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国会議員を「先生」と呼ぶ愚かさ [生活]

2017.9.27


今週は仕事に専念することになりそうだ。明日はかなりな雨が降るらしいから庭仕事もせずに仕事をやることになる。日中の母の昼食の世話に時間をとられるが、それが理由で仕事が遅れると思うほうが間違っているから、それを理由にはできまい。たった1時間だ。



国会議員を先生と呼ぶ。国会議員が近くにおられる方々は経験済みだと思うけど、全国市区町村のすべての議員は「先生」様だ。


先生は、医者と学校の先生とばかり思っていた人間にとっては大きな驚きだ

半分、からかっているのかと思うような方に対してまで先生と呼ぶわけで、その場にいると気恥ずかしい思いをすることも多い。


あの有名な「ハゲー」女議員もその一人だ。自分は偉いんだ。東大出身で官僚出?(あんまりくだらないんでよく読んでいないから不確か)、私は議員の中でも一番だと心の底では思っている方なんだろうから、あの暴言となったわけか?


しかし、その原因となったのは、その周りにいる人間の「先生」呼ばわりが誘因であることを忘れてはいけない。


「先生」「先生」ともし私たちが言われたとしたら、段々、「そうか、俺って先生なんだ」と思い始めてくるから呼称って不思議な力がある。


課長!」j呼ばれていると段々と課長の風貌となってくるし、「部長!」と呼ばれ続けていると、段々部長面になってくるから不思議だ。


政治家は私たちの税金でお給金をもらっている、「浄財」の類だ。だから、議員に対して「先生」と呼ぶこと自体が間違っているわけで、国民の誰もが彼らに対して厳しい目を向けて日々過ごしていかなければいけない。区市町村議員から今までに一度だって御用聞きの電話があっただろうか。きっとあったときは選挙のときだけだろう


つまり、選挙のときだけ御用聞きに成り下がるわけで、ほかの時期は全くその気配がない。だから、市民の要望はなかなか政治に反映されない。


だから、議員を先生と呼ばずに「〇×議員」と呼ぶのが一番いいという一席。

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孫のこと [生活]

2017.9.27


一昨日から愚息の家に泊まり込みになったが、孫の入院のお手伝いをしてきた

 

元来、嫁とはお互いに他人という意識がつきまとうので、あまり干渉せず、困ったときだけお手伝いをするスタンスにしている。

 

盆と正月、来たいと言えば、「どうぞ」と言い、来られないと言われれば「そう」と答える。それ以上でもそれ以下でもない。

 

しかし、来たときには料理をシコタマつくる。もちろん、餌で彼らを釣っているわけだが、来たときぐらいはしっかりと手料理をつくって食べさせる。どうせ、彼らの世代は買い食い世代で、から揚げもコロッケもつくる世代ではないだろうから、普段、彼らの家でつくらないであろうものをつくることにしている。だから、自然とイベントのときは家に来る

 

 

我々がそんなことができるのもあとわずかで秒読みだ。元気でいられる間だけなので、せいぜい、そこは頑張って、悔いの残らないようにすることにしている。特に家人のその思いに、私は完全に足元にも及ばない。

 

 

はかわいい、「目に入れても痛くない」の言葉どおり、確かにに痛くない。だから、孫とは徹底的に遊ぶ鬼ごっこであれお絵描きであれプロレス大会でも徹底的にお供をする。必然的に孫はいつも我々に付き、我々と遊ぶのを楽しみにし、別れはいつも大変な騒ぎとなる



あるとき、孫が私がきれいに張った障子を指で「ブス、ブス」と穴を開ける悪さをした。親だったら間違いなく雷を落とすんだろうけど、私たちは心では「ウッウッ!」と思いつつ、「あれ~~~」と言いながら一緒に穴を開けて遊ぶ。決して怒らない他人に対して迷惑なことをする以外、怒らない。したがって、うちの障子は向こうの景色がよく見える。

 

そんな孫が検査入院をしなくてはいけなくなった。両親は背が低いので、孫も成長がほかの人よりも遅いらしい。それで一泊二日の検査入院となった。

 

しかし、病院にはもっと重傷な子どもたちもいるわけで、成長検査ぐらいでと恐縮してしまうほど、多くの重傷の子どもがいることを思い知らされる。

 

 

その結果は2週間後となるが、またそのときはお供を申し出ておいた。



親孝行はしてもらえないだろうが、孫孝行はしておこうと思う。











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