最後の選択 [生活]
2020.7.19
こんばんは。
半沢直樹が始まった。大分昔にやったけど、多分5~6年前にやったのだろうか?
理不尽なこのご時世を現実にはあり得ないというか、そんなことができたらいいなという希望的な観測の元、それを自分に置き換えて見られる爽快感は、現職の方々にとっては恰好の物語と言える。今は本当におもしろい番組がないからね。「麒麟」もどこかに行っちゃったしね。やはり、コロナの影響は甚大です。
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今、どこかの教授だと思うけど、コロナは既に大多数の人間は罹患していて恐れずに足りずなんですよ、という訳のわからないことを言っている人がいたけど、本心からそんなことを思っているのだろうか。思わず、ここは何チャンネル?と見たら、それはフジテレビ「Mr.サンデー」であった。いろいろ説明をしていたが、頭の悪い私は全く分からず、じゃ、俺は明日からマスクもしないで大丈夫かもしれない、もう罹患しているから大丈夫かもしれないと思わせる内容だったと思うけど、そんなことを言ってしまったらミスリードにならないだろうか?ミヤネヤさんはその後、どう誘導していったのか見ていないけど、わからない同士、公共の電波に載せている以上、変な発言はやめたほうがいいんじゃないのと思わせる内容であった。
人間は今まで何度も二者択一か三者択一か四者択一か・・・・・選択・選別をして暮らしてきた。ここに来て、それは究極の選択になりつつある。それは「金か?命か?」の二者択一だ。政府は命、命と言いながらも「金」を、「Goto」をとったわけだ。
東京都はその問いかけをすることなく、他府県知事は言いたいことを言いつつ、結論は国に預けている。日本国の最高位の人が、今回はその決定をせず、命は自分の自己責任でお願いします。お金はこれだけお値引きしますから、どうぞ使ってやってくださいと言っている。
金と命、どっちがどれだけ大切か、それは冷静に考えればわかること。「死んで花実が咲くものか」と昔から言われているとおり、死んでは何も成し得ない。
命=Goto(大体2万円ぐらいの割引?)。自分の命が2万円か。安く見積もられたもんだと思ってしまうけど、それは言い過ぎだろうか?
家づくりは一回では成功しない(123) [我が家]
2020.7.19
こんにちは。
今日は午後から快晴となった。やっと晴れた感じ。でも、気温は低かったのでランニング日和だったけど逃してしまった。残念。
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一昨年の工事現場です。
今日は梁がメインです。
事前打合せで梁は出してほしいと言っていたんだけど、雑談だととられてしまったようで、すべて天井板の中に隠れてしまうことになっていて、現場にいた私が「えっ?中に入れる予定?」と大工さんに聞いたところ「そうです」とのこと。急ぎ設計士の方に言って訂正をしてもらった。これで打合せと違う箇所が3カ所となり、少々堪忍袋の尾が切れかかっていたのは事実。
上の写真と色は違って見えるが、これは同じ場所。
普通、化粧梁といって別のものを使うらしい。業者が「それでは、秋田から取り寄せて」云々と言い始めたもんだから、「いいです。この梁をそのまま出して使ってほしい」と言って、この梁となった。
取り寄せてとかいったら、また工事が遅れるしね。
たから決してきれいな梁ではない。節もあちらこちらにたくさんある。
でも、こうやって見ると、そんなにひどいものではないと素人目には写る。
手前はリビング。段差が見えるけど、その向こうはダイニング・キッチンとなっていく。
梁は2本【手前(写っていないけど)に1本、この写真に写っている梁がもう1本】出すことにしたんだけど、本当はダイニングのほうも出せばよかったと今は後悔。
もし出したとするとプラス3本(合計5本)出ることになって、結構がっつり木づくりバージョンでいい感じだったんだけど、ちょっと大工さんに遠慮してしまった。それに現場監督も「ちょっと、くどくなると思います」という言葉があって、ついついそれを受け入れてしまった。
リビングとダイニングの段差のできた天井をアップしたところ。
ちょっとボケてしまったが、段差はよくわかると思う。
それをもっとアップ。これもボケているね。
上の写真を右に振りました。
まだ、断熱材のままのところがあるけど、いずれここも覆われて、梁がすっきりと出る。
大工さんにとっては梁を出す、出さないは手間が結構違う。ついつい大工さんの気持ちも考えてしまうという悪い私の癖が出てしまった。棟梁は「梁出してもいいよ、大丈夫だよ」と言ってくれたんだけど・・・。私の悪いところだ。