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いずれは土に皆帰る・・・のだけれど [生活]

2018.12.27


こんばんは。昨日は庭の業者が来て、少しだけ打合せをし、仕事にかかっていただいた。今日は3人がかりで庭石を運んだり、コンクリートの枠組み、穴堀り作業は進んでいた。

引越で普段いるはずのところにいなくなったものだから、不在者票による再配達待ちが何日も続いたり、土地家屋調査士から電話が来たり、市役所の職員が来たりと年末でただてすら忙しいところに拍車をかけていろいろと用事が連続する。

家が違うということは、こうも体が付いてこないものであろうか。あっちにものを取りに行ったら、あっちのことが気になって、何をとりに来たのか忘れてしまい。また元に戻って思い出そうとしたりするものだらか時間が幾らあっても足りないことと相成った。全くの笑い話状態だ。

そんな折、この忙しさに拍車がかかることが起こった。


それは義叔母の死だ。

家人の叔母で、家人が18歳のときの上京し、下宿をさせていただき、いろいろとお世話になった方だった。養女にというお話もあったようで、結婚当時は会ってもいただけないくらい激怒なさっていたらしい。若いというのは恐ろしいもので、そんなことがあっても、一向に構わないというか、馬耳東風状態で我々はいそいそと結婚をした。端から見たらいい笑い者だったに違いないと思うが、当時は若かったからね。それが特権だったんだなと懐かしく思い出す。

そういうわけで、家人は一昨日から帰郷。火葬場も運良く空いていたらしく、私は明日、愚息二人を連れて通夜と告別式に出ることとした。

よくよく考えると、その叔母には家人以外にも世話になっており、叔母は結婚には反対していたものを、いざ孫が生まれたら、それは親身になって可愛がっていただいた。愚息は足が内反足という病気になっていたが、拙宅の近くではよい病院はなく、困惑していたとき、専門医を見つけていただいたのはその叔母であった。もし、その医者を見つけていただけなければ、今ごろは肢体不自由児として、世の中の片隅でしか生きていけない子どもになっていたわけで、それを思ってか、子どもたちは何も言わずとも、通夜と告別式には参加したいと言ってきたのは、彼らは彼らで、それなりに恩義を感じているのであろう。

今夜から東北は大雪と聞く。我々はその最悪コンディションの東北に行く。


ここ2か月の間に我が家では、引越、結婚式、葬式と3つの「シキ」が起こった。平成は世間的にも大道乱の時代であったが、我が家においても大々事件が多く、小さいながらも波瀾含みの時代だった。


そんな大動乱の平成30年も残すところあと4日だ。

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