなかった。ただ、精神的なダメージは大きかった。

右手の友人も、左手の友人も直ぐに立ち上がって、服に着いた雪を払いながら、体の安全を確かめているようだった。誰も声は上げなかった。いや、上げられなかったと言ったほうが当たっていたかもしれない。坂の一番下まで落ちいていったAを呼んでみた。「お~い、大丈夫か」「A、大丈夫か?」二人の友人も口々に叫んだ。

我々の落ちた場所と彼の落ちていった場所は、距離にして2~30mは離れており、我々は自分が地面に叩きつけられてから、下に落ちていくAをぼんやりと見ることができた。それほど時間的にも、距離的にも差があったということだ。翌日、現場検証があったのだけども、警察官が巻き尺で計ったところ、45mと叫んでいるのが聞こえた。大岩に落ちるまでが5m、それから坂の下までが40mということになる。落ち始めた地点から車の落ちたところまでをのぞき込むと、下までの距離は大いにあり、車が米粒のように見てとれた。

下まで落ちていったAと私と二人の友人の怪我は正にかすり傷だったことは奇跡としか言いようがないと大人は皆皆話していた。

雪は一向に止む気配はなかった。大雪で車から放り出されたため、かすり傷とはいえ、おでこを切ったり、打撲傷を負ったたり、私のように足を切った者もいた。しかし、皆黙って自分で自分の傷の処理をしていた。誰も運転している者を責めたりはしなかった。車は走り出して直ぐに落ちたものだから、徒歩で行く帰り道は偉く遠く感じられた。当然、傘なども持たず、痛んだ体と心を引きずりながら、日原鍾乳洞から麓の警察の派出所までみんなで歩き続けた。雪は靴にも入り込んで解けていった。帽子を被っているものもおらず、車の中に入っているシートやビニールの袋を頭に被り、ただ黙々と歩いていくのみであった。ぶざまな格好だったろうけど、そんなことに気を回している余裕は誰にもなかった。

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生きているのがフ・シ・ギ・・・(2) [生活]

2020.1.27(続)

・・・・・ということで、日原鍾乳洞を目指し我々は黙々と進んでいった。

雪は少しだけ気になったが、鍾乳洞に着くとそんな不安はなくなった。少しだけ小降りになったということもあるが、鍾乳洞の中が見えるということに興味が集中していったと言ったほうが合っているかもしれない。若い我々は単純過ぎるといえば、単純過ぎた。

小一時間ほど探索をしただろうか。入場料もなく、人っ子一人いなかった。いるのは我々だけ。我々の声だけが鍾乳洞の中を響きわたった。日原鍾乳洞というぐらいであるからして、それはそれは立派な鍾乳洞であった。

鍾乳洞を出て、車のあるところに戻った。フロントグラスに張りついた雪を払い、車に乗った。来るときは道はすべて上りだった。当然、今度は下りになる。エンジンをかけた。暖房を切って一時間ほど経った車内は冷凍庫のようだった。暖房のスイッチを全開にした。車をスタートさせてしばらくするとAが言った。

A「おれに運転させてくれないか」

今回、出発したときにも、彼から運転させてくれと何度か言われていた。彼は免許をとって1週間。つまり、免許取り立てだった。市街地をいきなりはやめたほうがいいと皆が言った。彼も誰もいないところのほうが安心だと言う。「じゃ、山道になったらね」と言って断っていた。正直なところ、自分の車を他人に貸すということは、何となく釈然としないという気持ちと、親からは他人には貸すな。万が一のときに困るなどと言われていたことも断り続けた原因かもしれない。

しかし、ここに来て断り続けるのは忍びなかった。私も免許取り立てのころは、運転がしたくて、したくてしょうがなかった。だから、彼の気持ちは痛いほどよくわかった。

私「A君、いいよ。」と私は彼に運転を代わった。山道なら誰もいないし、人身事故にはならないだろうと、若者らしい、あさはかな考えがあった。

Aが運転席に座った。私は後部座席の彼が座っていたところに座った。

A「じゃ行くよ」

スターターが回った。エンストもなく、スムーズに車は走り出した。我が愛車はマニュアル車で、当時は、それが主流であった。だから「エンスト」(エンジンストップ)は初心者にとっては切っても切れないことであった。走り出して何分経ったであろうか。

気がつくと私は大岩の上で空を見ていた---一瞬、どうしたのかわからなかった。しばらくして、自分が車から放り投げられ、気を失って、岩の上に仰向けに倒れていたことに気がついた。

我に返った私は下を見た。つづら折りの坂を大きく左に外れ、坂を真っ逆さまに転げ落ちていく我が愛車のミニカ見えた。私の右側にはもう一人の学友が、左側にはもう一人の学友が、それぞれ木々の間に横たわっていた。運転していた彼はハンドルをしっかりと握ったまま、坂の最後まで車と一緒に転がっていった。

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生きているのがフ・シ・ギ・・・・・。 [生活]

2020.1.27

こんばんは。

既に外は真っ暗。明日は雪だろうか。どんよりと暗く重い雲が一日中覆っていた。少しだけウキウキしてしまう私は、現役世代からみれば大変無礼者だ。しかし、ウキウキしてしまうほど、歓喜・苦渋を含め雪の思い出は多い。

これも大分前に書いたことだが、そのときは関係者のことも一応気にしていたので、余り多くを書かなかったが、今日は書いてみようかと思う。

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それは春休みの4月1日。4月に入ったにもかかわらず、東京は結構寒さが厳しかった。

