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いじめに遭っていた父の話(4) [父の話]

生前、決して、この件で多くはしゃべらなかったけれども

学校帰り「馬糞を食え」と言われたことがあると一言ポツリと言ったことがあったので、普通に考えれば、きっと何回もいじめられていたのだろう

貰い子でチビときては、いじめには好材料であったと思う。馬糞も実際に食べた。 

しかし、彼は決してめげなかった。じっと我慢をし不登校にならなかったのは、自分を養い、守ってくれたおババ様がいたからにほかならない。

しかし、そんな彼は一体、いつ、どうやって知識を詰め込んでいったのであろうか

私が成人し、大学生のころ、よく漢字の読み書き間違いを指摘されたことがあった。それは人名であったり、普通に読み書きに出てくるような漢字なのだが、少し難しい専門的な言葉であっても、彼は正確に教えてくれたものであった。

あるとき、坂本龍馬と何気なく書いた字を、「その龍の字は、横棒が一本少ないぞ」と指摘された。

文字も達筆、書類のまとめる能力ソロバンももちろんのこと、マージャン、ゴルフ、謡、酒、何でもオッケイな男であった。

あるとき、その多種芸が、私にとって大きな災いとなったときがあった。

私が小学生のときである。夏休みの宿題がタップリと残り、家族総出で手伝ってもらっていたときがあった。最後の砦、図画、工作が残っていた。そこで父が画用紙を用意し始めた。私には、夏休みの思い出を書くなんていう芸当はできるわけはなく、ぼんやりと足を投げ出して見ていた。

彼は水彩絵の具を持ち、サッサッサッと青い空と大きな牛と緑の草を書き上げた。タップリと太った父の腹とよく似た、大腹の牛の絵であった。---でも、上手すぎる。でも、明日は学校だ。

翌日、私は恥ずかしさの余り、そっと教壇の指定の場所にその絵を置いた

後日、全員の「夏休みの思い出」が教室に張り出された。

明々白々、その絵は誰よりもうまかった。遠目で見るとすぐにでも立ち上がりそうで奇異なくらいに輝いていた。誰も私をほめなかったし、声もかけなかった。気味が悪いくらい静かな時が流れていった

運の悪いことは続くものだ。

それらの絵は全校生徒分をまとめて、地域の小学校全体のコンクールに出品するという話を聞いた。そして優秀賞とか、努力賞とかを決めるらしかった。もうそれ以上は、私の耳は受け付けなかった。聞こえないのか、聞こえないようにしているのか--きっと聞きたくなかったんだろう

最悪の事態を想定したが、最悪の事態になってしまった。

私の絵--いや父の絵には、金色のシールが張られていたのである。

最悪だ。


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