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8月6日と現在を生きること [新聞記事]

2020.8.7

こんばんは。

8月6日は何の日だろう。一年で一回だけ、その思いを馳せる日。私にとって8月6日は不遜ながら他人事だ。それは、その経験もないし、現実味も感じることができないからだ。そして、その貴重な経験者の語り部も日増しに減っていっているという現実。365分の1しか、その日を思い出さないということに無知と無念を思う気持ちが湧いてくる。

今の世界はご存じのように多くの危険を内包しつつ発展している。現在も多くの国々でイサカイが起こり、人々は殺し合うことを正当化していく。幸いにして、日本はその災いの当事者ではない。しかし、当事者でないことをいいことに安穏な生活での政治姿勢やその価値観を深め続けていくことは危険をはらんでいる。昭和20年の終戦からたった75年だ。現在、75歳の方々は終戦の年に生まれた方々だし、85歳の方は10歳で終戦を迎え、95歳の方々は20歳で終戦を迎えた。93歳以上の方々は学徒出陣で戦争経験者も多くいる。

ところが、日本は戦争とは関係はなく、安全で安心な国と思っている若者のなんと多いこと。しかし、少しだけ日本の周りを見渡すと、そんな呑気なことを言っていられない現実がある。尖閣、南沙諸島、竹島、北方領土・・・・日本の周りでも多くの領土問題が山積みだ。中国は隙あらばと尖閣を狙っているし、韓国は既に竹島を違法占拠し続けており、日本は口先だけで抗議をするだけだ。陸続きでないから日本は安全だと思ってはとんでもないことになる。北方四島返還はもはや絵に描いた餅となりつつある。領土問題は流動的で、隙あらば尖閣だけではなく、もう少しもらっちゃおうなんて考えている図々しい国が周りに存在する。教科書にそのことを書こうものなら、相手国から散々の非難を食らう。それにも臆するようなところがある日本政府に若干の疑問を感じるのは私だけではあるまい。

こんなことをツラツラ書くと、「こいつは右翼か?」とか「国粋主義者」だとかと直ぐに言う方々がいるが、我々は朝鮮人でも韓国人でも中国人でもなく、立派な日本人だ。日本あってナンボの世界だと思う。だから、日本は日本人の手で守らなければいけない。その方法は左のホッペを殴られたら右のホッペを出せばいいのかもしれないし、左のホッペを殴られたら、右の拳で殴り返せばいいのかもしれない。ただ、何もせず漫然と安全と安心を唱えているだけでは日本は日本ではなくなってしまうのではないかと、広島の原爆の日にふと考えてしまったことだ。

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