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すべては時の運不運 [母のこと]

2019.12.13

こんにちは。

やはり温かいね。廊下を歩いてもそう寒さは感じない。去年は既に結構寒くなっていたはず。既に12月半ば、寒くないほうが異常なのだ。何度も書いて恐縮だが、太平洋海水の牙は確実に着実に研ぎ続けられている---というのは昨夜の話。ついつい下書きのまま寝入ってしまった。

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DSC_2077.JPG今回の台風で我が家のアンテナが飛んだ。ずっとそのままにしていたが、いずれ屋根はアンテナからの錆が流れ出るであろうし、見栄えもよくない。お金もかかることだから躊躇していたら、ちょうど知り合いの電気工事屋さんが「火災保険入っているでしょう?ならば写真を撮って保険屋さんに言えば保険が下りるはず。聞いてみたらいい」ということで、知識のない私は、そうなんだ。火災保険でOKなんだ。アンテナが飛ばされたら、それも適用されるんだと初めて分かった次第。本当に知識がないからね。火災のときじゃないと適用にならないと思っているからおめでたい限りだ。保険屋さんにメールで写真を送って、どうしたらいいと聞いたら、OKです。用紙送るから見積をもらって送り返してくださいとのこと。ちょっと混んでいるから時間がかかるらしいが認められるとのこと。そりゃラッキー。いつも払うばかりで保険は使ったことがなかったので、今回はいい機会であった。

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どんな方であろうと、この世に生まれてきたということは、あなたの母が自分を産んでくれたからにほかならない。これに例外は全くない。お金持ちであろうと貧乏人であろうと、産まれてくる時は皆一緒だ。自分を産んでくれた母親と父親は高確率で自分より先に死ぬ。それも皆同じだ。子どもは親がいつまでも元気でいる、それは「当たり前田のクラッカー」だと思っている。しかし、時はおしなべて皆に平等に襲いかかる。自分が5歳年を重ねれば、親も5年歳をとる。ある時、親は歩みを忘れ、好むと好まざるとにかかわらず床につく。それが長かろうが、短かろうが子どもの手を借りなければならなくなる。それを望もうが望まなかろうが自分の選択肢はない。

そこで子どもと親は考える。施設に入るか、自宅に帰るかを考える。大方の被介護者は家に帰ることを希望する。現実的に無理なことはわかっているが、やはり家で過ごしたい、最期は家で迎えたいと思う。そこで子どもは考え、無理な結論を導き出す。

親の最期の迎え方

1)自宅で自分が介護する。

2)施設に入れて介護してもらう。

3)介護放棄をする。

選択肢はこれ以外はない。

人が死に行く話をすることはタブーとする方が多い。もちろん、忌み嫌いものとして、私を含め世の中の人は誰もが眉をひそめる。しかし、これが現実であり、誰一人として逃れられない人生の1ページだ。もし、あなたが一人っ子なら、そして、誰にも負けないぐらいの親思いなら、その選択肢を考えておかなければいけない。



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