ガイシホールに行きます [生活]
2018.6.13
おはようございます。
昨日はやはり暑くはならなかった。今日はどうだろうか。今のところ千葉の空は曇りだ。
本当はこんな呑気なことを言っている場合ではないのだろうが、今日はお許しあれ。
・・・・・・・・・と独り言を言ってみた。
昨日、テレビで新潟のホテルをことをやっていたが、苦渋の選択だったんだろう。
やはり、そこには「お金」に縛られる人間がいた。
経済社会では、札束で頬を張るのが現実だ。
それをわかっていても、あからさまにその体を見せつけられるとカチンとくるが、背に腹は変えられないのが現実だ。
別に大陸の方を蔑視するわけではないが、多くの方々がその傾向にあるのは、やはり否めない現実でもある。日本を蔑視する教育が続く限り、それは続く。
日本が経済社会から脱却でもすれば、その嫌な思いからは確実に開放される。
しかし、そんなことは到底できるはずもなく、最後の最期まで、人間は「お金」に縛られて生きていく。
遠い将来? いやそれよもりも近い将来? 否、あと5年かもしれない。
確実に日本は切り売りをしていくことになる。
国は人なり、人は国なり。
人口ゼロはあり得ないかもしれないし極論だが、限界集落という言葉もある。
島嶼防衛と言っているが、これも人がものを言う。
人がいなくなれば、自治体が崩壊する。
町役場、市役所は税収が少なくなり、いずれ立ち行かなくなる。
当然、地方公務員がいなくなる。
隣組的な自治組織、互助会ができ上がり、細々と生きていく。
その地域に大陸の人間が入ってくる。日本の農業、林業、漁業、工業のすばらしい技術を買い占め、習得していく。
好むと好まざるに関わらず、日本であっても日本でない地域が出来上がっていく。あちらこちらに、そういう地方都市が出来上がる。
地方自治体は税収が見込め、人が増え、賑わいが戻り、発展さえすれば、それでいい。
そこまで譲歩する。
日本人が減り続け、大陸人が増え続けていく。
最終的に、日本であって、日本でない日本があちらこちらに出来上がっていく。
本当にそれで日本はいいのだろうか。
もう時間はない。
為政者は、誰も知らんぷり、自分のことで精一杯だ。
----・----・----
朝っぱらから詰まらない話を書いてしまった。
永久迷路で愚鈍的なことを考えながら、先日の新幹線事故が起きないよう祈りつつ、名古屋・ガイシホールに行ってくる。
コメント 0