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無策の(が)策(咲く) [新聞記事]

2020.6.24

こんばんは。

永久凍土---なんか怖い響き。それが溶融しているというニュースが流れた。永久凍土前提に建てた建物、その土台の土が溶けるから、その上に建てられている建物の土台は崩れやすくなり倒壊していく。人間の絶対だと言っていた根拠は自然界の中ではもろくもあっけなく崩れ去る。溶解による油の流失で海はまた汚染されたというニュース。南極の氷が溶ける話は耳蛸だけど、凍土が溶ける、わかっているような気になっていたが、やはりちょっと戦慄を覚える言葉だ。それ以上に怖いのが、未知なる病原菌の発生。マンモスとか、当時生きたまま凍土の中に埋められた動物たちの中にいる微生物、メタンガスなどなど、温暖化によって発生してくるであろういろいろな未知なる生物、人間の役に立つものもあると思うが、それと同等かそれ以上に敵対するものも現われるに違いない。異常気象の常態化は我々に更なる闘いを挑んでくるに違いない。

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話は変わって・・・。

外国からの人的移動制限を徐々に解除するという政府の方針。最初は4カ国という話。その根拠はどこなのか。世界は感染真っ盛り。成田の検疫官の総人数はたったの160人。それも20名の応援部隊を入れての話。4カ国という国の制限はわかるが、その人数の制限は今のところはない。

いやいや、そういう具体的な施策の話の前に、政府としてはやらなければならないことは山のようにあるはずだが、その準備は終わったのか?

・PCR検査体制。(鼻から、唾液からの統一基準)

1)陽性者受入・搬送態勢整備。

2)検査体制への人的整備と物的整備。

3)被検査人に対する抗原検査と抗体検査とPCR検査の組み合わせ方法の共通認識。

4)陽性確定者への対応方法などなど国がどのような方法を構築し、どのように動いているのかという方策は全く見えてこないし、その報道は全くない。

政府要人(内閣)のやっていることは再三申し上げて恐縮だが、「喉元過ぎれば・・・」なのだ。今回の第一波の経過は全くの偶然の産物であって、決して政府が積極的な政策から導き出された結果ではないことを、この国のトップの方はおわかりになっているのだろうか。

今日の彼を見ていると、官邸担当の記者の呼びかけに笑顔ではないが、コロナ隆盛時のあの死んだ目ではなかったことが、容易に今の彼の気持ちを現してしまっていて、愕然とした思いになった。彼の気持ちの中では、「一つの山は過ぎた、安堵した」という思いが、今日の彼の表情になって現われているのだと思った。つまり、彼の政治はそこまでの政治でしかないということだ。今まで行っていた施策(例えば、10万円の給付状態)が、今、どのあたりの進捗状況にあるかなど、もはや彼の頭の中にはないのかもしれない・・・・・・・と言っては失礼かな。

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挨拶は潤滑油 [生活]

2020.6.24

こんにちは。

今日は曇り。少々肌寒いがいい気候だ。太陽が出ると酷暑になる。やはりオゾンがすり減ってきていることは素人目にもわかる最近の自然現象。

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今日は挨拶の話。挨拶は古今東西、太古の昔から続いている。ネアンデルタール人もきっと挨拶は交わしていただろうし、フランシスコ・ザビエルだって、織田信長だって、坂本龍馬だってみんなみんな挨拶を交わしていたはず。もちろん、社会的な地位とか、富める者とかで挨拶の仕方は各々違っていただろうが、絶対挨拶はしていた。

私はあんまり細かい人間ではない・・・というと、家人は「あなたはそうではない、絶対ない」と即座に言われてしまうが・・・・・と思っているということで聞いていただきたいが、最近、隣近所で挨拶をまともに交わされたことがないことに「あれっ?」と思うことがままある。通りすがりの見ず知らずの方に挨拶をするわけでもあるまいし、お隣の住人に挨拶を交わしても、その返事がないとか、自分がここに立っているのがわかっているし、目には見えていたはずなのに、私の後ろを通っても一言も言わないで通り過ぎる人がいるのには、ただただびっくりするばかり。類推するに、私が嫌いなんだろうと結論づけるのは簡単でいいアイディアだし、別に気にもしていないのだが、その方の精神構造はどうなっているんだろうと思うばかり。これでは社会人としても、異星人扱いになっているのではないと心配してしまう。百歩譲って、人間は自分本位だから、自分の基準に合わなければ、それは許せないと思う人は神経質過ぎる、細か過ぎる、わがままだというご意見、御説はごもっともではあるものの、事挨拶に関しては神代の昔からという思いもあるし、ましては1mも離れていないお隣さんだし、挨拶・・・しかも挨拶だけ・・・「こんにちは」だけを言うこともままならない気持ちが全然理解できない。

