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それぞれの仕事(2) [生活]

2020.9.27

こんにちは。

晴れると思っていたけど、結局今日もグズグズの天気。

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今日もついつい家の中。














竹内結子さんが自殺したというニュースが突然入ってきたのにはびっくりした。離婚した獅童さんとの間に10代半ばのお子さんがいるはず。現在の旦那さんとの間にも子どもが生まれたと聞く。正統派で好感を持っていた私としては唖然とするばかり。残されたご家族、お子さんはどうするんだろう。

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昨日の続きを・・・。

それぞれの領分を全うする。これは簡単なようで簡単ではない。よく聞くこととして、私は(俺は)いつも子育てをしているんだから、休みの日ぐらいは交代してという言葉。確かに子育てに休みはない。毎日毎日、成人し、自立するまで親は子どもの面倒を見る。特に幼少期は自立の「自」の字もないから四六時中面倒を見なければいけない。その大変さは、今この年で再びやれと言われても積極的にしようとは全く思えない。そんな子育てだからこそ、共働きの場合はお互いに補完し合う必要はあるし、専業主婦(夫)の場合は相手に迷惑のかからないように、極力自分の範囲内で納める努力が必要になってくる。

そういえば、私の周りには、結構離婚している方が多いのに気づく。理由はいろいろあろうけど、「夫婦喧嘩は犬の食わない」のたとえどおり、他人にお聞かせするような大それた理由はあまりない。「あまり」といって絶対にないとは言えないのも事実だけど、それ以外は、何で便座の蓋をしないとか、洗濯物の畳み方が違うとか、ゴミを捨てたら新しいゴミ袋はセットしろとか、そんなたわいもないことが多いのは事実。男はついつい、やってやったという気持ちになるのは確かで、ゴミ捨てておいたからとか、食器洗っておいたとか、風呂場洗っておいたからと、悪気はないのについつい「やってやった感」を出してしまうのも確か。そんな小さな積み重ねが大事故になる。積年の恨みつらみではないけれど、塵も積もれば山になってしまうのは事実だ。それは離婚という重いことに対して、余りに軽い事柄でしかないために、その次の言葉がない。二の句が告げない。

結果、性格の不一致という余りにも政治家的な発言となって出てきてしまう。そんな悲劇を生まないためにも、お互い主婦(夫)力を上げる努力はしなければいけない。カット野菜に手を出す前に、レタスを買う、人参を買う、キュウリを買う、ドレッシングも買うのではなく自分でつくってみる、から揚げも自分でつくってみる、コロッケにも挑戦してみる。ボンカレーよろしくボンミートソースに手を出す前にミートソースをつくってみる。ボンゴレはアサリを買い、砂抜きして使ってみる。そういうことの繰り返しで主婦(夫)力は格段に上がってくる。できないものができるようになってくる。時間を使い切る工夫も余裕も出てくる。省略してしまった掃除も洗濯もできるようになってくる。朝洗濯機を回すのか、夜、洗濯機を回すのかで小一時間時間が違ってしまうこともままあるわけで、家事には創意工夫は不可欠だろう。

誰かが子育てをする時間はあっという間。だから子育てを楽しんでいると言った人がいたが、確かに十二、三歳になれば、15歳になれば、親の顔も見たくないと早々に言われるのがおちだ。

特に専業主婦(夫)の方は、創意工夫は絶対に必要で、その中でも時間を生み出す工夫は必須だと言っておきたい。 

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それぞれの仕事 [生活]

2020.9.26

こんばんは。

イクメン。古い人間は、この言葉の意味がよくわからない。育児をするMANということ・・・・・多分。あいつはイクメンだからとか、イクメンをしなければとか、要するに育児は女性だけではなく、男性もということなんだろうと思っている。

しかし、これは共働きの家庭の話だけと思っていたけど、専業主婦(夫)の家でもイクメンって当然のことなんだろうか?

それは「なしだろう」と私は思っているけど、今の二十代、三十代の方々はどう思っているのだろうか? 私としては専業主婦(夫)の場合はないだろうと思っていて、家庭で家事専門にやっている方は、外で働いている人対して心地よく過ごしてもらうよう段取りをするべきだと思っていて、彼(彼女)が一生懸命外で働いているからこそ、そこそこ豊かな生活が送れるわけで、家庭は安らぐ場として提供しなければならないと思っている。

当然、安らぐ場を提供できるようにするには、いろいろと工夫が必要なわけで、家事は、食事の準備、お弁当、洗濯、掃除、片づけ、子どもの送り、洗濯の取り込み、洗濯の片づけ、夕飯の買い出し、子どもの迎え、夕食の支度、子どもの世話、夕食、夕食の片づけ、お風呂の世話、イレギュラーな出来事への対応などなどなどなどなど(まだまだたくさんあるね)・・・・・、それの組み合わせを家事以外のことも含めながらエンドレスで対応していかなければならないわけで、ノンベンダラリンとしていては、遅れ遅れになっていく。もし、イレギュラーなことがあって遅れても、一つやることを省略したり、はしょったりすれば、何とかなるというか、誰かに文句を言われることもない。しかし、家事は毎日毎日生きている限り永遠に続くわけで、その能力たるや大変な熱量が要る。だから、遅れ出すと、それを取り戻すことは大変な馬力が必要だけど、それをとがめられることは極端に少ない。もう少しきつめに言うと掃除と洗濯を省略しても、誰にも文句を言われることはなく、その遅れは取り戻せることになる。

家事は会社での仕事と同等か、それ以上に難度は高い。だからハナからあきらめてしまう人も多い。でも、他人には見られないから、あきらめてしまっても悔しい気持ちは起こらない。半年に一度の上司の評価もないから、すべて自分のいいように解釈して、自分の心の中で納得させていく。つまり、そこには「進歩する力」が確実に削がれていってしまう。

世の中、便利になってきており、揚げ物も買い求めることができるし、惣菜でも大体が買い求められる。無洗米だってあるから、これから寒くなる冬にはもってこいの商品だ。しかし、その分、専業主婦(夫)の能力はますます削がれて、自分から難問に飛び込んでいかない限り、その能力は衰えていくばかりだ。

その能力の衰えは、やがて大きな遅れとなり、専業主婦(夫)の手に負えないことになり、会社勤めをするもう一方の人間に負担を強いていくことになる。それは少しずつ、少しずつ会社勤めの人間の領域にまで浸食していくことになる。

それはいいことなのか、悪いことなのかで言えば、確実に悪いことだ、と言われても仕方がない。

会社勤めの人間にとっては、お客様はいつも他人であり、最大限自分の能力を使い気配りをする。また、上司に対しても 自分の評価を上げるために、これもまた多くの気遣いをする。それは人間が生きていく上で最低限必要なものであろう。評価を上げるということは、自分たちの家庭をより豊かにするアイテムであり、必要不可欠なもの。

お互い、外と内とで仕事の内的性格は真っ向から違っていて、どちらがどれだけという優劣を付けてはいけないし、付けるべきではいなものだ。

お互いの領分を犯すことなく、自分の領分の仕事を確実に着実に明確に怠ることなく完遂することがお互いへの思いやりにつながるということだと思っているのだが、それはジジイの考えだろうか?

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