家づくりは一回では成功しない(151) [我が家]
2020.12.16
こんばんは。
今日も感染はしていない。よかった!
こんな会話が日常になろうとしているから怖い。
天気は快晴。しかし、寒い。ついつい外に行くのには覚悟が必要となってきた。
家づくりは一つ一つの積み重ねで最終形となる。それがレディーメイドの建売であろうとオーダーメイドの新築であろうと最終的にはそんなに差はなくなる。問題は、その家に住まう人たちの心根次第ということだ。
どんな職場であっても、師走を迎え、仕事納めの日が近くなるわけだけど、最終日は大体 大掃除をする。しかし、それは自分自身の清掃意識、美意識の大小によって大いに違ってくることは間違いない。いやいや職場は「我が社」であっても自分の私物ではないが、家は自分のものだから話は違う・・・・と思っている方も多くいるに違いない。しかし、それはちょっと違う。「心根」という厄介な事を私は言っている。自分のものであろうと人のものであろうと、きれいに気持ちよく住みたい、過ごしたい気持ちが生きていく上では大切なところだ。
別に自慢話をするつもりはないが、私たちが借家住まいだったころ、他人の家ではあるけれど、いつもきれいにしつこく掃除をしていた。特にその家を去るに当たっては、トコトンピカピカにして、クリーニング業者が入る必要がないくらい(と自分では思っているけど)きれいにして退去することにしていた。当然ながら、それが自分の家であるならば尚更だ。隅々まできれいにして過ごさないはずはない。
それを繰り返すことで何かいいことがあるかというと何もない。何も損得はないけれど、別な意味でいいことがある。家にも愛着が湧いてくるし、いろいろな工夫が生まれてくる。それがまた、自分の職場なり、周りの環境に頗る影響してくる。まかり間違ってもゴミ屋敷というフレーズは私たちの辞書には存在しない。
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そんな家への愛着が今回この家に湧いてくるのかと思うほどトラブルは多い。
それはおいおい書いていくとして、一昨年の現場です。
寝室の扉が入った。
この格子模様が気に入ったので付けてもらうことにした。展示場にあったものと同じものが欲しかったのだが、それは廃盤ということで、それとは少しだけ色身が薄いものになった。見てくれで言うと少し軽い。もう少し重みのあるイメージだったが、ちょっと残念。
それのアップ。暗く撮れたのでよく見えるが、上の写真のように、これより薄く、明るい色だ。
縦スリットの横は開いているので、格子のドアは飾りでしかない。扉本来の意味はない。
その格子から仕事場の机横にある物入れを撮った。
物入れの折り戸を開けるとこんな感じになる。
格子ドアを反対側から見た。
吊り戸だから軽い。
クローザー付き。
上の写真を左に振ったところ。
ドアの向こうは廊下。左側に玄関がある。
それを左に振ると物入れが見え、机が見える。
上の写真を反対側(ドア)から見たところ。
右奥、低いテーブルは仕事机。
家をつくるとき、誰もが夢を描き、希望に胸を膨らませる。
しかし、自分自身がノコギリを持ち、図面を書き、柱を立てるわけではない。自分のイメージを人(設計者)に正確に伝え切れるかどうかが最大の仕事となる。しかし、それは非常に難しいところだ。こちらの言っていることをそのまま飲み込み、咀嚼し、それをうまく施主に表現して返すことが設計士の努めなのだが、それをうまく表現できる設計士があるか否かはスタートしてしばらくしてからでないと分からないことが非常に事を難しくする場合があることに、施主はそのとき気がつかないことが多い。
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