法然上人開宗850年?? [生活]
2024.3.10
こんばんは。
今日は題目のとおり、法要に行ってきた。私の菩提寺は親同士が懇意にしていたということもあり、外檀家ではあるけれど、そこの寺にお世話になっている。
そこでいつも法話があるのだけれど、今日はいつもより胸に刺さるものがあった。彼はその話の中で、『今の人間は、「今だけ」、「金だけ」、「自分だけ」がいいと思うようになった』と言った。前回も同じような話をしていたけれど、どうしても3つのうちの一つが思い出せないでいた。確かに闇バイトに手を染め、幾多のお年寄りの一般住宅や貴金属点を襲った輩は、まさに「今だけ」、「金だけ」、そして「自分だけ」がいいと思っていたわけで、それが今も連綿と続いていることに腹立たしさを覚える。
これがその時の様子だ。
この和尚曰く「どうせ、今、このお堂の階段を下れば,直ぐに私の話なんか忘れるから、構わないから写真を撮って、帰ってからもう一度見て、忘れないでくれ」と言ったので、電池残量12%だったけれど、1枚パチリと撮ってきた。
この方は、ここの住職の弟さん。そこそこ(というと失礼ですが)有名な方で、薬師寺のトップになりつつある方らしい。
詳細はこちらをご覧いただければいいと思うけど、この方の話を聞いていると、昔、修学旅行で髙田好胤さんから話を聞いたことを思い出す。話し方、目の配り、声の抑揚がそっくり。初めて話を聞いていたときは、何となくだれだったかな?と思っていたけど、なかなか思い出せなかった。年に3~4回法要があるんだけど、大体時間の許す限りは、薬師寺から来て、法話をしてくださる。最近は益々、髙田好胤さんに似てきた気がする。話もうまい。
彼の父親は大谷旭雄さんといい、我が父は彼に多くを学び、彼もまた父にはいろいろとお世話になった間柄らしい。そんなこともあり、私が結婚することになったとき、父は私の軽薄短慮を心配してか、あろうことか大谷旭雄さんとサシで話をする機会をいただいた。その時、何を、どうお話されたのか、かなりの愚鈍であった私は理解できなかったのは当然としても、そのときの一かけらでも残っていたのなら、もう少しましな人生を歩んでいただろうと、しばし後ろを振り返らずにはいられない時となった。
ふと空を見上げると、そんな愚かな私をあざ笑うかのように、空はどこまでも青く、雲はどこまでも自在に自由に漂うばかり。愚鈍はいつまでも愚鈍なのかもね。
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