政治はボランティアという考え方の是非 [新聞記事]
政治はボランティアで進めるべきだという考え方。
これはヨーロッパでは当たり前の考え方。日本は国民のために働く国会議員のことを「先生」と呼び、彼らもまたそれに応じて、そっくり返る。高い給金を払って、どれだけ働いているのか----そういうとみんな一生懸命働いているという。
果たしてそうだろうか。
自分の会社を考えてみてほしい。幾ら能弁に語っても結果が伴わなければ、どうなるか。評価は「D」以下だ。
絶対的に数値が求められる。求められ過ぎて困った結果になったのは三菱だけれども、我々一般企業に働いている者、大企業であれ、中小企業 であれ、計画に対して幾ら達成したのかが求められる。情状酌量の余地はない。
彼ら先生族はどうか。結果は何も求められいない-------公約というものがあるが、もしそれが達成されたとしても、果たして誰の力によるものだったのか。我々には全くわからないが、彼らは厚顔面で「自分が・・・自分が・・・」とおっしゃる。全く謙虚さがない。
政治家がサラリーマン化してしまった。選挙でうかると、「これで生活は安泰」と考えるとんでない輩がいる。
まだ皆さんの記憶にも新しいと思うが、兵庫県の若造が泣きながらの記者会見、政務調査費の私的使用だ。
舛添君もそれと何ら変わりはない。
日本の中心、世界の東京か。全く日本の恥さらしだ。
だから政治活動はボランティアにし、ぶれることなく、本当の民主主義を実践させる必要があるんじゃないのか。
やはり、このままでは終われないよね。
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