一生忘れられない日 [生活]
2018.3.11
おはようございます。
「2011.3.11」、この数字が直ぐに打てるのはなぜだろうか?
しかも7年も前のことなのに。
それだけ私の心に深く突き刺さった出来事だったんだと思う。
地震と津波、そして原発事故が一緒に襲ってきたわけだから、それは当然かもしれない。
感傷的になることも少なくなってきたが、当事者の方々にとっては、まだまだ多くの悲しみが残っていることは確かだ。
震災であなたは何をしたの?と問われても何もせず、心を寄せることしかできなかった自分だが、東日本大震災を経験したことは、自分にとって大きな心のヒダの一つになったことは確かだ。
幾ら言葉を尽くしても、後世の人間には、その恐ろしさは伝わらないだろう。
あのときの恐ろしさと絶望感と後悔の念は決して忘れてはいけないし、それはその後の自分の考え方の中に逐一刷り込まれていることは確かだ。
いつかまたその日は来る。
それはいつかは知るよしもないが、世代を超え、皆が忘れたころにきっと来る。それが災害というものだ。
原発事故前放射線量の100倍近い値でも、速やかなる異変がないことで「異常なし」とするいい加減さ。原発再稼働と輸出を続ける無責任さ。
そういう愚かしい私たちだが、せめて今日だけは、あの災害に心を寄せ、軌道修正の努力につなげていかなければいけないと思う。
コメント 0