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母の話(3)-生い立ち [母のこと]

2016.8.14

母の生い立ちは結構特異かもしれない。

そのせいかどうかは知らないけれど、母の性格も結構特異であり、今覚えば、父もよく耐えたんだなと思ってしまう。

母の実家は造り酒屋をしていた。大きな蔵を持ち、従業員(きっと住み込みもいっぱいいたんだろう)も大勢雇っていたらしい。従業員の詳細は不明だが、母の兄弟は3人いたのだが、それぞれに侍女が付いていたというから、それなりに大きな規模だったと思われる。

何不自由なくの生活をしていたのだが、我が母親は頭が多少弱かった。弱かったというのは、あくまでも学校の成績だが、彼女の2つ下の次女が学校の先生、末っ子の長男が国立大を出るほどの頭の良さだったものだから、正しく比較対象にされてきたことは想像に固くない。

そんな彼女でも、今と違いお見合い結婚が常態とされていたこともあり、無事結婚し、私が生まれた。

二人が結ばれなければ、自分はこの世に存在しないわけで、そういう意味では、二人を結びつけてくれた人々には感謝しなければいけないとつくづく思う。

結婚当初、地方にいたのだが、仕事の関係で世田谷に引っ越してきた。今では考えられないが、時の上司の家に間借りをして生活をしていたとのこと。そして、戦争の真っ只中、上司一家は地方に疎開、「君、ここの家買わないか」と、今にして思えば、びっくりしてしまうような話。

当時は、明日にでも米軍が攻撃してくる、まっ黒こげになる、東京都内に焼夷弾が落ちてくると流言蜚語が絶えないときに、その土地を買うなんてことはあり得ないことであろうから、買うほうがおかしいかもしれない。

しかし、今から考えればオシイナ。 

そこは何と田園調布・奥沢界隈で日本の一等地。歌舞伎門がある立派な家だったそうで、私としては、ある意味残念至極。田園調布に住んでみたかった。 


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