何でも最後まであきらめないことだ [生活]
2017.12.2
今、古屋の整理を小一時間してきた。片づけるところは、あっちを見ればあっちに、こっちを見ればこっちにあるものだから、依然、家の中はグチャグチャだ。他人が見たら、二度と入りたくないと言うであろう状況に変わりはない。
そこで唯一いいことがあった。これでまた、私のアイディンティティというか、自分の自我というか、根本精神を築いてしまうような出来事が起こった。(単純人間だから、こんなことでアイデンティティが確率される。イイネ、平和で)
・・・・と言うと何があったかと思うだろうが、多分、他人さんが読んだら、大したことないじゃんと言う程度のことだ。
それは今から逆上ること40年と2カ月前。私達の結婚式があったのだけれど、いただいた御祝儀袋が大事に埃をかぶって段ボールから出てきた。もちろん中身はそのときに処分しているわけだけれど、大事に水引もかけたてあるものだから、ついつい中身が入っていないとは思いつつも、いちいち中身をチェック!
「やっぱり、あるわけないよね。」「時間の無駄だな」・・・・・・・・・・・・・と
と・・・・・・・思った瞬間。
当時のことだから、結構派手婚で、私のほうだけで100人近くはいたんです。
最後の最後の3つ目。もういい加減にやめようと思ったとき・・・・・・。
出てきてしまったんですね。ある方からの御祝儀袋を窓ガラスにほうに透かして見たら、中袋が入っていたんです。でも、中袋だけだということもあるから、まだ喜ぶわけにもいかない。
100人近い水引を開ける作業をしていたものだから、またご存じのように、あの水引はすごく開けるのに手間がかかるものだから、ビリビリに破いて開けていたわけです。
これで終わる、あと3つ、入っているわけもないから、まとめて捨ててしまおうと思ったとき・・・・・・
入っていたんですね。2万円。うそのようなホントの話。
あの聖徳太子様の旧紙幣。おごそかなる大きな紙幣で、ATMなんぞを見向きもしない。決して相手にしない。銀行も、JRも、郵便局も、もちろんコンビニだって歯が立ちません。
その大判1万円札が2枚も。
ほんの小さなことですが、何事も最後まであきらめないことが目標を達成する近道かもしれないと思ってしまった一日でした。
竹中平蔵さんはお見通しです。 [新聞記事]
2017.12.2
今日も早起きで一仕事。本職のほうも昨日行ってきたものがあるから、これをこれからやらなければいけない。
古屋の片づけ、新築屋の設計、本業とちょっと忙しない。せっせっせとやらなければ。
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昨日の新聞だったか、竹中平蔵さんがインタビューに答えていた。今の金融緩和のことについて。
彼は明確に正確に的を射抜いていた。
金融改革、日銀はやることはやった。黒田さんにご同情申し上げる。
しかし、政府のほうの規制改革、構造改革が進んでいない。
これでは成果は上げられない。安倍さんがトップのときに、そこはやってもらわないといけない。
ざっとこんなコメントだったと思う。
安倍一次内閣のとき、彼のリーダーシップのなさで竹中さんの敷いたレールが次々と官僚たちの反乱でなぎ倒されてしまった。
「えっ」、これも言わせたままで通してしまうのか、と思うここが多々あって、安倍さんが何も言わないものだから、小泉-竹中路線で決めたものが、次から次と将棋倒し状態になってしまった。
(小泉さんが退陣と同時に竹中さんも辞職した)
今の構造改革特区と称してやっていた森友、加計問題にしても、反対のない、波の立たないところに(お友達)は実行されるが、波風の立つようなところ に触手が進まないのは、当時の安倍さんと寸分違わい、成長のない安倍さんがそこにいるということだ。これでは、彼の言う「三本の矢?」(竹中さんが言う構造改革)はほど遠く、お題目だけ唱えているだけになってしまう。
幾らバズーカ黒田砲も打ち上げても、同時に強力な構造改革をしなければ、事は成就できない。
ボンボンの安倍さんには、諸肌を脱ぐ喧嘩はできないんだろうな。
できることといったら、「加計・特区」の手前味噌ぐらいだ。