取り返しのつかない多くの過ち [未来予想]
2023.8.27
こんにちは。
ここ1週間、家人は実家の母の見守りに行っている。グウタラな私としては、1週間の献立を考えなければならなくなった。材料は1週間分は何とかもちそう。車も彼女が使っているので「ラーメンでも」とちょっと出かけるわけにもいかないので、慎重にじっくりと考えて献立をつくっている。愚息ファミリーにつくった献立の残り物、手羽元のオーブン焼き、そぼろ丼、麻婆豆腐、春巻等々、それなりにつくった。だんだんと冷蔵庫の食材も減ってくる。この暑い中、買い物に行くのも億劫な私にとっては、冷蔵庫の残り物で料理をするしかない。庭ではミョウガが「食ってくれ」とばかりに勢いづいている。あと2日、何とか頑張ろう。
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私は地球にどんな過ちを犯したんだろうとガラにもなく真剣に考えている。
朝起きてパンを食べ、ヨーグルトを食べ、珈琲を飲む。
昼は大方めん類。昨日はそうめんにチキンを煮出したスープを使って生醤油を入れ、つけ汁にして食べた。
夜は春巻を揚げ、ぬか漬けのキューリ、納豆、オクラ、もやし炒め、白米。
そして洗濯。
この生活サイクルの中で、何が地球に負荷をかけているのか?
パッケージが怪しい。
パンは自家製だからパッケージはない。ヨーグルトは容器がある。プラスチックだ。
珈琲は1か月に1回ほど容器を捨てる。そうめんのパッケージ、これも純粋な紙包装なのかどうか?チキンの容器。これは完全にプラスチック。
そして納豆の容器。これはほぼ毎日捨てている。春巻にしろ、オクラにしろ、モヤシにしろ、容器は紙ではない。洗濯は柔軟剤入りではない。しかし、洗剤はどうなのか?下水を通って、下水処理施設を通って、川に流れ、海に行く。洗濯は毎日。
日々の暮らしの中で、自然由来ではないものは地球に負荷をかけていると思っていいことは、皆さんも薄々感づいているはず。
「そんなのまだ証明されていないよ」というお偉い方々もいらっしゃるが、その証明(エビデンス)なるものを求めている時間的猶予はもはやない。これはきっと、それが使えなくなることへの不便さ、不利益さが損なわれるからだけのためのディベートであって、純粋に地球のことを思っている形跡は微塵もない。すべて不都合の真実なんだろう。こういう輩は外が洪水なのに、延々と小田原評定をしていても平気な人たちなんだろう。
それじゃ、どうするんだい。この生活をやめろって言うんかい!
・・・・・・・とおっしゃる方も多い。
以前なら口をつぐんでしまっていたけど、今ははっきりと言えそうです。「そう、生活を止めること。それが最善で最短な近道になってしまったんです。」
愚息たち若者に言うと、沈黙が流れ、取り残されるのがおちだけど、「昔の生活に戻ればいい」と。豆腐屋さんに鍋をもって豆腐を買いに行き、
スターバックスでは極力店内で珈琲を陶器のカップで飲み、納豆も藁のパッケージにする。ヨーグルトも純粋な紙容器とし、ペットボトルの容器もすべて紙に置き換える。
「いやいや、ペットボトルは回収され、再利用するようになっています。」と企業は胸を張って言う。しかし、大きな時間軸で言うと、それはつい最近からのこと。そして、その回収率は全世界のどのくらいをカバーしているのか?すでに「マイクロ」と呼ばれている物質は点ではなく、面になって漂い始めている。
幸い、日本は今期(この夏)大きな災害には見舞われていない。これをいいことに「大丈夫」と思い込んではいけない。
山火事・・・日本は高温ではあっても多湿だから大丈夫と勝手に思っていたけど、どうもそうではないらしい現象もチョコチョコ出始めている。これだけ、地球規模で山火事が起こっているわけで、光合成力の減少も心配だ。酸素の供給は葉っぱからだけではない。海の海草からも光合成はされ続けている。しかし、その海草も温暖化で減少傾向にある。
ちなみに、千葉市は納豆の容器も、発砲スチロールも、すべて焼却処分されている。
ここでも一つの疑問符??
焼却処分は本当の焼却されてしまっているのだろうか?その焼却灰には、残存しているマイクロプラスチックはないのだろうか?
地球、本当に大丈夫?
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