書くことを思い出した。 [新聞記事]
2018.6.9
夕方です。
今、バラの世話をしてきた。施肥と殺虫剤の散布、オルトランの根元散布。1時間ほどしかなかったので、全部はできてなかったが、今年は朝夕の寒暖の差が功を奏しているためか、害虫は今のところは微小。ここで油断をするとものの見事にやれるから、バラの開花は終わっても気は全くもって許せない。2順目の蕾がちらほらと咲いてきている。まだ、花にとっては日差しはそう厳しくもないため、色は脱色しないからきれいだ。蕾の虫食いも少ない。
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やっと書くことを思い出した。六ヶ所村の件だ。かなりヘビーな話で、私も、皆さんも、その番組を見たら、きっとそう思うに違いない。100人中100人が原発推進なんて言えるはずはないと。
そう思えるほどの番組内容であった。
今はちょっと時間が足りない。まだ後刻必ず書き記したい。
誰も期待はしていないだろうが、自分が寝たきりにでもなったら、読み返したい内容となるよう、十分に勉強してから書きたいと思う。
六ヶ所村、日本の未来を想像すると、かなり恐ろしい話だ。
最後の床屋さん? [生活]
2018.6.9
おはようございます。
今日は早起きをして、一つ仕事を終わらせた。
梅雨突入前の最後の晴れ間になるのか。今のところ今日もいい天気だ。
幸いにして、今日は地鎮祭をするので好都合。
11時からということなので、その前に仕事を仕上げておいた。
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昨日、頭髪は完全消滅寸前だけれど、一応、床屋に行ってきた。
頭部の周りは、どういうわけか伸びるから、行くのは面倒なのだけれど、月一で行っている。
家人にいつも言われるのだけれど、若い時分と違って、老人はとかく汚く見えるから、いつもきれいにしていろと言う。
確かに、若者が簾のようなジーパンを履けば、それはそれで恰好がいい。
老人がそれを履いたら、どうなるのか。
それは浮浪者だ。
これはどうあがいても逆らうことはできない「時の重み」というものか。
嫌な重みだ。
最近、肩がこるのはその重みかと妙に納得!
朝からしょうもないことを書いている。
ということで、今日は床屋さんの話。
いつも行きつけの床屋に行っている。大体、多くの方がそうだと思う。お気に入りのところに行く。
これは男も女も皆同じだ。お金も結構かかるしね。
若いころは美容院に行っていた。若干安かったということもあるが、髭をそられるのが嫌だったので、美容院にしたような気がする。時間も短くて済む。
ここ20年はずっと同じ床屋。転勤で間が空いたので、通算すると30年になる。
床屋の御大は私と同じ年だ。ちょっと強面だが、礼儀も正しい。それよりももっといいのが、その技だ。
とにかく気持ちがいいし、正確なハサミ使いだ。その技に乗せられて、ついつい居眠りをしてしまう。眠らないことは今までで1~2回。気がつくと「はい、お待たせしました」と椅子を起こされる。
そんな彼も来月、白内障の手術だと言う。しかも両目だ。左はもう霞んでしまっていて、右目だけでやっている。昔取った杵柄でハサミ使いは問題ないとか。
ちょうど1か月後に手術だそうだ。
その前にもう一度、彼の技に酔いしれに行こう。