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民主主義の限界を体現? [新聞記事]

2020.2.15

こんばんは。

別に若い者に意見を言うつもりはサラサラない。今の極鈍たる政治体制・姿勢の責任の筆頭は政治家ご本人であることはもちろんだし、現役の有権者であることも確かだ----と今までは「現役の有権者」と書いていたが、やはりよくよく考えるとそうではないような気がしてきた。やはり、真の責任者は、その時の議員諸公・諸氏だ。

Aという人間が立候補をする。その選挙運動は1週間ぐらい。そして、彼との会話・差し向かいで話す有権者はほとんどない。そりゃ、そのときの選挙事務所の運動員、彼の知り合い、知人、友人の類は話していようが・・・。選挙期間中、何名かの立候補者が立候補した動機、政治姿勢を街宣車のような車で走りながら主張をする。それがすべて実現可能かのごとくに話し、まくし立てる。有権者は自分の意見を少しも入れることはできずに選挙運動期間は過ぎていく。そして、有権者はその立候補者の善し悪しもよくわからないまま投票行為をする。有権者は、その投票が自分の主張とは相いれないものであっても、仕方なく誰かを選ぶ。そこにはもちろん棄権という行為も可能であるが、その行為は選挙においては、最も愚劣な行為として吹聴される。結果、投票率は決して高くはない率で集計される。そのような不確かな投票行為であっても、国民の皆さんの信託を受けたと、時の政権は木で鼻をくくるようのたまう。本当はあっちよりこっち、こっちよりそっちで選んだ内容であっても、それは神聖な清き一票として集計される。

そんな不安定な、不確実な投票によって我々の代表が選ばれるものだから、登院しなくても満額給与が支払われたり、政治活動費として使われるべき手当てに対し、平気で週刊誌を買ったり、家族旅行の交通費に変身させてしまうあきれるばかりの人々がいることも確かな事実として何度となく繰り返される。

民主主義は多数の世界だ。確かに物事を決めるときに多数決で決めるのはほとんど私たちの常識だ。しかし、果たしてそれだけで本当の真の民主主義が確立されるのだろうかと不安に思ってしまうことが最近多々ある。それはアメリカであり、日本である。

トランプが弾劾される。それはいいことだ。それをみんなで審議して、事の真実に白黒をつけ、トランプを弾劾裁判にかけることは民主主義として当たり前のことだ。しかし、そこに、投票をする側に公平さがあれば何も問題はなく、いいものはいい。悪いものは悪いと正しい判断が下されるはず。しかし、投票する側に公平さが保てなければ、良い大統領は交代しろと言われてしまうだろうし、悪い大統領はいつまでも、その座に座り続けることになる。それは民主主義にとっては目には見えない重いボディーブローとなって襲いかかる。

アメリカ大統領トランプの日本版が、残念ながら安倍晋三氏ということになる。悪いことであっても、彼の支持基盤が不公平さに目をつぶってしまうと、それは成立してしまうという愚鈍な政治社会に成り下がる。「朕は国家なり」、どこかの偽(ニセ)為政者が言っていたが、日本でも同じようなことが行われてしまったことに生き馬の目を抜かれる思いがした。

彼は民主主義の限界を彼自身で体現してくれたことは唯一彼のすばらしい実績かもしれない・・・・・・・・と厭味の一つでも言っておこう。

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