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カルロスゴーンと日本人気質 [新聞記事]

2018.12.21


こんばんは。


これも書いておかなければいけないことだ。最近、新聞で賑わしていることで皆さんも十分に承知のあの日産問題。


トップは辣腕。瀕死の会社をV字回復させた。何の縛りも、縁もゆかりもない人間だからこそできたこと・・・・・と日産内部では思っていて、今でもそう思っていると思う。

バブル崩壊とともに、多くの管理職が苦渋の決断を強制された。嫌な役目を上司から言われ、それの達成度を測られた方も多くいるはず。自分のことは棚に上げ、何で他人を貶めるのか、貶めなければならないのか。100%完璧な人間などはいない。しかし、当時は人を切らないと自分が切られる。そんな切羽詰まった環境であったことも事実。


そこでゴーンさんの登場となる。工場に行き、偶然自分の隣にいた人間の家族構成など知るよしもなく、彼はその人を切った。家族構成を知ったとしても、彼は切った・・・・であろう。当時の日本は、日産は、そういう状況下にあった。

あるTV番組で一人のコメンテーターがこう言っていた。

「占領下のGHQだね」---そんな態勢に日本人は頗る弱い。これは誰もが認めるところ。これは日本人ばかりではないかもしれないが、自分が弱い立場に置かれて、力も萎えているとき、強い力はより強力に思え、また頼りになると思いがちだ。

今回の場合は、カルロス・ゴーンという強力なリーダーの登場で皆皆傾倒しきっていたに違いない。

「えっ、そんな決断をもうやるのか」「そんなにスッパリ切ってしまうのか」「まだ、タイミングを見てないし・・・・」「根回しをしてからじゃないと・・・・」「稟議書は回っていないけど・・・・」「上司の許可が下りていないが・・・・」「最終決定には2週間は必要だから・・・」「出る釘は誰が・・・・」

社内ではみんな迷い、停滞気味だったものを彼はいとも簡単に決定、実行していったに違いない。皆皆目からうろこ状態だったろう。

こういう瞬発力のある行動力と強引さに日本人は弱い。それがすべてうまく回転していけば尚更であろう。


一度鎌首を抑えられると、誰しも二度上げる勇気はなかなか持てない。特に日本人はそういうところがある。最近はグローバルな人間も増えてきたので、オールオッケイ的西欧崇拝とまではいかないにしても、あの雄弁で実行力を見せつけられた人間に対しては、提言、反論、苦言を言う人はいなかったに違いない。西川さんだって、イエスマンになっていたに違いない。


問題はここからだ。それ以降、ペーパーカンパニー、投資会社、不動産投資会社・・・・・会社と名のつくものを幾つも設立。それに使った額も少額とは言えない。そんな額が会社内で右から左に動いているにもかかわらず、それが理事、取締役会で問題視しない状態を醸成したことが不思議な点だ。ここが日本人の日本人たる所以なのではないか。

「日産を救った恩人だから・・・」

「日産を救ったのだから、まさか?」

「日産のためにやっていることに違いない」

「そんなことをするわけはないぜ、ゴーンは」


きっと理事の一人として、直接ゴーンにご意見を申し上げたり、その点に関して問いただした者はいなかったのではないか。「大人し過ぎる日本人」「イエスマンの日本人」、もっと悪い言葉で言ってしまえば、日産社員を完全に馬鹿にし、甘く見られていた日産。「あいつらは何を言ってもオッケイだと言ってくるから、きっとこれも通るに違いない」「大丈夫だ。俺の言うことはみんなイエスと笑って言ってくる」

今後、世界はよりグローバル化していくのだろう。日本は島国であり、グローバル化をするといっても、陸続きの国と比べるとやはりイッテンポ遅れる鎖国状態であることには変わりはない。

多くの外国人が日本を訪れ、多くの労働者が研修名目で日本の労働力になる現在、より多くの問題が発生する可能性はそこかしこにある。

今回の件は、決して他人事ではなく、私たちの会社、町内、地域で発生し得ることであり、自分のアイデンティティをしっかりとブレないよう持たなければいけない。

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