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新聞のデジタル化 [生活]

2020.6.24

こんばんは。

今日はお決まりのルーティンになってしまった愚息家のヘルプの日。いつもながら行ったついでに孫のお相手、入浴、夕食の支度・片づけをして帰ってきた。家人は仕事だったが、仕事終了後合流し、いつもどおりの世話をし終え、先ほど帰ってきた。

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今日は新聞の話をしたい。

今の若者、うちの愚息家もそうだが、大体新聞の宅配をとらない。仕事ではペーパーレス化は遅々として進まないのに、新聞はペーパーレス化だと妙に力を入れて新聞を取らない。そして、ネットで情報をとっているとうそぶく。確かにスマフォでも情報はとれる。我等ロートルは大体スマフォでもデータをとるが、新聞でもデータをとる。従って好むと好まざるとのかかわらず両方のいい点と悪い点を感じつつ毎日を過ごすことになる。最近は新聞各社も電子版と称して有料となっているものが多い。日経は毎月10本は無料で読める。毎日は大見出しを無料として、核心部分からは有料としている。そんな有料・無料はどうでもいいのだが、果たして紙媒体を通して読むことと、スマフォを通して読むのとでは、一体どちらがどれだけ優れているかである。ご存じのように、スマフォなりPCで新聞を読む場合、ヤフーなどで上げられているニュースに目を向ける。それは新聞紙面でも同様に興味のあるものから読む。問題はその後だ。デジタルだと読んでいる新聞面の横、もしくは下のほかの記事がたくさん出てくる。今読んでいるものと同系統のものも当然あるが、それとはちょっと毛色の違う系統のものが書いてあることが多い。例えば、コロナ関連のニュースがあるその横では、「渡部不倫、佐々木希離婚せず」なんてニュースが同列に並ぶ。人は普段全く頭の中に入っていないことであっても、活字を見ると興味を持つことは自然現象。そうすると、そこをクリックしてしまうと、不倫騒動の前にコロナが遠くに離れてしまうことがままある。

つまり、自分主導で情報がとれなくなるということ。あくまで相手主導。ヤフーならヤフー、マイクロソフトならマイクロソフトが主導する形となってしまうことがあるということ。いや、おれはぶれることはない。そんな下世話な話は見ないから大丈夫と言っている御仁もいると思うが、下世話でない高尚なお話を検索している方であっても,同じレベルの高尚な別のお話に知らず知らずのうちにスライドしてしまうことがままあるということだ。ヤフーのほうが社会問題から芸能関連まで読めるからいいじゃないかという御仁もいると思うが、人間5紙も6紙も一日じゅう新聞を読める人間はそう多くはなく、時間は無限にあるわけはない。みんな限られた時間しかないわけで、その中での情報収集だ。濃密に短時間に正確に集めたいわけだ。新聞紙面なら、政治・経済を読んだ、次は文化・芸能で、それからスポーツになり、あとは社会面になり、自分の位置関係がはっきりとわかる。しかし、ネットの場合、自分は一体どこを読んでいるのだろうかと思うことがある。これで読み切ったのだろうか。新聞紙上でいうところの何面まで読んだんだろうかが全くわからないということだ。結果、情報収集の偏重となるわけで、そういう情報の偏重は果たして、その人間にとってベストマッチな判断材料を提供してくれることになるのかが非常に心配になってきた。

愚息には新聞はとれよと言ってみたものの、それを素直に聞く人間ではないととうにお見通しだ。きっとあと20年もすると、その本当の意味がわかるのかもしれない。

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