明日につなげたい想い [生活]
2018.10.14
こんばんは。
さっき8キロぐらいを走ってきた。雨もやみ、夕日が少し、青い空が薄曇りの空から少しだけ見えた。
明日も曇りがちだ。最近のぐずった天気が続くと少しだけ太陽が恋しくなる。
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一昨日、今月24日の名古屋ガイシホールのチケットが届いた。
多分、我々としては最後のコンサート参加かもしれない。朱鷺メッセ(新潟)はすばらしい出来だったので一安心しているが、その前の武蔵野の森は、必ずしもいい出来とは言えなかったから、そろそろ最後にしようか?という話をしていたところだ。
彼の変化をネットで書いている人は見当たらないが、彼の歌い方にほれ込んでいる私にとっては、その変化を受け入れることは辛いものがある。ファンとしては外様も外様、大枠の外に位置する私が言うのは甚だおこがましくて申し訳ないが、武蔵野の森の歌い方は、ほかのプロの歌い手が彼の歌を歌っているようで、大きな感動に襲われることはなかった。
その変調は、やはり年齢によるものであって、致し方ないと言えば致し方ないのだが、ファンの末端の者としては、それを見続けるのは悲し過ぎ、酷というものだと感じてしまうのだ。
芸能界というきらびやかな世界に君臨しつつも、自分を見失わず、長い間、彼の精神的な想いを言葉とメロディーに載せ続け、しかもそれが皆に受け入れられ続けていることを感じられること自体、幸せなことだと思っている。
そういう彼も71歳だ。
おこがましさのついでに、彼が先か、私が先か、そんな焦りも感じながらも、道しるべとして、来年も再来年も元気で活動し続けてほしいと心から願っている。
喉元過ぎれば・・ではいけない。 [新聞記事]
2018.10.14
こんにちは。
今日も寒いね。塩害があったので、車を洗車すべきだと家人が言っている。我が家の前のご主人もこの前言われたことだ。しかし、今日の天気を見ると、どうしても洗車をする気にもならない。洗車機はお金もかかるしね。貧乏人もお金持ちも自分でできることは、どケチになる。
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けたたましく夏は過ぎていった。「台風」、「猛暑」、「熱中症」、「日焼け」、「町の静けさ」、「雷雨」、「落雷」、「突風」、「竜巻」、「ひょう」、「ゲリラ豪雨」、「冠水」、「床上浸水」、「避難勧告」、「避難命令」、「50年に一度の雨量」、「早いうちの避難」、「身に危険が迫る」、「垂直避難」・・・・新しい言葉、いい古された言葉、新旧入れ乱れてテレビから流れた言葉だ。
それをもう遠い昔のように思うが、まだ1か月と少しだけ前の話。人間は忘却の動物かもしれない。あれだけ右往左往したはずなのに、ついつい忘れてしまっている。
9月に来襲した台風、950ヘストパスカルを遥かに下回って通過していったが、幸いなことに皆皆少しずつずれて通った。西のほうはしっかり、どっと降ったところもあるが、私の住んでいる関東地区は幸いなことに少しずれていった。
900ヘストパスカルの台風がまともに来たら大変なことになっていただろう。これが来年以降は日常茶飯事になりそうだ。これにどう対処するのか。対処のしようはない。じっと頭を下げて通り過ぎるのを待つのみ。
自然の前には全く無力な人間。
レジ袋有料化、ストロー成分変更ぐらいしか脳がない人間。
今世紀末までの気温上昇幅1.5度未満が努力目標だというが、このままだと3度を優に上がってしまう。いやもっと上がるだろう。去年と今年の状況を比較して見ても暗示的にわかる。自然とはそういうものだ。乗数的に加速するのは自然の成り行き。
この冬は温暖化に反して猛烈な寒さになるかもしれない。暖冬なら、それは別の意味でラッキーだろうが、厳冬なら危険度は増していることになる。
トランプさんあたりは「何が温暖化だ。こんなに寒い冬が来ている。それはあり得ない」と言うんだろう。
温暖化とは、両極の天気が多く現れることを言う。つまり、極端な気象だ。夏は酷暑だとそれは温暖化だからと理解しやすいだろうが゛それと同様に冬は極寒なのだ。
「えっ、温暖化じゃないじゃん」とほっとするのも無理はない。
しかし、地球は確実に信号を送っている。それをしっかり受け止め、自分にできることを少しずつ黙々とやっていくしか道はなさそうだ。
人間は、もう少しだけ頭がいいと信じたい。