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生きているのがフ・シ・ギ・・・(2) [生活]

2020.1.27(続)

・・・・・ということで、日原鍾乳洞を目指し我々は黙々と進んでいった。

雪は少しだけ気になったが、鍾乳洞に着くとそんな不安はなくなった。少しだけ小降りになったということもあるが、鍾乳洞の中が見えるということに興味が集中していったと言ったほうが合っているかもしれない。若い我々は単純過ぎるといえば、単純過ぎた。

小一時間ほど探索をしただろうか。入場料もなく、人っ子一人いなかった。いるのは我々だけ。我々の声だけが鍾乳洞の中を響きわたった。日原鍾乳洞というぐらいであるからして、それはそれは立派な鍾乳洞であった。

鍾乳洞を出て、車のあるところに戻った。フロントグラスに張りついた雪を払い、車に乗った。来るときは道はすべて上りだった。当然、今度は下りになる。エンジンをかけた。暖房を切って一時間ほど経った車内は冷凍庫のようだった。暖房のスイッチを全開にした。車をスタートさせてしばらくするとAが言った。

A「おれに運転させてくれないか」

今回、出発したときにも、彼から運転させてくれと何度か言われていた。彼は免許をとって1週間。つまり、免許取り立てだった。市街地をいきなりはやめたほうがいいと皆が言った。彼も誰もいないところのほうが安心だと言う。「じゃ、山道になったらね」と言って断っていた。正直なところ、自分の車を他人に貸すということは、何となく釈然としないという気持ちと、親からは他人には貸すな。万が一のときに困るなどと言われていたことも断り続けた原因かもしれない。

しかし、ここに来て断り続けるのは忍びなかった。私も免許取り立てのころは、運転がしたくて、したくてしょうがなかった。だから、彼の気持ちは痛いほどよくわかった。

私「A君、いいよ。」と私は彼に運転を代わった。山道なら誰もいないし、人身事故にはならないだろうと、若者らしい、あさはかな考えがあった。

Aが運転席に座った。私は後部座席の彼が座っていたところに座った。

A「じゃ行くよ」

スターターが回った。エンストもなく、スムーズに車は走り出した。我が愛車はマニュアル車で、当時は、それが主流であった。だから「エンスト」(エンジンストップ)は初心者にとっては切っても切れないことであった。走り出して何分経ったであろうか。

気がつくと私は大岩の上で空を見ていた---一瞬、どうしたのかわからなかった。しばらくして、自分が車から放り投げられ、気を失って、岩の上に仰向けに倒れていたことに気がついた。

我に返った私は下を見た。つづら折りの坂を大きく左に外れ、坂を真っ逆さまに転げ落ちていく我が愛車のミニカ見えた。私の右側にはもう一人の学友が、左側にはもう一人の学友が、それぞれ木々の間に横たわっていた。運転していた彼はハンドルをしっかりと握ったまま、坂の最後まで車と一緒に転がっていった。

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