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恥ずかしながら・・・ [我が家]

2018.12.19


こんばんは。

「西郷どん」は終わってしまった。大した感動はなかったが、「ヘェー、そうだったんだ。」と思い知らされることが大河ドラマでは多い。その最終回をまだ見ていないから、ひょっとしたら大いなる感動があるのかもしれない。今日はおもしろいTVもないので、ビデオを見たのだが、「建物探訪」、「サワコの朝」、「食彩の王国」を見て終わった。次回は「西郷どん」たどり着きたい。


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決して自慢話ではない。何度か家をつくり、ここがだめだった、ここはうまくいったけど、まぐれに近いね。日当たりは・・・二階家は・・・・西玄関とくつ箱は・・・・風呂場の場所は・・・・箪笥を置くか、クローゼットをつくるか・・・・シンクの大きさは・・・・調理台は・・・・、洗浄器はどうする?等々と家づくりは楽しく、夢があるものだ。


しかし、人生最後の家づくりであるはずが、人生最悪の家づくりになりそうな気配だ。


それでも、家人はいつもより前向きで、「仕方ないよ。できちゃったんだから、この家で、この家を、楽しく住むことを考えたほうがいいよ。恨み、つらみを言ったところで元に戻るわけじゃないからね」と笑顔で言う。頭が下がるネ。

今朝まだ暗かった、多分5時ごろだったんだろうか。私はトイレに行って、もう一眠りと思ったが、家の件が頭に張りついてしまって寝られなくなった。メールの返事は何て言ってくるだろうか。こう言ってきたら、こう言おう。ああ言ってきたら、突っぱねよう・・・・・そんなことばかり考えてしまって寝られなくなり、そのまま起きてしまった。最近、こういうパターンが多い。

そんな気分を読み取られないよう、私は極めて平静に家人の前では振る舞う。しかし、それは長くは続かない。ふと気がつくと無口な自分がいて、直ぐにバレる。


こんな写真を載せることは恥ずかしいが、雨量10㎜も降らずにこの状態だ。

 

DSC_1692.JPG














確かに土を入れれば済むかもしれないが、前方のコンクリートの土台の半分ぐらいまで土に入れれば、それは叶う話ですと澄ました顔をして所長は言う。

しかし、地盤沈下によって庭づくりをお願いした話では全くない。古屋と庭木があった土地を更地にし、ベンチマークを確認し、グラウンドレベルと決め、図面を引き、家を建てようと「初めの一歩」から考えたのはそのメーカーで、別の業者がGL(グラウンドレベル)を決めたわけでもなく、別の業者の一級建築士が図面を引いたわけではない。すべてのそのハウジングメーカーのメンバーがやったことで、全く話にならない。


庭の案はいろいろあって、ピンコロにしヨーロッパ調にしたいとか、バラを植えるので門扉は自動の撥ね上げでアイアン調にしたいとか、バラは全部で16本ほどあって、駐車場の脇に植えたいとか、アプローチに植えたいといろいろと言っていたが、すべてを白紙にすると所長(責任者)にはメールをした。門柱(ポスト・表札・インターフォン)と駐車場(縦列駐車を並列駐車に)の勾配をしっかりとって水たまりをつくるな、ピンコロも要らない、コンクリートの打ちっぱなしで結構、道路から入り口のアプローチは責任をもって所長さん、あなたが考えろとメールをしてした。これ以上、事が大きくなるかならないかはあなた次第だとも言っておいた。


これを読む方には、「何言っているんだい,この男」と思われて、引かれてしまいそうだが、申し訳ないが、書けば書くほど頭に血が上って、誤打も多くなってしまった。生きていく長い人生では、どうでもいい話かもしれない。


ということで、目標を見失わせるようないろいろな事象が私たちの周りにはあるというよい見本をご紹介した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と強がっておこう。

 

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柳の下のドジョウは2匹いない [生活]

2018.12.19


こんばんは。


今日もあっという間に過ぎてしまったが、引越の荷物を少しずつ、昨日は台所、明日は仕事部屋、明後日は階段下の引き戸とやる予定だ・・・・・・・・・と昨日打っている間に夕食の時間となりタイムアップ。そのままになってしまった。残すは食器類のみ。破れないように一つ一つ包み込んでいく作業もあるので、結構時間がかかる。


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表題の「柳の下に・・・」と打ったが何を打とうとしたのか、とんと思い出せない。ハウジングメーカーの営業マンのことだったのか・・・・最近の思い悩むことは、そのことばかりになってしまったから、きっとそうに違いないが、今日はやめておこう。


7年と半年が過ぎて、奥様のご遺体が見つかった。ご主人の想いをはせることは甚だ不遜だが、記事を読んでいくうちに思わず涙が出てきた。あの出来事は平成に生きる日本人の誰もに共有できる唯一の事象かもしれない。

 

日々の暮らしに追われている我々だけれど、7年半前のそのことを忘れてはいけないと思う。あの日の、あのときの自分の目を疑うような出来事は時間とともに忘れ去られようとしているが、決して忘れてはいけないことなのだ。あんな辛い想いを共有できたのだから、何でもできる、何でも乗り越えられると誰もが思ったはずだ。少なくとも、私はそう思った。


自分の周りでは、いろいろなことが日々起こっているけれど、自分の生きる証と自分の短い人生でやらなければいけない意味を、その記事を読んだとき、再び心の底に灯った気がした。


さあ、明日からまた頑張ろうゼ。

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