半分、アオイ? [生活]
2018.6.13
おはようございます。
忘れないうちにもう一つ。
朝ドラ、主人公の楡野?さんは左耳が聞こえない。生まれて、此の方聞こえない。
前回の朝ドラでは、米交バス(家人が高校時代通っていたバス)が使われていて盛り上がってしまったけれど、今回もまた似た状況が出てきたので、またまた親近感をもって見ている。
(確認したわけではないが、本人が間違いないと言っているから、米交バスなんだろう)
家人は右耳が聞こえない。
生まれて何年か過ぎで大手術をしたらしい。当時(1960年代)は、まだ医学は進歩していなかったが、大学病院でその手術は敢行された。脳に近い場所なので、麻酔は強くはかけられなかったらしく、無麻酔ということはないだろうが、痛みを伴う手術となった。
廊下まで泣き叫ぶ声が聞こえたと義母は話してくれたことを覚えている。
ということで、家人と話すとき、歩くときはすべて私は家人の左側に並ぶ。
だから、楡野さんの不自由はすごく理解できる。
あるとき、その不自由な耳が聞こえたと家人が言った。
すごくうれしそうに言った。
私は、両耳が聞こえるのが当たり前になっているので、なかなかその気持ちに寄り添えない。
たまに片耳が詰まって聞こえづらいことがあったりすると、「ああ、こういうことなんだ」と思ったりもするが、本人の不自由さから考えると遠く及ぶわけもなく、とても申し訳ない気持ちになる。
平衡感覚も、閉塞感もあるみたいだ。
しかし、それに伴う泣き言は一言も言わない。平然と健常人と同じ振る舞いをする。
私は馬鹿だから、すぐ、それを忘れて普通の声で話してしまったりする。
すると家人は「何言っているわからないよ」とさりげなく言う。私は直ぐに左側に回って言い直す。
そんな生活をもう40年続けている。
仕事柄、イヤホーンを付けて音を取っていることが多いので、最近、耳が遠くなったと感じる。同年齢よりも遠くなったと感じる。
家人も同じだ。
老いては多くはできず、人生は短い。
「若者よ、大志を抱け」・・・・・・・だ。
ガイシホールに行きます [生活]
2018.6.13
おはようございます。
昨日はやはり暑くはならなかった。今日はどうだろうか。今のところ千葉の空は曇りだ。
本当はこんな呑気なことを言っている場合ではないのだろうが、今日はお許しあれ。
・・・・・・・・・と独り言を言ってみた。
昨日、テレビで新潟のホテルをことをやっていたが、苦渋の選択だったんだろう。
やはり、そこには「お金」に縛られる人間がいた。
経済社会では、札束で頬を張るのが現実だ。
それをわかっていても、あからさまにその体を見せつけられるとカチンとくるが、背に腹は変えられないのが現実だ。
別に大陸の方を蔑視するわけではないが、多くの方々がその傾向にあるのは、やはり否めない現実でもある。日本を蔑視する教育が続く限り、それは続く。
日本が経済社会から脱却でもすれば、その嫌な思いからは確実に開放される。
しかし、そんなことは到底できるはずもなく、最後の最期まで、人間は「お金」に縛られて生きていく。
遠い将来? いやそれよもりも近い将来? 否、あと5年かもしれない。
確実に日本は切り売りをしていくことになる。
国は人なり、人は国なり。
人口ゼロはあり得ないかもしれないし極論だが、限界集落という言葉もある。
島嶼防衛と言っているが、これも人がものを言う。
人がいなくなれば、自治体が崩壊する。
町役場、市役所は税収が少なくなり、いずれ立ち行かなくなる。
当然、地方公務員がいなくなる。
隣組的な自治組織、互助会ができ上がり、細々と生きていく。
その地域に大陸の人間が入ってくる。日本の農業、林業、漁業、工業のすばらしい技術を買い占め、習得していく。
好むと好まざるに関わらず、日本であっても日本でない地域が出来上がっていく。あちらこちらに、そういう地方都市が出来上がる。
地方自治体は税収が見込め、人が増え、賑わいが戻り、発展さえすれば、それでいい。
そこまで譲歩する。
日本人が減り続け、大陸人が増え続けていく。
最終的に、日本であって、日本でない日本があちらこちらに出来上がっていく。
本当にそれで日本はいいのだろうか。
もう時間はない。
為政者は、誰も知らんぷり、自分のことで精一杯だ。
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朝っぱらから詰まらない話を書いてしまった。
永久迷路で愚鈍的なことを考えながら、先日の新幹線事故が起きないよう祈りつつ、名古屋・ガイシホールに行ってくる。