中村屋と平八--おでん屋の話 [生活]
2016.11.30
「中村屋」と「平八」おでんの話。
昔々、小学生のころ、一応、塾に行かせてもらっていたときのお話。
冬が近づいてくると行きも帰りも暗く、寒く、そしてお腹も妙に減ってくる。そんなとき、いつもおいしそうな屋台が幾つかあった。
当時、私は江東区の下町界隈にいたので、今では考えられないが、屋台が多く見受けられた。ラーメン、焼きとり、おでん、せんべい、紙芝居等々。夏には金魚売り屋も来たりして。
塾の行き帰り、おでんの屋台がいつもと同じ家の近くにとまっていた。1つは「平八」おでん、「明星チャルメラ」の袋にあるおじさんと全く同じ顔をしていて、妙に親しみやすく、じゃがいも1つ5円、こんにゃく1つ5円、ゴボウ巻き1つ10円と非常に安いので、よく利用させてもらった。屋台も年季が入っていて、屋台のテーブルの木肌は雨風にさらされ、それなりに黒く、お世辞にもきれいな屋台とは言えない代物だった。
しかし、小学生だった私にとっては、屋台の古さは余り関係なく、ただただおでんが安く、温かく、お小遣い範囲で気軽に利用できることがうれしかった。
一方、「中村屋」のおでんは高く、じゃがいも1つ50円、こんにゃく1つ30円、ゴボウ巻きに至っては80円もしたので、一日50円しかもらえない身分では、遠目で眺めているだけ。「中村屋」のご主人は怖い顔で、屋台の縁に手をかけようものなら「買わないなら触るな」と屋台にも近づけない、そんな「中村屋」だった。
「中村屋」は大人相手の商売。「平八」は子ども相手の商売。自然とそんな分かれ方をしていた。
当時、家でおでん買う場合、鍋を持参したものだ。
「中村屋」はきれいな鍋、「平八」は使い込んだ、角が少しへこんだような鍋が持ち込まれた。
つまり、「中村屋」はお金持ち相手のおでん屋、「平八」は貧乏人相手のおでん屋、そんなふうに無意識に分かれていたのを思い出す。
あの二人のご主人は、とうに亡くなったろうが、どんな人生を歩んだんだろうかとふと思ってしまった。
大きなお世話だが、国民年金には入っていたのだろうか。
今宵もおでんが恋しい寒い夜だ。
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