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プラグカーボンを削っていたのを思い出した。 [生活]

2017.6.5


仕事をしていたら睡魔に襲われたので、ブログを書くことにした。ブログを書くと大体目が覚める。

そしてまた、仕事にとりかかる。快晴だから、外は結構暑いのだろうか。しかし、家の中は涼しい。窓を開けていると風は少し涼し過ぎる。気持ちのいい梅雨前の風だ。


1970年代だったころ、ちょっとした故障は自分で直す時代だ。セルは回るがエンジンがかからない。セルが回らない。エンジンがかかってもすぐ切れる。そんなときは全部自分で直すのが当たり前だった時代だ。今はコンピューターで、どこが悪いかすぐにわかる時代だし、エンジンルームを開けても指一本触れられないような構造だ。いいような、悪いような、だから車にも異常なほど愛着が湧いてしまって、廃車することがなかなかできないこともままあった。今日はそんなときのお話だ。


18歳のとき、初めて車を買った。もちろん中古の軽。出資者は親。


東京から40キロ圏内の家に深夜通っていたときのこと。

今のような質のよい中古車ではない。「壊れても仕方ない、中古だもん」的な水準の中古車で、いつ壊れるかわからない代物であった。


雨が降っていた。中古車屋さんがたくさん並んでいる国道沿いの道路で、それは起こった。プツン、プツン、プツン・・ピカッと光ったと思ったら車は止まった。


エンストだ。でも、経験のない光が目の前を走ったような、多分、電気系統なんだろうと素人の私も何となく考えた。ボンネットを開け、ヒューズを確かめ、ディストルビューター(この辺の名前は定かではないけど)を開け、マイナスドライバーで削り、プラグ--たしか6本付いていたと思う---を開け、これもワイヤーブラシでカーボンを掃除、プラグに火花が出るのを確かめたりした。自分のわかる範囲でチェックして、すべてもとに戻し、エンジンをかける---------クックックックッ------クックックックックッ--------


何ともかんとも返事がない。あまりスターターを回しすぎるとバッテリーが上がるので、あまり長くは回せない。雨も結構降ってきた。時間はあと少しで次の日になろうとしていた。通る車もまばらだ。


暗く長い静寂が続く、車の天井に雨音がぶつかる。そんなに大きな雨粒ではないけれど、当時の軽車両は、それなりの品質であるから、少量の雨でも結構な音がした。


困った。ここで一夜を明かすのはちょっとな・・・・。まだ家までは30キロ以上もあるし、どうしよう。



気がつくと一人の男の人が立っていた。

「どうしたの? 動かないの?」

「ええ、エンストしてしまいました」


その男の人はクルリと踵を返し、明かりの見える家に入っていった。

そこは中古車屋であった。今でもそうだが、当時はセコムも何もなかったので、中古車屋さんは夜もほとんど電気はつけっぱなしにしていた。泥棒避けだ。


その男の人は慣れた手つきでプラグをいじり始めた。


やはり、プラグだよね。だけどさっき見たし、だめだと思うよと、自分は心の中でつぶやいていた。


彼は電極をプラグに付け、火花の発生する様子を何回も見ていた。

「ほら、見てみ。プラグの火花がほかから出ているだろう?」

「ホントだ」

暗いことが幸いし、プラグの火花がよーく見えた。しかも、その火花はプラグの途中からも出ていた。

「えっ、どうしてですか」

「このプラグ、割れてひびが入っているんだ。だから、横から火花が出てしまって、エンジン内での点火量が少なくなって点火しなくなったんだ」


な~るほど、それはわからなかった。でも、そういえば、プラグの白い部分、ひびが入っていたけど、まだ使えると思って使い回しをしたいたんだっけ。


「このプラグはないな。うちは普通車が多いからね。軽の部品は残念ながら置いていないな。こっちにおいでよ、うちの事務所。こんなに雨に当たったんじゃ風邪引いちゃうぜ」


そこの事務所に入った。服はびしょびしょ手は真っ黒。明るい店内に目が慣れるまでしばらく時間がかかった。そこの事務所は20畳ほどだろうか。勧められるまま椅子に腰を下ろした。店の中はほかに女性の事務員さんがいた。お茶をご馳走になった。


これから、どうしよう。当時は携帯もないし、家族で車を運転できる者もいない。深夜であり、知人を当てにするという選択肢をほとんど持たない私は、ただただ呆然とするばかりであった。


その男の人は何か相談をしているようだった

「家はどこなの」

「〇×です。まだ30キロぐらい先だと思います」


「じゃ、頼むよ」

「はい」

と男の人と女性の二人の会話。


その女性従業員と思しき方が送ってくれることとなった。


あっ、車はどうしよう???


男の人は、それをすばやく察して

「車は置いていきなさいぞ。直しておくから、後日取りに来ればいい。早く行きなさい」


もう深夜だ。この近辺では、私たち3人しか起きていないような、そんな静寂の中、そこの車で我が家まで送っていただくことになった。


後日の昼間、手土産を持ち、その店の近くまで電車と市バスを乗り継いで車を取りにいった

その男の人は、そこの中古車屋さんの社長さんだった。

「お金んか要らないよ でも、直ってよかった 気をつけね」


今、考えてもヒヤヒヤもんだったけど、若気のいたりというか、向こう見ずというか、今の今までそんなことはほとんど思い出すこともなく人生を過ごしてきた。そういう自分はかなり図々しい人間なのかもしれない。


人間一人で生きてきたと思っていても、そうではない。見ず知らずの名前も顔も忘れてしまって、今生きていたとしてら、多分8~90歳ぐらいだろうか。その方たちの助けがなかったら、大げさに言えば、今の自分にはたどり着けない?ことになったかもしれないというお話。


でも、あの事務員さんは、あの後、どこに行ったんだろうか。家は同じ方向だったんだろうか。大変なご苦労を掛けてしまった。

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