2020.1.12

こんばんは。いい感じで寒い日が続く。

昨日も書いたがオーストラリアの問題はもはやオーストラリアだけの問題ではなく、地球全体の問題になりつつある。依然として、温暖化の影響がある「らしい」という表現しかできないマスコミ各社は「馬鹿じゃないの」と言っておきたい。間違いなく我々経済最優先の生活態度にあることは疑いのないところだ。災害の当事者になり、身内に犠牲者を出して初めてそれに気づく、地球上で最もあわれな生き物が人間ということになりつつあることは秒読みだ。ついつい言い方は過激になってしまうが、現実だから仕方がない。

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今日の本題は「今を忘れない」ということだ。日本に生まれ、日本に育ったこと。これはすばらしい財産でラッキーなことだ。もし私が、あなたが北朝鮮に生まれたらどうなっているんだろう。自由、金、食料もなく、毎日風呂に入ることもままならず、飲み水だって川の濁り切った水を飲まなければならない。言いたいことも言えず、こんなブログで言いたいを言ったが最後、監獄に送り込まれ、運が悪ければ政府転覆を企てたとばかりに銃殺されてしまう。周りの人間は政府に対する不穏分子がいないかを探し回り、少しでも政府に媚びる生活をし、密告・通報によって自分の生活の糧を得るなんていう世界が現実にある。中国だって同様だろう。イラン、イラクだって同様で、絶えず戦時下に置かれ、不自由な生活を強いられる。女・子どもは絶えず身の危険を感じ、男の目にさらされることを避け続ける生活をしなければならない。男女同権、働き方改革なんて露ほどもない。それは我々日本人からすれば想像を絶する世界だろう。その平和な自由な日本にあって、その体制を崩れないように、崩さないように生きることの重要性を考えなければならないのが現役世代の役目だろう。誰にでも今いる現状に不満はある。が、しかし、不完全ながらも民主主義を標榜し、それを目指している国にいることに目を向けなければならない。若い人ほど政治に無関心ではあるが、今ある自由は、その政治体制であるが故ということも現実であり、その「今を忘れてはいけない」。絶望も、俯瞰もしてはいけない。現実を見て、その現実に参画し、改善していく勇気を持たなければ若者である価値はない・・・・・と思う。