10年ぶりか・・・・ [生活]
2021.10.17
こんにちは。
千葉の今日は一日雨模様。午後は曇りになるかなと思っていたけどダメそうだ。
宿根草を移動していたので、雨降りは宿根草には幸いしそう。
ちなみに、宿根草、幹というか、茎というか、その部分が木質になっていないものは挿し木が可能なんだろうか。今のところ、草質の幹のものはすべて挿し木成功状態。木質のものはバラと同じで、そう簡単には挿し木は成功しないだろうと思えるけど、どうなんだろう。
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昨日のニュース。福島の大熊町で10年ぶりの成人式が行われたとあった。
やっとのこと避難地域が解除されて当時小学4年生が集まった。もっと正確に言えば、10年半ぶりの再開、そして避難地域解除はまだほんの一部だ。
彼ら、彼女らはどんな気持ちで成人式に臨んだんだろう。大熊町とは縁もゆかりもない多くの国民は「ふ~~ん」ぐらいに頭の中を通り過ぎていった記事に違いない。多くの人にとっては過ぎ去った過去であり、他人事の一つに過ぎない。しかし、「東日本大震災」というフレーズは、日本人であれば、簡単に心を一つにできる唯一、被災された人に想いを寄せられる出来事だ。
コロナ禍で人との交わりが遮断され、ますます人との交わり、他人に想いを馳せることが希薄になりつつあることを思うと、東北の小さなニュースでも十分に価値があるような気がした。「思いを馳せる」、どちらかと言えば、日本人はこの手のことが得意な民族だ。
昨日、家人がこんなことを言った。
家人「前を歩いている人がスイカを落としたの」
私「それでどうしたの?」
家人「黙って通り過ぎちゃった」
私「本人は気づいていたの?」
家人「そう、気づいていたから、いいかなと思って。でも、以前だったら拾って上げたわ」
私「でも、相手より自分のほうが遠かったんでしょ、そのスイカ」
家人「違うわ。自分のほうが近かったんだけど、ウイルスとか、感染とか・・・ね」
私「そうか。俺だったら、どうするんだろう。気づかなかったら拾って上げるけど、そうか、気がついていれば、やっぱり、そのままかもね。」
他人に想いを馳せるなんてこと、私たちは確実に少なくなっている。
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