我々は春休みということもあり、みんなでドライブに行こうという話になった。あいにく車を持っているのは私だけであった。軽乗用車の三菱ミニカだ。大学生ということもあり、貧乏学生にとっては唯一の贅沢であった。今は性能がいいので、軽乗用車といっても侮れない。しかし、当時の軽自動車はクーラーはバッテリーの関係で付けられなかったし、窓もパワーウィンドウなるものは対象外であった。つまり、バッテリーに負荷がかかるものはすべて付けられなかった。それに馬力もたしか360㏄だったと思う。当時は本田N360とか、スバル360という車名があった。性能は今のものに比べたら大人と子供ぐらいの差があると思う。

そんなミニカで奥多摩に行こうという話になった。行きは今日のような曇天で少しだけ、雪がチラついていたと思う。しかし、若い私たちは、そんな雪を見ても、この先起ころうとしていることの重大さを予見できる者は一人としていないのも当然といえば当然かもしれない。それよりか、雪が降ってくることに妙に興奮しているような変な空気が漂っていることに誰一人気がついてはいなかった。

軽自動車に男4人が乗っていた。少しだけギュウギュウ詰め状態ではあったが、それなりにワイワイと楽しく時間を過ごしていた。出発したときはアラレと小雪が降っていたけれど、都心を抜けたあたりから雪の降り方は結構なものになっていった。東京には珍しくボタン雪となり、あっという間に舗装道路は白く変わり始めてきた。

山道に入った。カーナビなるものは当時はなかったので、地理に詳しい奴が地図を見ながらナビをして進んだ。

私「どこに行くんだっけ?」

A「日原鍾乳洞だ。結構寒いけど、鍾乳洞の中は温かいぜ」

私「そうか。それりゃいい。あとどれぐらいなんだ?」

A「林道に入ったから、あと五、六キロだと思うよ」

雪は益々激しくなってきた。ボタン雪は間断なく降り続け、目の前は真っ白にしか見えなくなったいった。しかし、誰一人として「もう戻らない?」と言う人間はいなかった。目の前の真っ白なる世界に引き込まれていくような、それが一番いいんだと思うような、そんな気持ちが我々の心を覆い尽くしてしまっていた。今から考えると車のチェーンも持っておらず、そのことを誰一人としてとがめる者もいなかったのは、そのことを十分に物語っていた。林道は段々と狭く、そして急勾配になって、ドンドンと登っていった。ギアはロウギアのみでセンコンドに入れるとエンストを起こしてしまうほど、坂の勾配は急峻になっていた。ふと気がつくと道は日光のイロハ坂のようにつづら折りにつながっていた。私は運転に必死となり、ただただ日原鍾乳洞を目指すしかなかった。

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以前と少し違う日々 [生活]

2020.1.27

こんばんは。

日付が変わって27日。やはりパソコンは安定しない。そんなに気にもしないで済む程度だけど、それで良しとするかどうかは個人の判断。でも、Windows10にすることで、よかったこともある。確かに早く反応するようになった。Chromに引けをとらないくらいヤフーであっても早い。以前と同様にCMが入るが、画面で出るまでの間のストレスはない。Windows8は、そうではない。ちょっと待つね。CMが出てから画面が出るまで長いと5秒ぐらいは待つのではないだろうか。まあ、昔と比べると雲泥の開きがあるけど、人間は欲張りだから、少しでも早く、軽く、安くを目指す。本当はグーグルのwordを使いたいんだけど、親指シフトは反応してくれない--正確に言うと、するけれども変換できない字もある。つまり、使い物にはならないということだ。

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正直なことを言うと、体調が戻らない。どういうことかというと腰痛が復活しそうだ。昨日、電車に乗って片道3時間、往復6時間。すべてを立っていたわけではない。その7割は座っていたのだが、腰に違和感が出ている。それは昨日からだ。しかもほんの少しの違和感が昨日まで、今日は腰掛けてから立つときとかに痛みがある。生まれてこの方、腰痛は2回ほどやった。まさにぎっくり腰なるものだ。しかし、2回とも養生をして直った。確実に直って、その後、再発したことはないし、その恐れを抱いたこともない。しかし、今回はちょっと違う。別に重いものを持ったわけではなく、電車で立っていただけなのに痛みが再び出てきてしまった。2カ月前ほどにやった腰痛の再発だが、その再発する原因がないことが気がかりだ。寄る年波という言葉で片づけられるのは老人としては辛いところで、そんなことで十把一絡げにはしてほしくないと妙に力む。脊椎狭窄症の大の親友は老人らしいが、そんな傾向は前回の検査ではなかった。

私の腰の痛みの原因は、老化から来ているのだろうか。

若い方には詰まらない話なのだが、私にとっては、次から次へと連鎖していくことに「少し違う日々」が自分の中に起こりつつあることに恐怖を感じてしまう。

でも、時は待ってくれないし、明日しなければならないもあり、着実にこなしていかなければならないことは多々ある。一つは音声認識をパソコンでやってみることだ。どれだけ使えるのか興味は前からあったが、今のところ生業として使えるのは皆無であった。あと我が家の建てた建築業者からも近々連絡が来るはず。また、おもしろい話ができるかもしれない。今は、どう転ぶかわからないので、とても言えない話だけれど・・・。

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