尖閣問題-個人とナショナリズム [生活]
2016.8.18
異国間での個人的な友好は大切にしなければいけない。しかし、そこの国99%の人と友好的であったとしても、残り1%の国のトップがわが国と友好的でなければ、国家間の友好的な状況は生み出せない。
国家間の憎悪は、友好をぶち壊しにしてしまう。過去の戦争の傷跡を今も引きずっている中国・朝鮮の感覚は私たち仏教徒にはなかなか理解できない。
百歩譲って理解したとしても、「それだから、どうなるの? 過去を引きずっても仕方がない。前を向こうよ。これから頑張れば、仲良くやればいいと思う。そして一緒に幸せになろう」という考えにはならないのだろうか。
それは教育問題、小さいときからの反日感情の醸成か。それとも国民性なのか。
私たち日本人は反中国、反朝鮮の教育を幸か不幸か受けたことがない。だから、中国、朝鮮に問題が起こらない限り、悪い感情は進んでは持たない。
私たちは学校の教科書でアメリカは敵国であり、敵対する相手だと教わったことは一切ない。だからアメリカを同盟国と思い、原爆であんなにひどいことを主導した人たちを進んで許そうとしている。それが彼らにないのは、人類永遠の不幸だ。
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