相変わらず、いろいろあるね [新聞記事]
2018.3.11
本業の1つ仕事を終わらせた。
年をとってくると夜がからっきしダメになったから、早朝からもうダッシュしてやるべきことをやっておかないと大変なことになる。5時起床-仕事-朝食-仕事で午前終了という感じ。
ここで大半を終わらせれば、あとはスピードダウンの午後であっても、持ち越しはせずに済みそうだ。
「年寄りは何であんなに早く寝るんだ」と言って笑い者にしていたけど、自分がその当事者になりつつあるのは少し、悲しい。
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11年目の震災、北朝鮮、森友-佐竹問題といろいろある。9人(7人だったか?)殺害事件、よくよく考えるとむごい猟奇的な事件で、関係者だったら気も狂わんばかりの内容だけど、不幸中の幸いにも関係者ではなかったから、とっくの昔に記憶の片隅に追いやってしまった。
北朝鮮は相変わらず何を考えているのか不気味だ。
きっと彼の本音はこんなところかもしれない・・・・・。
金 「短距離も長距離も成功したし、これで万事うまくいく」
与正 「どうして? もう少し脅かしてあげましょうよ」
金 「いや、これでもう十分だ。」
与正 「そうかな、米韓で軍事演習もやるようだし、まだまだ相手はへこたれていないわ。」
金 「そうじゃない。我々には核がある。米国に届く核を持っているということがわかれば、それで五分五分ということだ。だから、同じテーブルにつけるし、相手もつこうと思ったんだ。」
与正 「ガソリンもなかなか手に入らないみたいだし、外貨もなかなか手に入らなくなっているわ。」
金 「そうだ。俺も少し焦っている。でも、ミサイルが成功したからな。これでこっちに有利に話は進められる。核開発を凍結、非核化と口先で言っておけば、向こうはすぐその気になるに違いない。この前だって、それで随分時間稼ぎができた。主導権は、いつも俺たちが持っているんだよ。」
一生忘れられない日 [生活]
2018.3.11
おはようございます。
「2011.3.11」、この数字が直ぐに打てるのはなぜだろうか?
しかも7年も前のことなのに。
それだけ私の心に深く突き刺さった出来事だったんだと思う。
地震と津波、そして原発事故が一緒に襲ってきたわけだから、それは当然かもしれない。
感傷的になることも少なくなってきたが、当事者の方々にとっては、まだまだ多くの悲しみが残っていることは確かだ。
震災であなたは何をしたの?と問われても何もせず、心を寄せることしかできなかった自分だが、東日本大震災を経験したことは、自分にとって大きな心のヒダの一つになったことは確かだ。
幾ら言葉を尽くしても、後世の人間には、その恐ろしさは伝わらないだろう。
あのときの恐ろしさと絶望感と後悔の念は決して忘れてはいけないし、それはその後の自分の考え方の中に逐一刷り込まれていることは確かだ。
いつかまたその日は来る。
それはいつかは知るよしもないが、世代を超え、皆が忘れたころにきっと来る。それが災害というものだ。
原発事故前放射線量の100倍近い値でも、速やかなる異変がないことで「異常なし」とするいい加減さ。原発再稼働と輸出を続ける無責任さ。
そういう愚かしい私たちだが、せめて今日だけは、あの災害に心を寄せ、軌道修正の努力につなげていかなければいけないと思う。