為替-南アの動向 [マネー]
2018.10.5
続いて投稿。
気がついたら、南アが7.6台に下がっている。1週間ほど前は8円台となり、ドル円はあっという間に113円台となったので、こりゃチャンスを逃したわいと思っていたら、またまた急降下でチャンス到来。
安全パイをとって7円台を切ったところで買うのが後悔なし、ベストチャンスかもしれない。
6.8円で10万通貨を買うと2万7000円が購入価格。思惑外れで6.8円が5円になったときの必要保証金はギリギリ20万。
100万円の所持金、南アを10万通貨買った場合。買値よりも下がらなければ一日当たり90円のスワップポイント(利息)が付くから365日を掛けると1年で3万2850円付き、10年で32万8500円付くことになる。仮に買値よりも下がったとしても、6円以上は下がらないわけだから60万円以上の保証金は必要ないことになる。
仮に、南アフリカ共和国が消滅すれば話は別だが、その可能性は限りなくゼロに近い。
問題は、買値よりも下がったときだ。下がった時点で決済をしてしまうと損をする。だから、買値よりも上がるのを待たなければいけない。そして買値より高くなったところで決済をする。
10万通貨の場合、1銭上がって1000円の利益、10銭上がって1万円の利益となる。
こんなことはあまりないが、1円上がったとすれば、10万円の利益となる。
いやいやもっと高い値のスワップがあるとおっしゃる方がいるかもしれない。確かに米ドル、豪ドルは50円と30円が1日当たりに付く。
つまり、10万通貨を買えば500円/日であり、300円/日。90円しか付かない南アとは比べ物にならない。(米ドルを1年持てれば18万円は固い?)
でも、私は南アを推す。それはなぜか?
米ドルを10万通貨買うのに幾ら必要か。45万円必要(南アは2万7000円)。
それに動く値幅が大きい。ここ1カ月ぐらいで、2円以上も動いている。もし10万通貨持っていると±20万円が動くわけで、何年も放っておくつもりだと平気で10円の値幅変動はあるわけで100万、200万以上の保証金が必要となり、夜もおちおち寝られないことになるし、寝てしまったら、朝は追徴のお知らせを受けてしまう可能性も出てくる。
つまり、細く、長く、安全に、小リスクで放っておくだけで利益を生み出すという都合のいいスタンスは、南アの安く買って、長く持つ方法だと思っている一席。
お後がよろしいようで・・・・・。
【追伸】
米ドルでも豪ドルでも悪いわけではない。不幸にして世界経済が大混乱になって、ドル円が50円ぐらいになったところで買いつければ、確実に利益は生み出せ、永遠にスワップは入り続け、買値が目減りすることもない。しかし、素人の我々は大混乱、大不況のときに大博打はなかなか打てない。それをわきまえて大博打を打つことも心しておけば、いい思いができるかもしれない。
生きていく意味 [生活]
2018.10.5
こんにちは。
ドンよりとした空。先程、向かいのご主人が洗車をしていた。この雨空なのに、高圧洗浄をしている。
どうしたんだろう?連休だし、車でお出かけになるのか。でも、小雨模様だしな。普通はしないよね。
と思って私が出かけようとしていたら・・・・・。
ご主人「塩害がすごいらしいよ。車の窓、汚れ方がちょっと違うよね」
私「エンガイ?」
ご主人「そうそう、テレビで言っていたんだ。台風で塩風、雨に混じってね」
私「そう言えば、塩害って言っていましたね」
ご主人「車も洗車しておいたほうがいい。錆びると困る」
私「そうだったんですね。松戸のほうの樹木も結構枯れていたんです。それって塩害かも」
そうだったのか?ふと松戸の街路樹を思い出した。盛夏で焼け枯れたような庭木と街路樹。てっきりホットスポットかと思っていたけど、塩害なら、それは放射能よりはかなりマシダ。
まあ、原因はわからないけど、今日も京成と総武線が塩害によるパンタグラフの発火のニュースが流れているのを思い出した。
その台風が再び来る。
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午前中毎金曜日には白洋舎の営業マンがやってくる。もうかれこれ10年以上になる。営業マンが最近代わった。以前の営業マンのときは私たちも現役真っ最中ということもあり、シーズンチェンジのときはよく白洋舎に頼んでいた。きれい、丁寧ということで、少々高いお値段だが頼んでいた。
しかし、ここ半年以上、ほとんど頼まなくなってきた。それはスーツを着る回数が激減したからだ。今はもっぱらTシャツがメインとなったからね。Tシャツをクリーニングする人は、流石にいないだろう。
営業マンが交代してから二人一組でインターホン営業をしている。いつもは少し年上の営業マンがボタンを押す。
営業マンA「白洋舎です。今日は何かございますでしょうか」
私「すみません。今日は間に合っています。また、よろしくお願いします」
営業マン「わかりました。またよろしくお願いします」
こんな会話が半年続いている。
その年上営業マンの肩ごしに少し若め営業マンが写っているのが見えていた。
その営業マンはいつも後ろにいるだけで、決して、インターホンを押す人間ではなかった。
きっとまだ新人なんだろか?
ピンポ~ン。いつも、このチャイムが鳴ると「あっそうか、今日は金曜日だ」と家人と言葉を交わすのが習慣となってしまった。
【営業マンBとの会話】
私「はい」
営業マンB「白洋舎です。いかがでしょうか?」
私「すみません、今日は結構なようです」
営業マンB「またよろしくお願いします」(多分、こう言ったんだと思う)
拙宅インターホンは8年ぐらい前から調子が悪い。修理をして部品交換をしたが、どうも接触がよくない。オフボタンを押してもオンになったままで室内の声がみんな外に流れていたり、こちらが返事をした後の客人の声が途切れ途切れだったりで、あまり役に立っていない。営業マンBの最後の会話は、多分、「また、よろしくお願いします」だったんだと思う。
彼の声はかなり若い。画像の解析も余りよくないものだから、しかとはわからないが、きっと若い。
そんな若い彼が、面々とインターホン越しの営業を続けていくわけだが、果たして、彼には達成感は生まれるのであろうか。現役バリバリでバブル前後の世代は既にリタイヤをし、競合他社の安いクリーニング店も多く。100円でワイシャツを洗濯してくれる時代だ。500円か600円は知らないけれど、値段だけでは絶対に勝てない白洋舎である。ドア越しならもう少しトリツクシマもあるだろうが、インターホン越しでは、その時間的余裕もない。彼に営業能力があったとしても、それをいかんなく発揮できる場はない。
それを延々と続けていくことになるこの営業活動。彼には、その仕事を通して、生きていく意味を推し量ることができるのだろうか。
白洋舎は上場企業。私の想像の及ばないところの仕事もあるに違いなく、ほかの部署もあるに違いない。ましてや正社員かどうかを知るよしもない。私は飛び込みの営業をした経験はないからわからないが、少なくとも、お客と対面し、話をし、自分を、会社をアピールし尽くせる場はほしいし、それでお客を得ることで、自分の存在意義を確かめる。これは時代がどう動こうが違いはないと思う。
もう少しで我々はこの家を出ていくわけで、その結末を見ることはできなくなるが、若者に相応のチャンスが訪れることを心密かに願っている。