しかし、世の中に出て、それをやっていると大体仕事がうまく回らなくなる。「どうして?」と原因が自分にあることもわからない方は、社会人になって大いに苦労する。会社などでは、すべての人が朝礼時のように整列していれば、一斉挨拶で終わるだろうが、各々が各々のテーブルで作業をしたり、自分が来社時にその席にいなかったりすることは当然にあるわけで、やっと顔を合わせたのが午前11時ということだってあるわけで、そのときに「やぁ!」とか、「おはようございます」とか、「こんにちは」と言葉かけはするのが常識だ。結構、私のように、「あいつから挨拶されなかったな」と根に持つタイプも多いから、これは最大に関心をもって行わなければならないことだ。結構、それができない社会人--特に新米社会人にできない人が多いことに驚かされるのは事実だ。今日初めてあった先輩、同僚には「おはようございます」、「よぅ!」、「おはよう」と声かけして挨拶するのは基本中の基本だろう。

挨拶は人間関係の潤滑油という一席。

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新聞のデジタル化 [生活]

2020.6.24

こんばんは。

今日はお決まりのルーティンになってしまった愚息家のヘルプの日。いつもながら行ったついでに孫のお相手、入浴、夕食の支度・片づけをして帰ってきた。家人は仕事だったが、仕事終了後合流し、いつもどおりの世話をし終え、先ほど帰ってきた。

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今日は新聞の話をしたい。

今の若者、うちの愚息家もそうだが、大体新聞の宅配をとらない。仕事ではペーパーレス化は遅々として進まないのに、新聞はペーパーレス化だと妙に力を入れて新聞を取らない。そして、ネットで情報をとっているとうそぶく。確かにスマフォでも情報はとれる。我等ロートルは大体スマフォでもデータをとるが、新聞でもデータをとる。従って好むと好まざるとのかかわらず両方のいい点と悪い点を感じつつ毎日を過ごすことになる。最近は新聞各社も電子版と称して有料となっているものが多い。日経は毎月10本は無料で読める。毎日は大見出しを無料として、核心部分からは有料としている。そんな有料・無料はどうでもいいのだが、果たして紙媒体を通して読むことと、スマフォを通して読むのとでは、一体どちらがどれだけ優れているかである。ご存じのように、スマフォなりPCで新聞を読む場合、ヤフーなどで上げられているニュースに目を向ける。それは新聞紙面でも同様に興味のあるものから読む。問題はその後だ。デジタルだと読んでいる新聞面の横、もしくは下のほかの記事がたくさん出てくる。今読んでいるものと同系統のものも当然あるが、それとはちょっと毛色の違う系統のものが書いてあることが多い。例えば、コロナ関連のニュースがあるその横では、「渡部不倫、佐々木希離婚せず」なんてニュースが同列に並ぶ。人は普段全く頭の中に入っていないことであっても、活字を見ると興味を持つことは自然現象。そうすると、そこをクリックしてしまうと、不倫騒動の前にコロナが遠くに離れてしまうことがままある。

つまり、自分主導で情報がとれなくなるということ。あくまで相手主導。ヤフーならヤフー、マイクロソフトならマイクロソフトが主導する形となってしまうことがあるということ。いや、おれはぶれることはない。そんな下世話な話は見ないから大丈夫と言っている御仁もいると思うが、下世話でない高尚なお話を検索している方であっても,同じレベルの高尚な別のお話に知らず知らずのうちにスライドしてしまうことがままあるということだ。ヤフーのほうが社会問題から芸能関連まで読めるからいいじゃないかという御仁もいると思うが、人間5紙も6紙も一日じゅう新聞を読める人間はそう多くはなく、時間は無限にあるわけはない。みんな限られた時間しかないわけで、その中での情報収集だ。濃密に短時間に正確に集めたいわけだ。新聞紙面なら、政治・経済を読んだ、次は文化・芸能で、それからスポーツになり、あとは社会面になり、自分の位置関係がはっきりとわかる。しかし、ネットの場合、自分は一体どこを読んでいるのだろうかと思うことがある。これで読み切ったのだろうか。新聞紙上でいうところの何面まで読んだんだろうかが全くわからないということだ。結果、情報収集の偏重となるわけで、そういう情報の偏重は果たして、その人間にとってベストマッチな判断材料を提供してくれることになるのかが非常に心配になってきた。

愚息には新聞はとれよと言ってみたものの、それを素直に聞く人間ではないととうにお見通しだ。きっとあと20年もすると、その本当の意味がわかるのかもしれない。

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