そう言えば、俺の十八番だった「冬の稲妻」 [生活]
2023.10.16
こんばんは。
思いもかけず、彼の訃報が目に入ってきた。
ほぼ一日中パソコンをにらめっこをしている自分にとって、ヤフーニュースを目にする機会が多い。彼と親しいわけではないので、彼の現況を知るよしもないが、まさに「思いもかけず」という思いだ。人は誰しもこの世の中から去っていかざるを得ないけれど、その覚悟は皆皆しているわけもなく、「この人まだ生きていたんだ」では全くない彼の死去は100%予想外だ。
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よくよく自分の記憶を紐解いてみると、彼らの曲は自分の十八番で歌っていたのを思い出す。曲のキーもいじることなく、自分の音程に合っていることもあり、なめらかに無理なく歌えた。もちろん、そこは素人だから、自分の満足の域を出るはずもないけれど・・・。
話す時の彼の声は、深みがあり、ラジオ越しに聞く歌声とはまた別物で、若き日の無駄に過ごす時間に入り込む資格を十分に持ち合わせているものであった。それにウィットが効いた話し方は格別であった。
自分の青春を彩った歌い手さんたちが段々と亡くなっていく。それは至極当然で避けられるはずもないのだけれど、やはり、心に穴を開けていく。力が入らなくなるという言い方が合っているかどうかは分からないが、段々とそれが身近な人々になればなるほど、その力の抜け方が大きくなっていくことは優に想像できる。
こんな書き方をするとお叱りを受けるかもしれないが、私の大好きなアーティストは彼の年は既に超えており、いつその時が来るんだろうと戦々恐々とした気持ちになる。私は彼の歌に共鳴できるものの、彼の人間性を知り得る機会がないので、彼の死に直面したとき、涙が出るのかは分からないけれど、きっと、今以上の驚きと静寂をもって、そのニュースを聞くに違いない。彼の歌は十二分に自分の琴線に触れる。彼にまだその兆候はなさそうなので、心配はしていないが、早晩、彼の訃報を聞くことになるに違いない。
「そういうあんたのほうが先に逝くんじゃないの」という声が聞こえてきそうだけど、今まで世の中のためになることは何にもしてこなかった私としては、無用の長物として、長く生きながられるに違いないと思っているわけで、そういう意味で言えば、もう少し世の中に貢献していればと残念な気持ちになってしまう。
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年を重ねるごとに、人の死に対し、思い抱く気持ちは段々と複雑で、生と死の狭間に立ったとき、どんな気持ちで後ろを振り返るんだろうかと思ってしまった。