2019.12.13
こんにちは。
やはり温かいね。廊下を歩いてもそう寒さは感じない。去年は既に結構寒くなっていたはず。既に12月半ば、寒くないほうが異常なのだ。何度も書いて恐縮だが、太平洋海水の牙は確実に着実に研ぎ続けられている---というのは昨夜の話。ついつい下書きのまま寝入ってしまった。
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どんな方であろうと、この世に生まれてきたということは、あなたの母が自分を産んでくれたからにほかならない。これに例外は全くない。お金持ちであろうと貧乏人であろうと、産まれてくる時は皆一緒だ。自分を産んでくれた母親と父親は高確率で自分より先に死ぬ。それも皆同じだ。子どもは親がいつまでも元気でいる、それは「当たり前田のクラッカー」だと思っている。しかし、時はおしなべて皆に平等に襲いかかる。自分が5歳年を重ねれば、親も5年歳をとる。ある時、親は歩みを忘れ、好むと好まざるとにかかわらず床につく。それが長かろうが、短かろうが子どもの手を借りなければならなくなる。それを望もうが望まなかろうが自分の選択肢はない。
そこで子どもと親は考える。施設に入るか、自宅に帰るかを考える。大方の被介護者は家に帰ることを希望する。現実的に無理なことはわかっているが、やはり家で過ごしたい、最期は家で迎えたいと思う。そこで子どもは考え、無理な結論を導き出す。
親の最期の迎え方
1)自宅で自分が介護する。
2)施設に入れて介護してもらう。
3)介護放棄をする。
選択肢はこれ以外はない。
人が死に行く話をすることはタブーとする方が多い。もちろん、忌み嫌いものとして、私を含め世の中の人は誰もが眉をひそめる。しかし、これが現実であり、誰一人として逃れられない人生の1ページだ。もし、あなたが一人っ子なら、そして、誰にも負けないぐらいの親思いなら、その選択肢を考えておかなければいけない。