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君の膵臓を食べたい [生活]

2019.11.20

こんばんは。

さっきホームセンターに行ってきた。引き違いドアの隙間風がだんだんと気になる季節。去年は少しずつ手直しをした。新築だから誰にも気がつかれないように空っぽの頭を駆使して、3方向をできるだけ詰めた。が、やはり少し気になってきたので毛ぶらし付きの隙間テープを購入。前回、1方向に付けたたらかなり隙間風を防ぐことができたので、今回も思っているのだが、より細い隙間を詰めなければならないので、かなり慎重を要することとなった。今は百均にもいいものが置いてあるので非常に助かる。残り2方向のうち、1方向はこれで何とかなるかもしれない。


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ということで午前中は腰の痛みもあり、WOWOWを見ることにした。私は洋画と邦画、どちらが好きかと問われれば洋画が好きだ。邦画はよほど興味をもった映画か名作と言われるものなら文句なく見ることにしているが、大方、邦画を進んで見ることはない。したがって、今日も洋画を見ることにした。しかし、今日の洋画は凡長でよくなかった。それがすべてかどうか、全編を見たわけではないので、そうだとは言えないが、かなりの部分冗長であった。がっかりして、チャンネルを代え、スイッチを切ろうと席を立ったとき「君の膵臓を食べたい」というタイトルが目に飛び込んできた。邦画ではなくアニメだ。何となく何となく私にもそのタイトル名は入っていた。誰がとか、どんな映画だとかは全然わからない。変なタイトルだ、どうせまたとんでもない邦画駄作だろうと思うだけであったが、たまには漫画もいいかとも思い、そのまま席に戻り画面を見た。

若い方には、その解説は不必要であろうから、ここでは割愛させてもらうが、泣けた。久々に泣けた。幸いにして家人は友人にランチを誘われていなかったので、涙は気兼ねすることなく頬を伝わって流れた。

人はその命がいつ途切れるかがわからないからお気軽でいられる。そのお気軽さが幸か不幸かはわからないけど、惰性に時間を費やしていける人生も、それはそれで幸せな人生だと言えるかもしれない。その映画の中で、彼女が「真実と日常」とたしか言っていたと思うけど、その意味がすっと飲み込めない。彼のそれを知りたいと言っていたような気がするけど、「真実と日常」という言葉だけを考えると日常の中にある真実なのか、真実と日常とは別個のものだと捉えているのか。

まあ、どうでもいいかもしれないけど、私の言葉の中に、その2つは同列には入らないから記憶になかなか残らない。だからついついノートに書き残してしまった。


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別の解釈をしてみた。自分の時間が残り幾つかとわかった真実に対し、自分の日常はどうなっていくのか。どのように変わっていくのか。どのように過ごしていくのか、いけるのか。有意義に過ごせるのだろうか、もがき苦しみ惰性に生き果てるのか、崇高な想いを抱き、より昇華していけるのか(まぁ、聖人君子ではないから、それは無理として・・・)果たして、真実をどのように受け止め日常を生きていくのか。

通り魔に遭って亡くなってしまうのはちょっと悲し過ぎるけど、年甲斐もなく、彼女の最期を見てみたい気がしてしまった。

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