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迫り来る危機 [生活]

2024.2.8

こんばんは。

能登半島の地震からの復旧・復興は遅々として進まない。お役人は仕事をしていないのか、なんて言ったらぶっ殺されてしまうかもしれないが、何かが足りない。それは地域の力だけでは足りないんだろう。それぞれの市や町が姉妹都市的なつながりでもって復興を後押ししているのは報道で知ってはいるが、依然として断水から始まり、がれきの片づけなども全くと言っていいほど手は付けられていないのが何よりの証拠だろう。

国会議員は自分の足元に火がついてしまったのか、それどころではないのは十分に見てとれるし、現地の方々も端から当てにもしていないだろう。

岸田さんも儀礼的に現地を訪れただけで、それ以降、何をどう、どこをどう突っつけば事が進むのか考えている気配はない。組織が大きくなればなるほど、刻々と変わる状況に、押し込むところ、引き倒すところを心得ていないと事は進まない。現場では、皆皆目の前のことに精一杯で全体を見ている人たちは少なくなるので、尚更、組織を束ねるトップの目が重要になる。緊急事態はまだまだ続いているのだと、国のトップは肝に銘ずるべきだ。

しかしながら、今回の地震で国のどこが責任をもって統括しているのかが全く見えてこない。国民はもっと厳しい目をもって、国のマツリゴトを見続けるべきだと思う。

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話はガラリと変わるけど、私の親族は極めて少ない。

今回、直系の親族ではないのだけれど、その外側の親類縁者に当たる方々が相次いで病に罹った。親族が少ない分、当然、その親類縁者の数も少ない。

その中でも、私と同世代または一回り弱年上の方々が次々と病に罹った。その親類縁者の世帯主数は4世帯しかいないが、そのうち3世帯の世帯主が病に罹った。しかも、皆同じ病だ。今まさに国民病とも言われる病だが、それぞれの方が、それぞれ違う個所を病魔に襲われ苦しんでいる。気がつくと、私だけがのほほんと「今のところ」は生息している。

こうも身近に禍が降りかかってくると、私自身にもいつ、その禍が降りかかるのかという恐れが湧いてくる。こんな気持ちは若い時分には1㎜もなかった思いだ。

徳俵に足がかかっていない若いころは、大層な大人から一生懸命勉強しろとか、時間を無駄にするななどと言われてきたが、全く意に介することはできなかった。しかし、今は少しずつ、その意味が身に沁みてきたような気がする。

しかし、「あなたの余命は、あとウンカ月です」なんて言われたら、自分はどういう気持ちになるのだろうか。ボンクラな私はなかなか理解できないのだけれど、少しは予定調和を目指すような予行練習をしておくべきかもしれない。

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