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守屋浩 [新聞記事]

2020.9.25

こんばんは。

また死亡記事のことを書こうと思う。

守屋浩さん、ご存じない方のほうが多いだろうか。彼は歌手。当時大ヒットした歌のためか、今も1番を通して歌えるから不思議だ。もちろん、当時の私も、今の私も、彼の歌をそんなに知っているわけでもないし、歌ったこともない。当時、活躍していたほかの歌手はというと坂本九ちゃんだったような・・・。「上を向いて歩こう」と「僕は泣いちっちっ」という歌が流行ったのは同じころだったような記憶がある。私の記憶だから、多分合ってはいないだろうが、小学校のころ、もう一人のクラスメートが守屋さんの歌を歌い、私が坂本さんの歌を歌った記憶がある。

81歳。ホリプロの第一号の歌手だったそうで、ホリプロの執行部もお務めになった方だそうだ。

ジジイのブログは、死亡記事のことが多い。いつも書くことだけど、「時」と「子ども」はこちらの都合などはお構いなしだ。しっかりと準備をし、覚悟を怠ってはならない。

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ワクチン [新聞記事]

2020.9.25

こんにちは。

今日は一日雨。千葉は運良く豪雨にはならず、小雨が続く。寒さは早、秋を思わせるぐらいに寒くなった。夏生まれの私としては、やはり暑い日は恋しい。

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世界じゅうワクチン開発の競争が起こっている。どこが一番早く着陸地点に到達するかは巨万の富を得たい創薬メーカーとしては当然のこと。外国のメーカーが、そのワクチンを日本に提供する旨の契約を結んだというニュースが大分前から出始めている。やはり日本はまだお金があるんだなという思いがある一方、どうして日本がという思いもある。ワクチン開発は試薬ができた後、治験を繰り返さなければいけない。そして、何万という治験数でどれだけの異常値が出たか。それは許容できる数値なのか。そして、どういう異常が出てしまうのか。誰がそのワクチンは接種しないほうがいいのかなど、超えるべき壁は多い。確か第何相までと分かれていたと聞く。しかし、新型コロナワクチンは、その最終段階まで到達していなくてもオッケイとして認めてしまおうという動きがあるのが少し気になる。

子宮径がんワクチン問題が一頃あったことを思い出す。若い十代の方が接種をし、今尚、その後遺症に苦しんでいる方もいる。副作用の発症後、8割以上は回復したけど、2割ぐらいの方々は重い症状・後遺症で苦しんでいるのは事実。その割合は1000人に1人。多いのか、少ないのか。大昔では、ポリオワクチンのサリドマイド問題もあった。

ワクチンはそんなリスクを必ずはらんでいる。結構重篤な結果を招いてしまう方もいる。その割合は1000人に1人ならいいのか。5人ならダメなのか。今までのワクチンはちゃんと最終段階まで臨床試験をやってきての結果だ。それでも100%ではない。

新型コロナウイルスは最終段階まで到達していない、その前の段階で許可される可能性が高い。政治的なものも、時期的なものもあるに違いない。それは外因で結果を早めてはもらいたくはないが、そうなる可能性がある。

日本にいち早く提供されるワクチンの担保はどうなるのか。それは製薬会社が責任を持たず、日本政府が責任を持つ。だから日本へ提供してやるよ、ということらしい。さすがにずる賢いが、簡単にそれに乗ってしまう日本も軽薄この上ないと私は思う。

背に腹は変えられないと思うか、1000人に何人かだから俺たちは大丈夫と思うか、ぐっとこらえて、ここは我慢して罹患しないようにしようと思うか・・・・・ここは思案のしどころだ。、


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技術の進歩と人間の退歩 [生活]

2020.9.24

こんばんは。

今週火曜日が休みだったので、愚息宅に行く必要はなかったが、その代わりというわけではないだろうが、今日愚息宅に行ってきた。孫の病院があるので、8時までに来てほしいということだったので、5時半には出発することにした。多分、キャンプの後始末やら、いろいろあるだろうと思って早めに行くことにした。嫁は大いに迷惑だったかもしれないが、ここは謙虚にサポートする、フォローするということで、今日もでき得る限りの知恵を絞って手助けをしてきた。同居ならもっと図々しくもやるが、やはりそこは補助であるからにして、一歩下がって何をここでやれば、この家の家事はうまく進むのかを考えながら事を進める。とはいっても、やるのは我が家人が中心であって、私はあくまでもフォローのフォロー。それですべてが丸く納まればそれに越したことはない。

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ということで、仏のようなジジババを演じてきた。

世の中が便利になることはいいことだが、便利に乗っかるということは、自分の技量を落とすことになる。これは数理上当然の結果だ。車の性能は昔と比べて格段に上がった。例えば、ギアチェンジ--昔は主流であったが、今はオートマチックになっている。どこが違うのかと言えば、車の速度に適したギアに運転者がチェンジをする。ストップスタート、ストップスタートの繰返作業の車にあっては、そのギアチェンジを間違うとエンストが起きる。つまり、エンジンがストップしてしまう。あるいはノッキングと言ってガックンガックンと車が咳をするかのようにのたうちまわる。そんな難しい技術は今は要らない。また、坂道発進といって、昔は教習課程で必ずやらなければならない項目があった。今のようなオートマであれば、「D」に入れておきさえすれば、坂道であっても下に下がることはまずない。昔は違う。坂道で止まる直前にクラッチというペダルを踏み、クラッチを切るのと同時にブレーキを踏む。「L」ギアに入っているのを確認した後、クラッチのペダルをゆっくり離しながらブレーキペダルに乗っけてある足をアクセルペダル踏み替え、ゆっくりと踏み込む。このタイミングを見違えると、エンジンはストップし、車は坂を後ろにゆっくりと下がり始める。これが結構怖い。そんなことに気を使いながらもウィンカーも適切に出して走行していた。しかし、今はどうなんだろう。ウィンカーすら出さない人が多い。クラッチペダルに手こずることもないのにウィンカーすら出さない人が多い。

技術の進歩は人間の進歩と反比例する。これはあながち外れとは言えない。

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