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いじめの定義を本気で考えている [新聞記事]

2017.6.3


いじめはまだまだ続いている。これは未来永劫なくならないのだろう。世の中が悪い、政治が悪いと他人のせいにするのは簡単で短絡過ぎる。昔はよかったとは決して言わないけれど、いじめの体質が変わっているのは確かだ。


「みんなで無視をしようぜ」みたいないじめはなかった。いじめは「なぐる」、「張り倒す」、「投げ倒す」、「泣かす」、「足を引っかける」的ないじめが主流だったし、バットでなぐって血も流した。


いじめられっ子はいつも「いじめられっ子」であり、「いじめっ子」はいつも誰かをいじめていた。「いじめっ子」が「いじめられっ子」になることは絶対なかった。


前日、いじめに関する会議にかかわった。そこでは本気で「いじめ」の定義を考えていた。初めは全く意味がわからなかった。何をやっているんだ、このジジイたちと思っていたが、よくよく内容を聞いているうちに、少しだけ、ほんの少しだけ理解できたこともあった。


例えば、ほんの小さなこと、たった一回の注意をしただけで、その子は体質的に、それを針小棒大にとらえてしまう。うつ病なのか、厭世観なのか、その子が持っている特異的な体質感情の異常な乱れ、これもままあり、これは「いじめ」ではないという判断基準。


たしかに、教室の掃除をさぼっていた子に対して、やるように注意しただけで自殺してしまったとしたら、それは「いじめ」かという問題提起。よくよく調べていったら、その前の日には、宿題を忘れてしまって、ちょっとからかわれたこと、その前には運動会の組対抗競走でビリになってしまって少し落ち込んでいた。そんなことが重なっていたとしたら、それはいじめなのかという問題提起


しかし、体制側の反応は遅すぎる。それを隠れ蓑にして判断を遅らせているような、そんな馬鹿なことをやっていると、どんどん優秀な子どもホントにいじめられている子どもが死んでいってしまうよ、この少子化の中、どれだけ国の財産を失っていることか。


先日の中学生の女子、ピアノの演奏もうまい一人っ子、100%いじめであったけど、それを学校側が認めたところで彼女が生きて戻ってこれるわけない。そんな中学はさっさとやめさせて、転校、留学させたりすればよかったのに。他人事ながら強く思い、残念でならない。



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