今日は自分の意味を考えるいい機会 [新聞記事]
2020.3.11
こんばんは。午前中、写真をアップだけして時間切れ。
旧家に行って整理をしてきた。まだまだ終わらない。今週中には何とか終えたい。
----・----・----
日本人にとっては、今日はいい意味でも悪い意味で記念すべき日だ。
まだ2500人もの人の行方がわかっていない。9年経ってわかっていないということは、当然、既にお亡くなりになったわけで、その遺骨が見つからないということだ。自分の家族の骨が上がらない、死んだとわかっているのに、その遺骨が見つからない。その気持ちはどんなものなんだろう。わかるような、わからないような、正直なところを言うとそういう感じだ。でも、見つかるまでは本当の意味の供養はできないんだろうとは思う。骨が見つからなくても、せめて彼女の、息子(娘)の身につけていたものが見つからないかと必死で海岸をさまよい歩く、きっと意地になって、それを続けるんだろうと思う。他人様からあきらめろと言われれば言われるほど、意地になって探し続ける。それが彼女への息子(娘)へのせめてもの供養になる。その思っている方々が、まだ2500人もいる。
幸か不幸か、そんな境遇にない私は、生きてきた意味、生きるべき意味を少しでいいから真剣に考える時間が今日なのかもしれない。愚鈍な私は、ついつい日々の暮らしの中に埋もれ、やるべきこと、やらなければならないこと。青臭いあのとき、自分が世界を変えていくんだと思ったことを、いつの間にか、手の届かない棚の奥に隠してしまったことを思い出す。そんなことを思い出し、考えるのが、今日3月11日だ。
2012.3.11
私は愚息と閖上に行ったことがある。ある方を探しに出かけた。その街に入った途端、家はポツンポツンと点在し、カーテンも風になびいているのに物音が一つもしなかった記憶がある。自分たちは車に乗ってエンジンがかかって音はしているはずなのに、その街は静寂しかなかった。海原が見え始めたところから周りは何もなくなっていた。小高い丘に登って周りを見回したが何もなかった。仕方なしに町役場をカーナビで辿っていったが、そこには町役場はなく、区画された黒い土の平らな土地しかなかった。
残念ながら、その方は見つかっていない。
こんなときでも・・・ [我が家]
2020.3.11
こんにちは。
今日は晴れ。
ピーカンてす。
朝方、時間がなくて写真だけアップ。
これは家の裏側、雨水が溜まりやすいので、浸透升を2つ、それぞれをパイプでつなぎ対処しようというもの。
手前丸い白い印と黄色い高度計?の向こう側にもう一つ白い印がある。
そこに穴を掘る作戦。
それと同時に敷地を平らに整地。
3~5センチぐらい削っている。
土を掘った後、ここに升を入れる。
今はスコップ高の深さだけど、もう少し掘った。
上の写真をズームアウト。
左にスコップ。白いラインが右の升につながっている。
升はこれだけの長さ。
結構深い。
ここは先程の高度計?のあった隣の白丸の穴。